第31話 潜む思惑
テネブリスの前に蠢く、粘液魔物のような身体をした魔族。
その粘液魔物――ビフロンスは、テネブリスの問いに無言を貫く。
だが、漂わせている雰囲気はどこか嘲笑っているかのように見える。
およそ魔王に向ける態度ではない配下に対し、テネブリスは殺伐とした眼光を向け憤慨する。
「どういうつもりだ、と聞いている……!」
「キシシシ……魔王、いや、勇者ルクルース…………何をそんなに怒っているのですかねぇ?」
ビフロンスの甲高い声が耳に障る。
同時に、テネブリスは違和感を感じとる。
(コイツ…………もしや、私の状態を知って……!?)
仮に、ビフロンスが今のテネブリスの状態を知っていた場合、この場でグラシャラボラスを殺す理由がない。
逆に、ビフロンスが今のテネブリスの状態を知らない場合でも、勇者ルクルースの姿であるテネブリスを無視してまで、グラシャラボラスを殺す理由がない。
ビフロンスの不可解な行動に、テネブリスは眉をひそめた。
そこへ、再び甲高い声が耳に響く。
「キシシ……その様子、やはり想定外の状況が起こっていたようですねぇ。予定は狂いましたが、結局は同じ事――――ですが、あいにくアレが不在のようですし、今日の所はここまでとしましょう」
そう言い終えると、粘液魔物《スライ厶》のようなビフロンスの身体が溶けるように地面に消えていく。
やがてその魔力も気配も完全に無くなり、ビフロンスがこの場から去った事を悟る。
(奴め、一体何を…………それに……)
テネブリスは視線を落とした。
鮮血を撒き散らした地面に横たわる配下の姿。
もう動く事のないその表情は、どこか無念さを漂わせている。
テネブリスは巨大な体躯を持つ亡骸の元へ近づくと、膝をついてそっと巨体に触れた。
(安らかに眠れ――――グラシャラボラス)
「人位魔法――発火」
グラシャラボラスの遺体に触れている手から、火の気が上がる。やがてそれは全身に燃え広がり、肉が焦げる臭いを漂わせながら大きな炎となっていく。
しばらくして炎が落ち着き、僅かな残火と燻る煙がテネブリスの視界に映る。もうその場所には、配下の影も形も残っていない。
残っているのは、煤にまみれた四つの魔鎖輪。
テネブリスはそれを手に取ると、自らの魔力と融合させた。すると、テネブリスの全身に濁流のように魔力が流れ込んでくる。
配下の為に自身の魔力を分け与えて創造した魔鎖輪。かつて自身が持っていた強大な魔力の一端が、この魔装具に凝縮されているのだ。
全ての魔鎖輪を回収すると、テネブリスは先ほどまでの険しい表情を一変させる。
一部ではあるが、取り戻した滾る魔力に思わず破顔してしまう。
(グラシャラボラス、貴様の死は無駄ではない。こうやって死して尚、私に貢献しているのだ。七魔臣として、誇るべき最期だろう?)
僅かばかりの弔いを終え、この場を去ろうとした時、勇者の名を呼ぶ女の声に引き止められた。
「ルクルース!! 無事……なのよね……!?」
息を切らし、何やら肩の辺りを負傷している紺碧のローブを纏った女。
急に声を掛けられ、テネブリスは思わずその女の名を口にしてしまう。
「アルキュミー、か」
「……!!」
アルキュミーは目をぱちくりさせ、挙動不審な態度を見せる。
その様子を見て、テネブリスは先ほど得た強大な魔力の影響かと推察した。
これほどの魔力、どんな姿形だとしても、魔王テネブリスだと気付かぬ方がおかしい。
(ふん、さすがは勇者の仲間――そして勇者ルクルースの婚約者、と言ったところか)
テネブリスが不敵な笑みを浮かべていると、大剣を背負った男と錫杖を持った神官の女も現れた。
「ルクルース! 一瞬、やられたかと思ってヒヤヒヤしたぜ」
「怪我は……無さそうですね。よかった……」
テネブリスは腕を組み、鼻で笑って応える。
そこへアルキュミーが心配そうに尋ねた。
「あの狼みたいな魔族……七魔臣ともなると、あそこまでしてトドメを刺さないといけないの……?」
「……どういう意味だ?」
「その、骨も残らないくらい燃やし尽くしてたから……」
「あぁ、そっちの話か。別に大した事は何もしておらぬ」
「またまたぁ……あぁ、そっか! 再生とかしたら厄介だものね、なるほど……」
「……ん?」
テネブリスはアルキュミーとの会話にどこか違和感を感じるが、気にするだけ無駄か、と無視する。
(さて、ひとまず七魔臣との接触は果たした――が、グラシャラボラスの言っていた事がひっかかる。第一魔臣に限って謀反を起こすとは考えにくい…………。だが問題は、第七魔臣だ……先の奴の行動は目に余る。どちらにせよ、まずはメンシスに向かい、この状態を一刻も早く解決する必要がある……)
「ルクルース、どうかしましたか?」
すっかり自分の世界に入り黙って考え込んでいたテネブリスだったが、クラルスの呼び掛けで現実に引き戻される。
「いや、気にするな。それより、この後の事だが――」
「失礼します!!」
テネブリスの言葉を遮るように、男の声が掛かる。声の方を見ると、アグリコラ王国の衛兵らしき男がやや慌てた様子で畏まっていた。
「ど、どうかされましたか?」
「はっ! この度の勇者ルクルース様御一行のご活躍に際し、ナクリム三世国王陛下より直接謝辞があるとの事で御座います! つきましては、王宮内の謁見の間にお越し頂きたく」
「えっ!? そ、そうですか……わかりました。今から向かいます」
「はっ!」
アルキュミーの返答を受け、衛兵は急ぎ足で王宮のある方角へ向かっていく。
その姿を見送るテネブリスは舌を鳴らした。
(ちっ、それどころでは――――いや、待て。メンシスまでの足と物資が必要なのは目に見えている。せっかくだ、上質な馬車と物資をたんまり頂くとしよう。利用できるものは人間だろうが王だろうが利用せねばな、フフフ……)
居住区のあの様子では、おそらく宿屋に停めてあった馬車は使い物にならない事は想像に難くない。
例え強大な魔力を取り戻したとしても、所詮その身体は脆弱な人間のままだ。
かつてのように、背中に悪魔のような翼が生える訳でもなく、一部の七魔臣が使える転移魔法が使える訳でもない。
そこで、一刻も早くメンシスに向かいたいテネブリスは、新たな移動手段を確保する必要があった。
斯くして王宮の方へ歩き出したテネブリス達だったが、ふとクラルスが思い出したかのように尋ねる。
「アルキュミー、傷の具合はどうですか? 先に治療してから向かってもいいのでは……?」
「ううん……ありがとう、大丈夫よ。それに、国王陛下をお待たせする訳にもいかないし……治療はそれが終わってからでも問題ないわ」
「本当に大丈夫か? アルキュミー。無理すんなよ」
「えぇ、大丈夫。フェルムほどじゃないけど、私も我慢強い方なの」
アルキュミーはそう言って、負傷していない方の腕で力こぶを作った。テネブリスからすれば、やせ我慢にしか見えなかったが、わざわざそれを指摘する義理もない。
ただ黙って彼女らのやり取りを聞き流す。
そして逸る気持ちを抑えつつ、テネブリスは再び王宮へと向かった。




