第28話 極限の戦い
「あの時を思い出すだろう? グラシャラボラス」
「……昔の事は、覚えてねぇなぁ!!」
テネブリスは、脳裏にいつかの記憶を蘇らせた。
凄惨たる魔王として、その名が広まりつつあった時の事。
第四魔臣――グラシャラボラス。
今でこそ現在の地位に就いているものの、元々は只のはぐれ魔族だった。
というのも、テネブリスが統べていた魔族の軍勢には当初加入しておらず、まさしく一匹狼のように、闘いの日々に明け暮れていた。
だがその実力は確かなもので、はぐれ魔族ながらも、とある国の勇者を殺害した事もある。
テネブリスはその実績を買い、我が配下とするべく単身、グラシャラボラスの住処であった例の洞窟へと赴いた。
当時、テネブリスとの圧倒的な実力差があったにも関わらず、臆す事なく立ち向かってくるその姿勢をテネブリスは甚く気に入り、半ば強引に配下として迎え入れたのだった。
それからというものグラシャラボラスはめきめきと頭角を現し、やがて七魔臣と呼ばれるテネブリス直属の配下、その序列四番目にまで登り詰めた。
しかし胸に抱く野心はいつになっても消える事はなく、七魔臣となった身でも密かに魔王としての地位を狙っていた。
そして、その事はテネブリス自身も承知の事実である。なぜなら、それがテネブリスの配下となる条件だったからだ。
「あの時の条件……ここで果たすとしよう。貴様が勝てば、魔王と名乗る事を許す」
「……ハナからそのつもりだよ!!」
グラシャラボラスは全身に力を漲らせる。
そして地面を強靭な脚力で蹴ると、前方に勢いよく飛び出した。
テネブリスは漆黒の剣を構えて迎え撃つ。だがその剣は、おそらく現在のグラシャラボラスには効果がない事を察していた。
全身を包む汚泥のような表皮が斬撃、打撃等のあらゆる直接攻撃を無力化する。
それこそがグラシャラボラスの職業スキル――第四魔臣だ。
しかしテネブリスは魔剣を構える。
もう、魔王であった時の身体とは違うのだ。人間という脆弱な肉体。使える魔法も魔力も限られている。
そんな状況で、退魔の剣――黒を自ら手放す選択肢を取る訳がない。
そう決意したかのように、テネブリスは柄を強く握った。
そこへ、グラシャラボラスの右腕が凄まじい速度で迫りくる。
回避が間に合わない事を悟り、反射的に構えていた魔剣で攻撃を受けた。
ガキンっ、という硬質な物同士がぶつかる音が響く。
その衝撃は、地面の砂を巻き上げながら、テネブリスの身体を大きく後方へと追いやる。気付けば、広場から広大な農作畑に場所を移していた。
追撃するように距離を詰めたグラシャラボラスは、左腕、右腕、左腕……と、振りかぶるように交互に攻撃を繰り出す。迫力のある怒涛の攻めは、一切の反撃の隙もない。
テネブリスはかろうじて全ての攻撃を受け止めていく。その表情は、既に余裕の色はない。
(ちっ、現在の私とグラシャラボラスでは相性が悪い……手を変えるか)
「人位魔法――凍結」
テネブリスとグラシャラボラスを隔てる様に、分厚い氷壁が創り出された。
突然現れた凍てつく障害物に、グラシャラボラスは追撃を断念する。
息もつかせぬ攻撃がようやく止み、魔剣を手にしたままテネブリスは策を巡らせる。
(たいした足止めにはならんだろうが、ひとまず距離は取れた――が、厄介なのはあの職業スキル……。ふん、私が与えた能力が、よもや私の邪魔をするとは……全く皮肉なものだ)
テネブリスが自身の魔力を使って創造した、魔鎖輪と呼ばれる魔装具。七魔臣は、それを身に着ける事で職業スキルを得ている。
また、序列に因んだ数の魔鎖輪をそれぞれ与えられており、グラシャラボラスはその長い両手足に四つの魔鎖輪を身に着けている。
(さて……そろそろか)
テネブリスが見据える先にある氷壁。そこに、轟音と共にヒビが入る。
やがてヒビは氷壁全体に伝わり、まるでガラスが割れるように四方に砕け散った。
