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第52話 第ニ魔臣ハーゲンティ

 その魔族は宙に浮いていた。

 骨に薄皮がついただけの痩せこけた全身を隠すように、夜明け前の空色を思わせる紺色のローブがひらひらと風になびいている。

 その身に似つかわしくないニ対の鋭利な角を持つ骨だけの牡牛の頭部からは、表情を読み取る事はできない。

 しかし、先ほどマルバスに語りかけた口調から感じられる強者の圧。それがこの魔族の持つ圧倒的な格を顕示していた。


「ハーゲンティ……お主か……!」

「のう、マルバス。この状況、きちんと説明してもらえるかの?」

「いきなり攻撃しておいて何を言うか……!」


 マルバスは傷一つない身体に力を込め、立ち上がる。と同時に脳内では、現在起きている状況を整理していた。


(まだメンシスに入ってもいない――それどころか、魔境に差し掛かったばかりだと言うのに、立て続けに七魔臣との遭遇…………儂らを迎え撃つ準備は万全だったという事か……?)


 マルバスは白牙を剥き出しにして、威嚇するような表情を見せる。

 だがハーゲンティは気にも留めない。ただ宙に浮いたまま、空洞の眼窩でマルバスを睨むだけだ。


「マルバス……テネブリス様が亡き今、我らの主は誰かの?」

「……!? どういう、意味だ……?」

「はて、言ったままの意味だが……」

「ふむ……では儂が言えるのは一つだけだ。儂の主……それは、後にも先にもテネブリス様ただお一人のみだ!!」


 ハーゲンティは余裕ある態度を変える事なく、鬼気放つマルバスを凝視する。その後、諭すような口調で切り出した。


「もうテネブリス様の事は諦めろ。勇者が存命、尚かつあの御方の無事がわからぬ以上、我々が出来る事は一刻も早く次の魔王を据えて、勇者の息の根を止める事だ」


 ハーゲンティの言葉に、マルバスは逡巡する。

 確かに、第二魔臣の地位にいる彼の言う事はもっともだ。混乱した魔族の軍勢を立て直し、より強固なものとするには新たな王を据えるのが最善であろう。


 しかし、それは叶わぬ案だ。

 なぜならテネブリス(我が主)は生きているからだ。姿形が変わっても、その尊厳、魂まで失われる事はない。なら、従うべきはただ一つ。


「ハーゲンティ、お主に良い事を教えてやろう。テネブリス様は――――生きておられる」

「……!?」


 ハーゲンティはここで初めて動揺を見せた――マルバスに気付かれぬ程の一瞬ではあったが。


(ビフロンスから聞いた話しとは違うのう…………いや、待て。マルバスの言った事を鵜呑みにするわけにもいかん。第一、奴は勇者と共に行動をしていた。そんな者の言葉に果たして信憑性があるのか……否、あるわけがない。つまり――――)


 ハーゲンティは右手に持っていた枯れ木のようなスタッフを掲げた。すると、その先端に向かって魔力が凝縮していく。


「残念だ、マルバス。お前ほどの魔族が人間に……それも、よりにもよって勇者に魂を売ったとはのう」

「なっ…………!」

「同じ七魔臣として恥ずべき行い。せめてもの情けだ……ワシ自らが、天誅を下すとしよう。霊位魔法――光蛍弾砲ルシオラガノン


 スタッフから放たれた極大な魔力の塊。それは目が眩むほどの光を煌めかせながら、マルバスめがけて接近していく。近づけば近づくほど、その塊は大きく存在感を増していった。

 もはや回避は不可能――そう判断したマルバスは全身の筋力を滾らせ、防御の構えを取る。


 ――ゴォォォォォォ!!!


