第23話 舞い降りた羊翼獣
突如、目の前に現れた山羊頭の魔族。
体格は虎や獅子のようながっしりとしたものだが、その体色は赤黒く、所々に黒い体毛が生えている。
その獰猛な体躯とは裏腹に、天使のように穢れのない真っ白な翼と捻れた角が生えた山羊頭が、この魔族の不気味さを物語っていた。
山羊頭の魔族――羊翼獣が放つ黄金色の眼光は、ただ一人だけを見据えている。
先程口にした台詞から察するに、狙いは《《もう一人の勇者》》だろう。
突然湧き出たこの状況に、ウェントスは眉をひそめて舌を鳴らす。
(いきなり国のど真ん中に、それもたった一体で現れるとはどういうつもりだ……? ちっ、それにしてもここで暴れられるのは少々不味い……)
国のど真ん中。ひいては国王が控える王宮の敷地内。
こんな場所で魔族と戦闘ともなれば、何かあった時の被害はひとたまりもない。
まずはこの魔族を、この場から引き離すのが先決。
だが、それよりも――
(他人様の国に土足で上がり込んだあげく俺を無視するとはいい度胸じゃねぇか……何の用か知ったこっちゃねぇがもういい。ぶっ殺してやるよ……!)
ウェントスの事などまるで眼中にないような羊翼獣の態度に、ウェントスは激昂した。
この魔族が現れる前に、不覚を取った勇者に対して放つつもりだった技。
それを再び発動する。
「――疾風神来」
胸の前で突き出すように左手で短刀を逆手に持つと、柄を覆うように右手を覆い被せる。
自身の周りに緩やかに流れた風が次第に一つの奔流となり、やがて強大な風圧を伴った追い風を生み出した。
そして、竜巻のように渦めく風圧を全身に纏う。
刹那、神風の如く疾風に乗り、一瞬で標的に接近する。
未だにもう一人の勇者へ視線を向け続ける羊翼獣。
その赤黒く太い前腕の辺りを、短剣を覆うように纏った風圧で切り裂く。凝縮された風圧は、さながら片手剣の如く切れ味である。
意識の外から攻撃された羊翼獣は、しばらく遅れてウェントスの姿を捉えた。その黄金色の眼光は、怒気を帯びている。
「なんだ貴様……!」
羊翼獣は唸るように呟くと、全身に力を漲らせ戦闘態勢を取った。
猛獣のような迫力。突き刺さるような鋭い視線。
その圧を正面に受け、ウェントスは認識を少々改める。
(この魔族……ただの雑魚じゃねぇな。だが……!)
ウェントスは再び、疾風神来による暴風を生み出す。
巻き起こる風が更なる風を呼び、やがて強大な嵐のように吹き荒れる。
舞い上がる砂塵の中、ウェントスは駆けた。
風を切る高音。
息もつかせぬ連撃。
四方八方から、風を纏った斬撃を一方的に浴びせ続ける。
ウェントスの職業スキル――風の英雄。
自身が生み出したありとあらゆる風を何倍、何十倍にも増幅して操る、という能力。
走る、短剣を振るう等の、風を生み出す為の初動が必要ではあるが、一度風を生み出すとその勢いは止まらない。
だが、この強力無比とも言える職業スキルには、欠点がある。
それは、生み出した風自体に致命傷を与えるほどの威力がない事。
そして、ウェントスの持つ魔力が極端に乏しい事だ。
それでも大抵の魔族は、反撃する暇もない神速による一方的な蹂躙によって屠る事が出来た。
しかし、この羊翼獣は違った。
幾度攻撃してもかすり傷がつく程度で、ダメージを負っている様子がない。
(効いてない……!? いや、そんなはずはねぇ! これだけの連続攻撃を喰らって無事でいた魔族は今までいなかった……! コイツも――――)
突然、耳鳴りが響いた。
視界が歪み、意識が薄れていく。
ほんの僅かな焦りと油断。それが百戦錬磨のウェントスの判断を鈍くしたのだった。
* * *
羊翼獣――キンダーバルクは、けたたましい雄叫びを上げた。
その雄叫びは広場全体に轟く。
次第に、辺りで巻き起こっていた鬱陶しい突風が止んだ。
この風を生み出した張本人の意識がなくなっているからだろう。
短剣を握ったまま倒れている勇者を見下し、嘲笑する。
キンダーバルクが放ったのは種族スキル――咆哮。
雄叫びを耳にした者の意識を混濁させ昏倒させるものだ。
広場全体に広がった咆哮は、ウェントスだけでなく周囲にいた者達にも影響を与えていた。
少し離れた場所にいた勇者の仲間達も、力なく地面に倒れ込んでいる。
だが、目的の人物である勇者ルクルースの姿がない。
舞い上がっている砂埃に紛れているのか。
それとも――
いずれにせよ、標的を見失った事は事実。
キンダーバルクは警戒を強め、周囲を窺う。
(勇者はどこだ……?)
やがて砂埃が収まり、視界が開けた。
目の前には強風で荒れた砂地が広がっている。
そして、標的は姿を現した。
悠然と佇む、白金の鎧を輝かせた人物。
煌めく銀髪に、紺碧の瞳。
魔族の仇敵にして、人間の英雄。
勇者ルクルースの姿がそこにあった。
キンダーバルクはその姿を、固唾を飲んで見つめる。
勇者たる精悍な面持ちには、冷たい笑みを宿していた。
その笑みは勇者が……いや、人間が浮かべるものにしてはあまりに残虐で冷酷。
比べるのも烏滸がましいが、かの凄惨たる魔王のような冷笑。
まるであの御方がそこに健在しているかのような錯覚さえ覚える。
勇者は数歩近づくと、威容のある声で告げた。
「よくもここまでご苦労な事だ。褒めて遣わす。さて……貴様にはもう一仕事してもらわねばな、フフフ……」
目が合った瞬間に怖気が全身を支配した。
キンダーバルクは緊張と恐怖で身震いする。
(凄まじい威圧感……勇者とは、ここまで強者たる者なのか……!)
獣のような唸り声を漏らし、全身に力を張り巡らせる。
決死の覚悟を以て、キンダーバルクは勇者と相対した。




