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第25話 疾風神来

――迂闊だった。

 あの魔族が、ただの中級魔族ではない事くらい薄々わかっていた。

 怒りと焦り。それがウェントスの判断を鈍らせた原因だった。


 あの魔族の咆哮を耳にした途端、視界は歪み、意識が薄れていったのを覚えている。

 時間にして数分ほどだろうか。

 気が付くと、再び地面に横たわっていた。


 一度ならず二度までも、それも別々の相手に辛酸を舐めるとは、勇者として立つ瀬がない。

 故に、ウェントスは躍起する。


(ちぃっ、俺はなんて不甲斐ねぇんだ…………あぁ、もういい。何もかもどうでもいい。俺を舐めた奴は全員ぶっ殺す。そうだ、それしか、俺が勇者であり続ける方法はねぇんだ……!)


 決意を新たに、ウェントスは再び短剣ダガーに手をかざす。

 向こうに見える羊翼獣バフォメットは、もう一人の勇者(ルクルース)と戦っているようだった。


(アイツはあの咆哮を受けて無事だったのか……!? ちっ、どこまでも得体の知れねぇ野郎だ)


 すると丁度、勇者の持つ漆黒の魔剣が羊翼獣バフォメットの胸元を切り裂いた。

 地面には鮮血が垂れ落ちている。

 その様子を見て、ウェントスは口角を上げた。


(へっ、ちょうどいい具合に手負いじゃねぇか……)


 憎しみの込もった嘲笑を浮かべ、短剣を構える。

 どこか重かった身体も、枷が外れたかのように軽くなった気がした。

 ウェントスは、ここでようやく本来の実力ちからを発揮する。


 職業ジョブスキルで増幅強化した風を身に纏い、神速による連撃を繰り出す技――疾風神来しっぷうじんらい

 その技には、状況により使い分ける三つの派生型が存在する。


 一つは基本型である、疾風神来・かい

 渦のように増幅した風を操作するが、周囲に及ぼす効果範囲が広い代わりに、殺傷力が乏しい。


 二つ目は身に纏う風圧を高速振動させる、疾風神来・れつ

 短剣のみならず全身に帯びた風圧は、触れただけで切り裂かれる刃のような切れ味を持つ。


 三つ目は、疾風神来・げき

 これまで二度しか使用した事のない、奥義と呼べる型である。


 そして今回、ウェントスが発動したのは二つ目。

 もう一人の勇者が与えた胸の辺りの切傷。そこに付け入る隙があると睨んだ。

 短剣を逆手に持ち、手で覆いかぶせる。

 風が徐々にうねり始める。

 ――そして。


「疾風神来っ!!!」


 羊翼獣バフォメットに瞬時に接近すると、風圧による斬撃を打ち込んだ。

 風に乗り、縦横無尽に繰り出される斬撃の乱舞は、瞬く間に羊翼獣バフォメットの体躯に無数の傷跡を刻む。

 そして、もう一人の勇者が与えた傷痕。そこを執拗に狙う。


 卑怯者でも何でもない。戦いというのはこういう事なのだ。

 命の奪い合い。そこに正々堂々という物は存在しない。

 ウェントスは()()に拘る男だった。


 抵抗もせず、ただ攻撃を受け続けていた羊翼獣バフォメットは突如、巨体を起き上がらせる。

 そして次の瞬間、ウェントスの全身を衝撃が襲う。


 霊位魔法――圧解イラ


 受けたダメージを蓄積し、その分だけ衝撃波として周囲に放出する。

 羊翼獣バフォメットが唯一使用できるその魔法が、ウェントスに直撃した。

 だが、身に纏っていた風圧が防御壁となり致命傷は免れる。しかし、全身に打撲のような鈍い痛みが駆け巡った。

 歯を食いしばり、ウェントスは再び短剣を構えた。


(ちっ、霊位魔法まで使えるとはな……そりゃあただの魔族じゃねぇ訳だ。仕方ねぇ……とっておきを使うしかねぇか)