 荒れた地面に吸い込まれるように、光に満ちた塊が着弾する。

 そして、その中心にいるのはマルバスだ。


「はぁ……はぁ……はぁ…………。この威力、ハーゲンティめ……本気か」


 左半身を失ったマルバスは息を荒くする。

 しかし、すぐさま傷は回復していく。魔力が尽きない限り、何度でもいかなるダメージであろうが再生が止まる事はない。


「その能力ちからは中々に厄介だが、ワシ相手にはちと相性が悪いな。霊位魔法――降光蛍弾群エル・ルシオラ


 まるで蛍のように、無数の光がマルバスを囲うように出現する。だがその光は、一つ一つが魔力が凝縮された弾丸だ。

 ハーゲンティがスタッフを振ると、その動きに合わせて無数の光が縦横無尽に飛び回る。


「そぉれ、避けてみろ」


 まるで弟子を可愛がるかのようなおどけた口調。だが、その奥には確かな敵意が込められている。

 そしてハーゲンティの指揮に応え、無数の光は豪雨のごとくマルバスの頭上に降り注いだ。


「うっ…………ぐあぁっ………………!!」


 再生の暇は与えないとばかりに、粉塵舞い上がる地に向けて絶え間なく光弾を追撃させる。そのまましばらくすると、呻き声も聞こえなくなった。


「可哀想に、マルバスよ……」


 骨だけの牡牛の頭部に宿す暗い眼窩の奥には、憐れみを秘めていた。


 ハーゲンティにとって、マルバスの能力は取るに足らない。

 七魔臣において、序列とは()()だ。第一魔臣であるベリアルは別格として、第ニ以下の者は、その強さによって七魔臣の地位を与えられている。


 第ニ魔臣であるハーゲンティ。彼の持つ強さとは"魔力"だ。

 英知の悪魔(グレーターデーモン)特有の豊潤な魔力、そして長い時を生きて積み重ねられた叡智。それが、ハーゲンティに第ニ魔臣という地位が与えられた所以だ。


 では、下位の七魔臣は上位の七魔臣に勝てないのか?

 ――その答えは、是でもあり否でもある。


 彼らには明確な相性が存在する。

 絶対に勝てない相手と、絶対に勝てる相手。


 例えば、第六魔臣アスタロト。彼女は絶対に第五魔臣マルバスには勝てない。

 あらゆる猛毒を駆使しようが、すぐに身体を再生してしまうマルバスには全く効果がない。


 そして現在対峙しているハーゲンティ。彼こそ、マルバスでは絶対勝てない相手の一体だ。

 肉弾戦しか価値筋のないマルバスでは、多彩な魔法で怒涛の攻めをみせるハーゲンティには、今のように手も足も出せない。


 では、そのハーゲンティの天敵。それは――――


「うぅむ…………まだ立つか」


 ハーゲンティの見つめる先。そこは地面にできた血溜まりの中心だ。そこには全身に無数の穴が空いた満身創痍のマルバスが呼吸を荒げながら立っていた。


 かろうじて再生していく獅子の体躯。だがその速度は、とても以前のような驚異的なものではない。


 限界が近い――お互いに察知した。


「ひと思いに死ぬ事が出来ないのも辛いものだ。そう思わんか? マルバスよ」

「はぁ…………はぁ…………儂は、まだ死なん。生涯をかけて……敬愛する我が主、その御方の為に…………ぐぅぅ…………………!!」

「もうよせ、喋るのも限界だろう。さて、楽にしてやるかの」


 ハーゲンティはスタッフに再び魔力を込める。光を帯びた魔力が収束していき、大きな光弾を象っていく。

 その光景を、マルバスはただ眺める事しかできない。


(……無念。儂は――――)


 枯れ木のようなスタッフの人振りで、その光弾は放たれた。

 直撃すれば今のマルバスでは、よくて瀕死。悪ければ――死。


 迫る命の瀬戸際。

 差し迫る巨大な光弾を眺めるだけの涅色の瞳。だが、その視線を塞ぐようにそれは現れた。


「あら? ちょっと見ない間にボロボロじゃない」

「――――ベ……ベル……………………!?」

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