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第45話 魔王と臣下

――人間は敵。


 多くの魔族は今もそんな風に思っているだろう。

 約七十年前の()()()()()をきっかけに、人間と魔族の関係は急激に悪化した。

 種族間のいざこざなどよくある事。しかしその出来事は、いざこざという言葉で済ますには、お互いにとってあまりにも遺恨を残すものであった。



 しかし魔族全てが、人間全てがお互いを憎んでいた訳ではない。

 テネブリスの直属の配下である第五魔臣――マルバスもその内の一人だ。

 彼の根底にある信条はただ一つ。


 ――――テネブリス様(敬愛する御方)の敵こそが自身の敵。


 テネブリスが敵だと言ったものは相手が魔族だろうが人間であろうが敵なのだ。そこに恨み、怒り、などといった感情は持ち合わせていない。

 敬愛する御方に仕える臣下として――そして武人としての誇りのみが、マルバスを突き動かす。



 だが、人間の勇者によってその誇りが踏みにじられた。

 ルクルース(勇者)との一騎打ちに負けた――との報せを受けた時、マルバスの中で何かが崩れ落ちた。誇り高き彼をこれまで支えてきた一本の強大な柱。それが崩れ落ちたのだ。


 狼狽うろたえ、慟哭し、ありったけの後悔の後、残ったのは自身に初めて芽生えた()()()という感情だった。

 その感情の赴くまま、気が付けば第三魔臣であるベルフェゴールと共に、勇者の抹殺と敬愛する主の救出の為に動き出していた。


 そして――――ようやく見つけた怒りの標的。


 簡単に殺してなるものか。否、すぐにでも殺したい。

 延々と苦しみを味あわせてやろうか。否、ひと思いに一撃で。


 武人としての誇り、そして怒りと憎しみの間でマルバスは揺れていた。

 この人間共を殺したところで、あの御方は戻ってくるのだろうか、と。その一瞬の逡巡が、マルバスの拳がフェルムに届くのを遅らせた。

 だが――――


「そこまでよ、マルバス」


 そこへ妖艶な女の声が止めに入った。その声でマルバスは動きを止める。

 振り向くと、そこにはベルフェゴールの姿があった。そして、その彼女をはべらすように歩く勇者の姿も目に入る。


「ベル…………どういう事だ?」


 マルバスは涅色くりいろの瞳を震わせる。

 どうして我々の仇敵と歩いているのだ、どうしてそんな表情かおをしているのだ、と。


「どうもこうも……見てわからない? って普通の眼を持つあなたじゃわかる訳ないわよね。ふふっ」

「……何が可笑しい?」

「そんな顔しないでよ…………ねぇ、()()()()()()?」


 マルバスは唖然とする。

 七魔臣ともあろう者が何を言ってるのだ、と。

 だが、ベルフェゴールの魔眼はあらゆる魔を見通す。その眼が示すもの。まさか――――自身に浮かんだ突飛な推測を肯定するかのように、その勇者の姿をした人物が口を開いた。


「あぁ、私こそがテネブリス=ドゥクス=グラヴィオールである。久しいな、マルバス」

「…………あ、あぁぁぁ……!!」


 マルバスの心は大きく波打った。

 怒りと憎しみで揺らいでいた先ほどとは違い、その心にあるのは安堵と幸福。

 声も姿も違う。だが、敬愛する御方から伝わる言葉遣い。その奥に見える魔王たる気配。

 それだけでマルバスは全てを察した。敬愛する御方が生きていた、と。

 そう思うとマルバスの身体は自然と跪いていた。



 その光景を見ていたフェルムは、ただ呆然としていた。

 手を下す事もなくあっという間に魔族を平れ伏せた仲間の姿に。それほどまでに魔族にとって”テネブリス”という名は畏怖を示すものなのか、と。


(……チュウニビョウが役に立つ時が来るなんてな)


 フェルムは頬を伝う血を拭いながら苦笑いするしかなかった。



「ところで……随分とやられたようだな、フェルム」

「……別に、これぐらいどうって事ねぇよ」

「ふん、見るに耐えぬ強がりはよせ。治癒してきたらどうだ?」

「……うっせぇ」


 そう言うと、フェルムは怪訝そうな表情で大剣バスターソードを肩に担ぎ、クラルスと共に再び聖殿へと向かった。

 不安そうな顔で数度テネブリスの方を窺った後、アルキュミーもフェルム達について行く。



 その様子を見送ったテネブリスは、さて――と、口を開こうとした時、ベルフェゴールとマルバスが凄まじい勢いで平伏している事に気付き、思わず言葉が詰まる。


「テネブリス様!! この度は、誠に申し訳ありませんでした!!」

「……よい、マルバス。頭を上げろ」

「はっ!」

「さて、ベルフェゴールよ。一つ聞いておきたい事がある」

「何でございましょう? 貴方様の為なら何にでもお答え致します」

「……私が不在の間、何か変わった事はなかったか?」


 その質問に、ベルフェゴールは瞬時に記憶を辿る。

 この御方が求めている答えは何か。何かあった事を知っているからこそ、こういう質問になるに違いない。

 そこでふと、思い出す。

 漠然としたお答えで申し訳ないのですが、と前置きしてベルフェゴールは答えた。


「何やら第一魔臣ベリアルとビフロンスがつるんでいる……という話は、ワタクシ共がメンシスを出る時に耳にした記憶があります」

「ほう……同じような事をグラシャラボラスも言っていたな」

「奴と会われたのですか……!?」


 マルバスが驚いたような反応を見せる。

 そういう反応になるのはおかしな事ではない。マルバスとグラシャラボラスは旧知の仲だ。こそこそと二人で鍛錬を積んでいるという話をテネブリスはよく聞いていた。


「あぁ。もう……死んだがな」

「…………っ!」


 マルバスはつぶらな瞳に影を落とし、絶句した。ベルフェゴールも同じような表情になる。

 テネブリスに対する思いは違えど、同胞の死に、少なからず思うところがある。


「失礼ですが、御方が手を下されたので……?」

「私ではない。ビフロンスだ」

「なっ……!?」


 二人は驚愕の色を浮かべる。

 同じ七魔臣である身で何故そんな事を、と。だがビフロンスの不気味さは七魔臣の中でも一際浮いている。何を考えているかわからない。そんな印象だ。


「奴の目的も、グラシャラボラスを殺した理由もわからぬ。それを確かめる為にも、私は一度メンシスへ向かう」

「ワタクシ共もお供致します」

「あぁ。貴様らの働きに期待している」

「はっ……!」


 そして跪いたまま、マルバスはある疑問を口にした。

 決して失礼にあたらないように、慎重に。


「テネブリス様……一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ、マルバス」

「はっ……。何故、御身は勇者の姿をして、人間と共におられるのでしょうか?」


 マルバスがその言葉を言い終えると、テネブリスの纏っていた雰囲気が一変した。

 ひしひしと伝わる憤怒の波長。息苦しい重圧に、マルバスは顔を上げる事ができない。そして後悔する。失言だったと。


「それを……私の口から言う必要があるのか?」

「い、いえっ……!! 私の考えが及ばず、大変失礼いたしました……!」

「ベルフェゴール。足りぬ頭でもわかるように説明しておけ」

「はっ……!」


 テネブリスはマントを払いのけるような仕草でさっと手を払い、振り返る。しかし勇者の姿である為、マントなどない。その手は勢いよく空を切っただけだ。

 そんな事を微塵も気にせず、テネブリスはフェルムがいる聖殿へと向かっていった。



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