第34話 命のやり取り
突如現れた黒装束の人物。
その足元には、自らの血で紺碧のローブの色を赤黒く変えていくアルキュミーが倒れている。呼吸は荒いが、まだかろうじて意識はあるようだった。痛みにもがきながら整った顔を苦痛に歪ませ、立ち上がろうと必死に抗っている。
そんなアルキュミーに対して、黒装束はトドメを刺そうとしたのか刺突剣を構える。
そこへ凄まじい勢いで、大剣を持った男が斬りかかろうと迫った。鬼のような形相のフェルムだ。
振り下ろされる大剣を、黒装束は刺突剣で受ける。金属同士が衝突する激しい音と感触で、細い刀身からは想像できない程の強度を持っているのを感じ取る。
「どういうつもりだ!?」
「何がかな?」
「てめぇのした事だろうがぁ!!」
怒りの込められた大声と共に、鍔迫り合いをしていた大剣に強く力を込め押し切ろうと試みる。だがその人間離れした力を利用して受け流され、フェルムは態勢を崩す。勢い余ったフェルムはよろめきながら黒装束の後方へと押しやられた。
その隙を見逃さず、黒装束の人物が持つ刺突剣がフェルムの脇腹の辺りを切り裂いた。
致命傷は免れたが、地面に片膝をつけてフェルムは苦痛に顔を歪ませる。
「相手が誰だろうがそんなもの俺には関係ない。ただ命令通りに標的を殺す。それが……誅殺部隊である俺の仕事なのさ」
「何……!?」
「本当に哀れだよ、この女は。親と同じように、帝国に歯向かって死んでいくんだから、はははっ!」
「……ど、どういう事だ!? 町の孤児だったのを皇帝陛下に拾われたんじゃ…………」
「あぁー、お前らはそういう風に聞いてるのか。それは余計な事を言った、忘れてくれ」
黒装束はおどけたような口調で肩を竦ませる。
それを咎めるように、シーベンが口を挟んだ。
「イドラ、喋りすぎだ。それに、その女は殺せとまでは言われていない。余計な仕事を増やすな」
「はいはい、白鬼と言えども所詮は皇帝陛下の犬だね、全く」
「……二度は言わんぞ」
「……はいはい」
シーベンとのやり取りの後、黒装束の人物――イドラの雰囲気が変わった。先ほどまでのおどけた様子は消え去り、暗殺者の如く静かな殺気を漂わせる。
そして手に持つ刺突剣をフェルムに向けて構えた途端、目に追えぬ速さで突き刺した。だが――――
その剣先はフェルムには届かなかった。
全てが漆黒に染まる刀身によって受け止められていたからだ。
その剣の持ち主は冷たく、それでいて怒気を込めた口調で声を発した。
「用があるのは私だろう?」
「……好物は最後に取って置くタチなのさ」
イドラはそう言うと刺突剣をくるりと持ち直し、受け止められた切っ先の照準をテネブリスに向ける。その流れのまま、高速かつ連続で刺すように剣を振るった。
テネブリスは高速の刺撃をかろうじて受け流しつつ、クラルスとフェルムへ指示を出す。
「クラルス! 応急処置で構わん、神官としての貴様の誇りにかけてアルキュミーの命を繋ぎ止めてみせろ!」
「は、はいっ!!」
「フェルム! 貴様にはあの白い全身鎧を任せる。やれるな?」
「あぁ……やってやるよ!」
フェルムは負傷した脇腹の痛みを堪え、立ち上がる。
相手は人間。それも、同じ国の人間だ。人間を殺すのは初めてではないが、別に何も思わない訳ではない。だが信頼している仲間を躊躇なく刺された事に対して、無限のように湧き出る怒り。それがフェルムを突き動かした。
「貴殿も抵抗するなら反逆者と見做すが……それでもいいんだな?」
「反逆者ぁ……!? そんなもんどうだっていい。いきなり仲間を刺されて黙ってられる訳ねぇだろうが!」
「……了解した。各位、逆賊として処分しろ」
「はっ!!」
シーベンはフェルムの意思を確認すると、背後に待機する兵士達に命令を下す。
その指示を受けた兵士達はすぐさま長剣を抜剣し、フェルムに向かって行く。その数、十名。一人のフェルムに対し、四方から囲むように陣形を組んだ。
訓練されたその動きは、百戦錬磨のフェルムにとっても見事だと言わざるを得ない。
だが、兵士達は戦力を見誤っていた。
相手は負傷した一人の男。
対するこちらは十名の訓練された兵士。
数的有利による油断と、フェルムの実力を見抜けなかった戦闘経験の差が、この後の結果に如実に現れる。
フェルムは大剣を水平に構えると、身体を捻るように回転させる。その膂力から繰り出される遠心力が竜巻のような陣風を生み出し、地面の乾いた砂を巻き上げた。
あっという間に視界を奪われた兵士達は、フェルムを囲む陣形を維持するだけで必死になる。所詮視界を奪われていても、有利な状況には変わりない――その状況判断が命取りとなった。
直後、兵士達の死角から襲いかかる鋼の大剣。
触れるだけで死を予感させる速度が、兵士達の回避行動を遅れらせる。だがこの初撃は回避不可能だ。
