第22話 勇者と魔王
深碧の髪をした風の英雄は、片手に短剣を構えたまま動かない。
さすがは勇者というべきか、隙のない構えだ。
テネブリスは目の前の男の表情の変化、筋肉の動き、息遣いまでも注意深く観察する。
全ては、勇者という存在に対しての警戒心の表れだ。
現在のテネブリスは見た目こそ勇者そのものだが、その本質は真逆。
尋常ならざる魔力、他を凌駕する魔法、圧倒的な身体能力。
それらを遺憾なく発揮した暴虐極まりない戦法が、テネブリスの魔王たる真髄であった。
言い換えれば、テネブリスは戦士のような武器での戦いは素人同然。
現在のテネブリスでは、相対する風の英雄に仕掛ける事は困難を極めた。
手合わせとは思えぬ緊張感の中、膠着した状態が続く。
すると、そんな状態を打破するかのように、ウェントスが口を開いた。
「そう警戒すんなって。自慢じゃねぇが、あんまり魔法は得意じゃない。俺には短剣一本ありゃ十分さ」
「ほう……大した自信だ。来い、受けてやる」
「……へっ、じゃあ遠慮なくいかせてもらう、よ!!」
その言葉を言い終えると共に、ウェントスの姿が消える。
いつぞやのヘルハウンドを彷彿とさせる、凄まじい初速の突撃。
無駄の無い洗練された動きは、初見でその動きを見切る事は困難だ。
それは、テネブリスも例外ではない。
姿を見失った直後、ウェントスの持つ短剣が風を切る音と共に視界の片隅から現れる。
軌道から察するに、狙いはおそらく首元。
この攻撃で、ウェントスが本気で命を狙いに来ている事を察知する。
迫りくる短剣。
もはや最小限の動きで躱すしかない。
寸前のところで後ろへ仰け反ると、紙一重で回避に成功した。
短剣は弧を描いて空を切る。
と、同時にテネブリスは目を見開いた。
「――風切」
ウェントスが小さく声を発すると、空を切った軌跡から突風が巻き起こる。
不可避の突風はテネブリスの身体を捉え、後方へ大きく吹き飛ばした。
(くっ、風……!?)
身体を宙に浮かせたテネブリスを追撃するべく、ウェントスは即座に距離を詰める。空中で身動きの取れないテネブリスの真上に跳躍し、短剣を振り下ろした。
流れるような疾風怒濤の追撃。
遠くで見守るアルキュミーは、目を見開き両手で口を押さえる。
フェルムの目からは、勝負あったかに思われた。
されど、かつては凄惨たる魔王と恐れられた身。
テネブリスは吹き飛ばされた瞬間に、次なる一手を用意していた。
ウェントスの握る短剣が、白金の鎧に触れる間際、魔法が発動する。
「人位魔法――反転」
振り下ろされた短剣が鎧に触れた瞬間、ウェントスは体ごと弾き返される。
それは、運動エネルギーのみを反射する魔法――反転の効果が発動した事を意味した。
しかし、短剣から生み出された突風はテネブリスの身体を直撃し、両者共に大きく吹き飛ばされる形となる。
斯くして、両者の間には距離が生まれた。
吹き飛ばされながらも、すぐに立ち上がったテネブリスは、涼しい顔で白金の鎧をはたく。陽の光に照らされた砂埃が僅かに舞い上がる。
ダメージはない。
しかし、突然生まれる突風の正体。テネブリスはある可能性を思いつく。
(奴が魔法を使った形跡はない……となると、職業スキルか……)
種族に関係なく、その職業を極めた者のみが得る事ができる能力――職業スキル。
種族スキルのような能動発動型とは違い、常時発動型である。
その多種多様な能力は、限られた場面では魔法よりも絶大な効果を発揮する。
ウェントスの職業スキルを前にして、テネブリスはある勇者の顔を思い浮かべた。
銀髪が煌めく精悍な顔立ち。晴天のように澄んだ蒼い双眸。
テネブリスの現在の姿であり、アルビオン帝国が誇る勇者――ルクルースだ。
ルクルースが持っていた職業スキル。
凄惨たる魔王として絶大な力を奮っていたテネブリスであっても、その能力には苦汁を飲まされた経験がある。
それほど彼の職業スキルは、この世界において五本の指に入るであろう強力な能力だった。
意識を眼前の男に戻し、テネブリスは警戒を強める。
