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第55話 凱旋、月魔殿

荒れた荒野の中心に屹立する魔力の大樹。

 そこを越えると、真っ白な砂地に覆われた地帯が現れる。一見すると砂浜のようなその大地は、長い年月をかけて風化した魔族の骨と砂が混ざりあったものだ。


 魔族はいつしか、闇夜であっても曇天であっても、絶え間なく白き微光を放つその地帯を常闇に浮かぶ月になぞらえ――月魔殿メンシスと呼んだ。


 そのメンシスの中央に存在する一つの古城。

 石造りの外壁は色褪せ、各所に点在する窓からは薄明かりがぼんやりと揺らめいている。

 そここそが、歴代の魔王が居住する棲家であり、テネブリスの城である。


 その古城を目前に控え、テネブリスは猜疑の眼差しを向ける。


(なんだ……? 静かすぎる。魔境にあれほどの魔族が集結していたところをみると、メンシスにも同規模の魔族が待ち構えていると思っていたが……)


 どこか違和感を感じ取ったテネブリスは、魔法を解除しゆっくりと真っ白な地面に降り立った。

 そこはちょうど古城を囲う城壁の外側、主に中級魔族たちが暮らす一帯だ。


 暮らすと言っても、人間が住む町のように建物が乱立しているわけではない。大きなテントのようなもの。それが各所に点在しているだけだ。

 普段であればトロールやタイタン、サイクロプスなどの比較的大型の魔族が悠々と過ごしている。だが今は、どこにもその気配はない。


(何が起こっている……?)


 テネブリスは周囲を窺う。魔族の気配がない事以外は、特に異変はない。不気味な静けさ、ただそれだけがテネブリスを歓迎しているようだった。



 ――ゴォォォォォ!!!!



 すると突然、テネブリスは背後に凄まじい熱気を感じる。

 全身を焼かれるような灼熱。呼吸も苦しくなるほどの熱気。そして――テネブリスに匹敵する魔力の重圧。

 テネブリスは瞬時にその正体を理解し、さっと距離を取って振り返った。


「……ベリアル。手荒い歓迎だな」

「勇者ルクルース。お前はここで殺す」


 テネブリスの背後には、燃え盛る炎を纏いながら近づくベリアルの姿があった。四つある金色の瞳はテネブリスに向けられている。怒り、憎しみ、そういった負の感情も共に乗せて。


「……ビフロンスはどうした?」

「それを聞いてどうする?」

「ふん、貴様一人では荷が重いのでは、と思ってな」


 テネブリスは皮肉を交え、情報を聞き出そうとする。

 目の前にいるのが第一魔臣であるベリアルなのは間違いない。しかしあれほどテネブリスに忠実なベリアルが、ビフロンスと組んで謀反を企てるとは考えられない。


 テネブリスのそんな思惑を見抜いたように、ベリアルは真紅の髪を揺らしながら重たい口調で口を開いた。


「……大した余裕だ。では、その余裕を保っているうちに教えておいてやろう。ビフロンスは今頃、アルビオン帝国で蹂躙を開始している頃だろう」

「ほう……目的が見えぬな」

「そこまで教える義務はない。国が心配なら今すぐ向かうといい。もっとも……俺がこの場にいる限り、そうもいかんと思うが」


 ベリアルは不敵に笑う。そして、肩からかけた足元まである漆黒のコートをばっと脱いだ。

 鍛え抜かれた体躯が露わになる。薄青色の肌には無数の傷跡が残っている。七魔臣として歴戦の傷。それは名誉の証でもある。

 首元には首輪のような魔装具――魔鎖輪ウィンクルムが、暗澹たる深みを帯びて揺らいでいた。


「ふん……どうやら、貴様はどこかおかしいようだ。私の居ぬ間に何があったかは知らんが、あるじを前にしてその態度……堕ちたものだ、ベリアルよ」

「馴れ馴れしい口を……!」


 テネブリスは微笑で返す。直後、戦端は開かれた。


 ベリアルは右手をかざすと、どこからともなく轟炎が生まれ出た。その轟炎はドラゴンを象り、周囲に火花を散らしながらテネブリスの元へ向かっていく。

 いかに魔力を存分に得たテネブリスであっても、身体は人間のままだ。直撃すればただの火傷では済まない。


「ちっ! 人位魔法――凍結アルゲオ!」


 迫りくる炎を、地表から現れた氷壁で迎え撃つ。しかし炎の勢いと熱量は凄まじい。あっという間に氷壁を溶かし、瞬時に水分が蒸発していく。そして轟音と共に、辺りに水蒸気が立ち込めた。


 そのもやの中から、ベリアルが追撃の炎を打ち出した。繰り出したのは炎で造られた蛇。うねり、長く、そしていびつな姿の炎の大蛇だ。蛇は大口を開け、テネブリスの喉元へと襲いかかる。


「霊位魔法――災厄メルム!」


 テネブリスの手から放たれた暗黒の奔流。それは炎の大蛇をいとも容易く霧散させた。そしてすかさず追撃する。


「霊位魔法――鋼剣槌カリブルヌス

 

 ベリアルに向かって、地面から鋼鉄の剣山が次々に隆起する。いかに轟炎だろうと、鋼鉄を瞬時に溶かすまでは至らない――そう思ってたのはテネブリスだけだった。


「……煉獄メギド!」


 ベリアルの種族クラススキル――煉獄メギド

 自身の魔力を灼熱の業火へと変容させる能力スキルだ。感情の昂りや魔力の消費量によって、轟炎の温度や効果範囲は大きく増減する。


 ベリアルは大量の魔力を消費し、自身を囲うように巨大な炎の渦を発現させた。

 その熱気は、離れた場所にいるテネブリスにすら届くほど灼熱の業火である。いつしか周囲にあったテントは一瞬で引火し、燃え朽ちていた。

 そしてテネブリスが放った鋼鉄の剣山も、ベリアルの元へと届く前に驚異的な熱量によって融解されていた。


 しかし、それだけでは済まなかった。


 ベリアルを囲う炎の渦は次第にその直径を広げ、やがてテネブリスとベリアルを覆う帳のようにその姿を変えた。


(……ちっ、少々まずいな)


 灼熱の帳に覆われたテネブリスは身を屈める。周囲は燃え盛る炎、その中に閉じ込めれたようなものだ。幸い、かなりの魔力を消費したのかテネブリスの攻撃を迎え討った際の恐ろしい温度とまではいかなかった。

 だが、正常に呼吸はできない。少しでも息をすると鼻孔から入った熱気によって体内が焼け焦げるのは必至。


「人間の脆弱な身体では耐えきれないだろう? 我慢はしなくていい、じきに全身が焼け焦げ、炭になるだけだ。そして、勇者を殺した俺は……新たなる魔王として君臨する」


 ベリアルが語った言葉。それを聞いたテネブリスは彼の異変に気付く。

ベリアルと共に歩んだ百年余りの月日。その中で決して口にしなかった言葉。それがベリアルの口から出た事で、テネブリスは彼の置かれている状況をおおよそ理解した。


(ベリアルよ……まったく、哀れな男だ。貴様ほどの男が何者か――いや、ビフロンスにたぶらかされているとはな……。だがすぐに目を覚まさせてやる。貴様が断固として座につこうとしなかった魔王である、私の手で…………!)



 白金の鎧が炎熱により徐々に飴色に変色していく。煌めく銀髪は水分を失ったように固く縮れていく。もはや目も開けられない。

 まさに絶体絶命。

 この状況を打破するには――――


 職業スキル――凄惨たる魔王(ジ・アークエネミー)。その能力が今、解き放たれた。





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