フェルムの職業スキル――一刀両断による不可避の一太刀が、剣を構える兵士達の両腕を容易く切断した。
次々に苦しみ悶えていく両腕を失った兵士達。もはや戦意は喪失し、シーベンの指示を全うできる者はいない。
ものの数秒での出来事だった。
呻き声を上げながら倒れている兵士達。フェルムはその姿を憐れな視線で残心していると、背後から凄まじい殺気が近づいてくるのを察知した。
迫ってきたのは二刀の小剣。
その白い刀身が煌めきを放ちながら、フェルムの左右から挟むように振られていく。
間に合わない――そう判断したフェルムは右手で握っていた大剣の刀身を、右から迫る刃を受ける為に瞬時に逆手に持ち替える。
だが左から迫る刃に関しては対処する術がない。致命傷にならない事を願い、肩を覆う真紅の部分鎧で受けるしかなかった。
来たる衝撃に備え、身を構える。そして――――けたたましい金属音が二つ鳴った。
柄を握る右手に痺れるような衝撃が伝う。その剣圧は小剣だとは思えないほどだ。
対する左側は、幸いにも部分鎧で覆われた肩で受け止める事に成功していた。しかし鎧から肉体に伝わる衝撃は防ぐ事は出来ず、しばらく左腕は使い物にならないだろうとフェルムは顔を顰める。
初撃を防がれたシーベンは受けられた小剣をそのままに、全身鎧とは思えない身のこなしでフェルムの腹部へ蹴りを見舞う。
部分鎧で覆われてはいた為に大したダメージはなかったが、大きく態勢を崩して後方へよろめいた。
追撃はない――――ここでようやく両者の間に、束の間の膠着が生まれる。
フェルムは小さく舌を鳴らした。
さすがは帝国兵士団団長――別称、白鬼。
全身が白く輝く全身鎧と、魔族を鬼神の如く屠るその姿から、畏敬の念を込めて名付けられた通り名。その実力は帝国内でルクルースに次ぐとも称されている。
さきほど受けたあの二撃だけで、シーベンの実力を窺い知る事が出来た。
その名に恥じぬ重い剣圧、全身鎧を感じさせない身のこなし、間合いの取り方、そのどれもがフェルムをして強敵と認めざるを得ないものだった。
だがフェルムの表情は、胸に抱く焦燥や怒りとは裏腹に、不敵な笑みを零していた。
強敵を前にして尚、その闘志は尽きる事はない。むしろ強敵であればあるほど、フェルムは内に秘めたその闘志を燃え盛る業火の如く滾らせる。
左腕はまだ感覚が戻らない。
斬られた脇腹の痛みもまだ消える事はない。
残された手段は、一刀両断による不可避の初撃のみ。
それで決めなければ、勝ちはない。
その覚悟がフェルムを決心させた。
――殺るか、殺られるか。
殺意の込められた鋭い眼差しが、シーベンを捉える。
そしてその時を惜しむように、それでいて独り言のように呟いた。
「強ぇなぁ、アンタ……でも、これで最後だ」
「あぁ、そうしよう。せめて楽に逝かせてやる」
シーベンは両手に握る純白の小剣をフェルムに向ける。兜越しに見据えるその瞳は、片手で大剣を構えるフェルムから逸れる事はない。
だが、その後にフェルムが発した言葉によって、その瞳が僅かに揺らぐ。
「悪ぃな、魔法はあんまり得意じゃなくてよ…………人位魔法――分身」
剣士であるフェルムが、覚悟を決めた時にだけ自らに使う事を許した唯一の魔法。
詠唱の後、残像のようにもう一人の剣士が生まれる。フェルムの肉体から放たれる魔力の残滓が、肉眼でハッキリと捉えられる程の迫力と殺気を伴って本体を追従していく。
鬼気迫る勢いで接近する二人のフェルムに対し、シーベンは目で追いながら勘考する。
一体どっちが本体だ。そして分身の方は実体を持っているのか。仮に実体を持っていたとしたら――――そこまで考えを巡らせた時、既にシーベンの左腕は肉体から切り離され、宙を舞っていた。
「……ぐうぅっ!?」
剣先が血に塗れた大剣を視界の端に捉える。
――そうか、実体を持つのか。
そう気付いた時には、もう一人のフェルムが全身鎧を上下に真っ二つに斬り裂いた。
地面に鮮血を撒き散らして崩れ落ちる左腕を無くした上半身と、下半身。白鬼たる所以の白い鎧は、おびただしい量の本人の血で真っ赤に染められていた。
「悪ぃな、仲間の前で殺られる訳にはいかねぇんだよ……!」
フェルムは強敵だった死体を見下ろし、呟く。
そして思い出したかのように辺りを見渡した。
「そうだ……! アルキュミーは無事か!? ルクルースは!?」
目の前の戦いに意識を集中しすぎた。すぐに仲間の無事を確認しなければ、と馬車の置いてある付近に目を凝らす。
すると、その近くには禍々しい魔力を放った仲間の姿があった。その足元には黒装束が倒れている。
傍目には勝ったように見える。しかし――――
「あれは……ルクルース、なのか……?」
唯一動く右腕で負傷した脇腹を押さえながら、フェルムは愕然とした声を漏らした。