同じ勇者であるウェントスも、それに匹敵する職業スキルを持つ可能性がある、と。
「どうした? そんなに考え込んで。吹き飛ばされたのがそんなに不思議かい?」
「ふん、貴様をどのように屠ってやろうかと思案していただけだ」
「ははっ、そうかい」
渇いた笑みで言葉を吐き捨てる。
それからウェントスは、目の前の何もない空間を素早く十文字に斬った。
「暴風刃!」
短く、そして力強く言葉を発すると、突如として暴風が巻き起こる。
暴風は次第に勢いを増し、凝縮した嵐のような突風が襲い掛かる。
テネブリスは足を踏ん張り、吹き飛ばされないように懸命に耐えるが、そこへウェントスが暴風に乗って瞬時に近づく。
その勢いのまま腹部へ蹴りを見舞うと、テネブリスは後方へ吹き飛ばされた。
「ぐぅ……!」
吹き飛ばされたテネブリスに追い打ちをかけるように、けたたましい暴風が上から下に向かって降り注ぐ。
その暴風が直撃したテネブリスは、逃げ場のない地面に叩きつけられた。
しかし、すぐに起き上がったテネブリスは顔を顰める。
(ちっ、厄介なのはあの風だ。近づいても離れても対応される……ふん、仕方あるまい)
すると突然、テネブリスは手に握っていた漆黒の剣――黒を鞘に戻した。
理解不能な行動に、ウェントスは目を丸くする。
「おい……まさか降参じゃない、よな?」
「あぁ、勿論だとも。ここからは、凄惨たる魔王として相手をしてやろう」
直後、禍々しい魔力がテネブリスを包み込んだ。
先ほどまでとは別人のような気配に、ウェントスは身を構える。
凡そ勇者とは思えぬ禍々しさ。もはや人間のそれではなく、魔族……いや、かつて一度だけ対峙した事のある七魔臣と遜色ないかもしれない。
直感的にそう感じたウェントスは、警戒度を一つ上げた。
額には反射的に一筋の汗が垂れている。
それほどテネブリスの放つ圧が、悍ましいものだったのだ。
するとテネブリスは冷笑を浮かべ、魔法を詠唱した。
「平伏せよ。霊位魔法――拝跪」
どす黒く淀んだ魔力の壁が、ウェントスを囲うように現れた。
まるで空気のように、触れることも抗う事もできぬ不可侵の壁。
術者に対して、一切の抵抗を許さぬ絶対領域。
それは、呼吸する為の空気でさえも通過する事を許さない。
――やがて、ウェントスはテネブリスに拝跪するかのように地面に倒れた。
* * *
「一体……何をした……!?」
地面から体を起こしたウェントスは、横で仁王立ちする勇者に向かって開口一番に尋ねた。
自身が喰らった謎の攻撃。
魔法によるものか、それとも勇者ルクルースが持つ職業スキルによるものか。
身体に刻まれた魔力の残滓。
勇者が持つ魔力にしては余りにも暗く、冷たかった。
そう、それはまるで――
(コイツは一体……何者なんだ…………!?)
ウェントスは悔しさを滲ませ、よろめきながらも立ち上がる。
先程のダメージが残っているのか。どこか身体が重くなっているのを感じる。
ふと見ると、勇者は不満げに顎を指先でなぞっている。
そして、嘲笑うかのように問いかけた。
「まだやるかね?」
「……いいや、まだまだこんなもんじゃないんでね……少しヘマしちまったが、風の英雄の力……思い知らせてやるよ……!」
そう言うと、ウェントスは短剣の持ち手を掌で抑え込むように構える。
辺りには緩やかな風が流れ始めた。
漂う風がやがて大きな気流となり、竜巻のような渦を帯びていく。
その時、上空から一体の影が凄まじい速度で飛来した。
その影はウェントス達がいる広場に勢いよく着地し、土煙を舞い上げながら白い翼をバサバサとはためかせた。
土煙が治まると、やがてその影の全貌が露わになる。
そして不気味な山羊頭の口から、重く低い口調で言葉を発した。
「見つけたぞ……勇者ルクルース」
・今回の魔法辞典
人位魔法――反転
下級人位魔法のひとつ。物体のもつ運動エネルギーを反対方向へ跳ね返す魔法。一度跳ね返すと効力は失われる。主に盾などに付与される場合が多い。