 ウェントスの口からは一筋の血が垂れていた。それを右手で拭うと、大きく一回、二回、と深呼吸をする。

 三回目、深く息を吸い込むと同時に目を見開く。

 直後、ウェントスを中心にして圧縮された空気の波紋が生まれる。


「おい、魔族。これを使うのは手前てめぇで三回目だ。そう構えなくていい。安心しろ、一瞬で終わらせてやるからよ」


 不敵な笑みのまま、羊翼獣に向けて言い放つ。

 目の前の何もない空間に、短剣で円を描く様に振りかざす。

 その後、描いた円の軌跡の中心に短剣を刺すように構えた。


「――疾風神来・撃」


 短剣から颶風ぐふうが生まれた。

 だがそれは、ただの風ではない。

 極限まで圧縮された空気の塊。

 それを証明するように、周囲には耳鳴りがする程の高音が響き渡る。


「じゃあな、魔族」


 言葉を言い終えると、構えていた短剣を勢いよく引き抜いた。

 その後、空気の塊は砂塵を巻き上げながら一直線上に放たれる。


 目に見えぬ不可避の衝撃弾。

 羊翼獣は自らの左半身を吹き飛ばされた事により、直撃を知る事となった。

 ヒューヒューという荒い呼吸と、大量の鮮血を撒き散らしながら、かろうじて残喘ざんぜんを保つ。


「へぇ、まだ息があるのか」


 地面に右手をつき、立つことすらままならない羊翼獣。その周りには大地の色を変えるほどの大きな血溜まりが出来ている。

 どう見ても反撃ができるような状態ではない。じきに呼吸もできなくなるだろう。

 放っておいてもやがて死ぬ命。

 ならせめて楽に逝けるよう、ひと思いにトドメを刺してやるべきだ。

 ウェントスは満身創痍の身体に鞭を打ち、羊翼獣の元へと歩いていく。


 先ほど放った――疾風神来・撃は、持てる魔力を全て消費して使用する大技。

 この技を使用した後は魔力が枯渇してしまい、十分に回復するまで歩くのがやっとの状態となってしまう。

 魔力量が乏しいウェントスにとっては、まさに最後の切り札とも言える。


(ちっ、まさか疾風神来・撃(この技)まで使う事になるたぁな……。へへっ、ここが王宮でよかったぜ……戦いが終わったらすぐ休ませてもらわねぇと……)


 あとは死にかけの魔族にトドメを刺せば終わり。

 その安心感から、自然と表情が穏やかなものになる。

 しかし、その表情は突如険しいものとなった。


 羊翼獣の首が、黒い剣によって刎ねられたのだ。

 左半身と首を失った巨体は、無残にもバシャっと音を立てて血溜まりが滲む地面に倒れ落ちる。


 そして、ウェントスの代わりにトドメを刺した銀髪の男は、落ち着いた様子で声を発した。


羊翼獣コイツは私の獲物だ。勝手にトドメを刺されては困る」

「……そりゃあ、悪かったな。良いとこ取りした気分はどうだい?」


 ウェントスは皮肉を込めて答える。

 魔力を使い切ってまで戦った相手のトドメを、目の前で奪われたのだ。

 勿論、全ての手柄は自分にあるとは思っていない。が、それでもここまで手負いにさせたのは自分だと、もう一人の勇者に対して睨みをきかせる。


「気分は良いとも。フフフ、それにしても……えらく疲労困憊ではないか。なるほど、相当手強かったと見える。貴様には少々、荷が重かったか?」

「へっ、良く言うぜ。アンタのせいだろうが」


 目の前で嘲笑を浮かべる勇者が、手合わせの際に放った謎の攻撃。

 それはウェントスの意識を奪っただけでなく、しばらくの間、魔力と運動能力も著しく低下させていた。

 いわば――弱体化デバフ効果。

 それが、目覚めた時に身体が重いと感じた違和感の正体だった。


 気分を害したウェントスは、満身創痍の身体を動かし帰路に就こうとした。

 その時、遠くの山間から凄まじい速さで近づいてくる影に気付く。

 あっという間に王国へと侵入した()()は、数体の小さな影を引き連れながら、アグリコラ王国の居住区を破壊していく。


 遠くに聞こえる住民達の悲鳴と、建物が崩れ落ちる衝撃音。

 突如到来した悪夢のような光景に、ウェントスは唖然としたまま動けない。

 今すぐにでも駆けつけたい気持ちと、言うことを聞かない身体が相反する。


(おいおい……嘘、だろ……!?)


 しばらくすると、その影は高く跳躍し、ウェントスのいる広場へと姿を現した。


 大きな狼のような巨体。だがその表皮は、青く濁った汚泥のようなもので覆われている。

 手足に身に着けた黒光りする枷のような輪。

 以前、七魔臣と遭遇した際にも数と大きさは違うものの、同じような物を身に着けていた覚えがある。


(つまりコイツは――――七魔臣……!!)


 ウェントスの警戒を無視し、七魔臣は広場に横たわる羊翼獣の無残な亡骸にチラリと目をやる。

 そして視線を再び勇者達の元へ移すと、激情の込もった雄叫びを轟かせた。


 肌にビリビリと伝わる憎悪の念。

 身震いしそうな程、鬼気迫る迫力をひしひしと感じる。

 身構えるウェントスに対して、七魔臣はゆっくりと大きな獣のような口を開いた。


羊翼獣コイツを殺ったのは誰だぁ……?」


 ウェントスは息を飲む。

 間違いなく仇を取るつもりだ、と。

 憎しみと怒りの矛先が向けられるのは必至。

 ウェントスは、さり気なく当人の様子を横目で伺った。


「……私だが、何か?」


 もう一人の勇者は、七魔臣の事など意にも介さず答える。

 ただ正直に事実を述べたのみ。

 怯えた様子も、警戒する様子もまるでない。

 ウェントスは予感した。


(アンタ……死ぬぜ……?)


 七魔臣は同胞を殺害した人物を、血走った大きな目で睨みつける。

 今にも死闘が始まりそうな重苦しい空気。

 ウェントスはその空気に飲まれ、一歩も動けなかった。


 だがもう一人の勇者は違った。

 羊翼獣を屠った漆黒の魔剣を、七魔臣に向けたのだ。

 受けて立つ、そんな気概溢れる構え。

 さすがは魔王に一騎打ちを挑むだけの胆力。


(これが……本物の勇者…………。俺も……いつかは…………)


 ウェントスは羨望と尊敬の念を抱いた。

 この世に生を受けて三十年余り。

 他人にそんな感情を抱いたのは、これが初めての事だった。

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