凍てつく空気だけを残したその奥から、悠然とグラシャラボラスが姿を現す。
「時間稼ぎかぁ? 勇者ってのは案外、姑息なんだな。イヒヒヒ……」
「それは……私に対して言っておるのか?」
「へっ、お前ぇ以外にいねぇだろうが!」
怒りを込めた蔑んだ様な視線。
それをテネブリスは、鼻で笑う事で応える。
その後、表情を一変させた。
「よかろう。もう、仕置きでは済まんぞ。霊位魔法――堅牢」
魔法の詠唱と共に現れた四本の禍々しい暗黒の杭が、グラシャラボラスの四肢に突き刺さる。
それは苦痛に顔を歪めるグラシャラボラスの身体を拘束し、一切の自由を奪う。
続けて、身動きの取れない配下に向けて左手を掲げた。
「霊位魔法――災厄」
掲げた左手に、悍ましい魔力が凝縮される。直後、その魔力はグラシャラボラスに向かって一直線に放たれた。
暗黒の魔力の奔流。それを包むように、火炎と雷撃が混ざり合っている。
まるで混沌を体現したかのような邪悪な魔法は、防御も回避もできぬグラシャラボラスに真正面から直撃した。
(さすがに、これで終わり……という訳にはいかんか)
魔法の直撃を受けたグラシャラボラスは、遥か後方へと吹き飛ばされていた。
汚泥のような表皮はぼろぼろと剥がれ落ち、全身には火傷のような焦げ傷を負っている。しかし、その獣のような大きな口からは笑みが溢れていた。
「イヒヒヒ、やるじゃねぇか……いよいよお前ぇが何者なのか、怪しくなってきたなぁ!!」
テネブリスの霊位魔法を正面から食らったとは思えない余裕の態度。
それには理由がある。
激しい感情の高ぶりと、負ったダメージ。それによりグラシャラボラスは種族スキルを発動する事ができるからだ。
種族スキル――狂狼。
汚泥のような表皮が全て剥がれ落ち、顕になったのは青みがかった短い体毛。そして全身が筋肉質な体躯に変化し、魔力を漲らせている。
この姿こそがグラシャラボラスの種族スキルであり、真の姿。
「イヒヒヒ……さぁ、殺される準備はできてるかぁ?」
邪悪な笑みを浮かべると、突如その姿を消す。
正しくは、そのあまりの速さに姿を追う事が出来ていなかったのだ。
するとテネブリスの右横から、筋肉で膨れ上がった前腕が襲いかかる。
テネブリスがその存在に気が付いたのは、自身の右腕に激しい痛みを感じてからだった。
(うっ、ぐっ……………!)
身体はボールのように地面に何度も跳ね返って、ようやく吹き飛ばされた勢いが収まった。
強化された膂力と、驚異の速度が相まって、ただ全力で振りかぶっただけの攻撃でもその威力は凄まじい。
テネブリスの全身に激痛が走る。特に、身体の右側は使い物にならない程、力が入らない。内蔵が幾つか潰れただろうか、口から鮮血が溢れ出ていた。
(やは、り……人間の脆弱な…………肉体、では…………奴相手に、は………………厳し……いか…………)
テネブリスは苦悶の表情で起き上がろうと試みる――が、手を地面に着くだけで精一杯だった。
そこへ、ザッという音が聞こえる。その音の方へ視線をやると、青みがかった体毛を蓄えた強靭な脚先が目に入る。
その脚を見上げていくと、嘲笑を浮かべたグラシャラボラスが、テネブリスを見下していた。
そしてグラシャラボラスは、気を失いかけているテネブリスの首元を前腕で掴み、宙に持ち上げた。だらんとぶら下がった身体からは血が滴り落ちている。
見るも無残なテネブリスの姿に、グラシャラボラスは破顔する。
「イヒヒヒ!! 無様だなぁ! 勇者ルクルース! 残念だが、俺の知ってる魔王はこンなもンじゃねぇ。魔王ごっこは楽しかったかぁ? イヒヒヒ!!」
「……が…………かい……ぞ…………」
「あン!? まともに声も出せねぇのかぁ?」
「頭が…………高、い……と……………言ってい、る……」
息も絶え絶えに言葉を絞り出したテネブリス。
勇者が持つ蒼く澄んだ瞳は、徐々にその色彩を変化させていた。




