第18話 剣士の矜持
フェルムには誇れるものがあった。
それは、自他ともに認める仲間思いな所だ。
仲間を守る為、今まで幾度となく体を張り、時には大怪我を負う事もあった。しかし剣士という前衛職である以上、そんなものは日常茶飯事とも言える。
ただ、フェルムはそれだけではなく、仲間の為には金を出す事も惜しまなかった。
いつだったか、クラルスの装備品を自腹を叩いて買い揃えた事もある。
神官の装備品は手の込んだ特別製の物が多い。他の装備品とは違い、その値段は桁外れだった。
クラルス一人では揃える事も叶わなかった一級品の数々。それがフェルムのおかげで、今やクラルスの代名詞とも言える装備に成り代わっていた。
彼女が手にしている、金色に輝く錫杖がその最たる例である。
例え自分が損をしたとしても、目の前で仲間が喜んでくれるのなら、自分の金などどうでもよいとまで思っている。
それは己の命もそうだ。いつだって仲間の為に命を懸ける覚悟で戦っている。
それが剣士――フェルムの矜持だ。
フェルムはそんな覚悟を以て、暗闇から現れる。
大剣を片手に担いでいるとは思えない滑らかな動きで、ヘルハウンドの一体にすっと距離を詰める。
完全に不意を突かれたヘルハウンドは、反撃の判断が鈍る。
フェルムはその隙を見逃さない。
銀色に輝く大剣が縦一文字に振り降ろされ、ヘルハウンドの首元へ正確に斬撃の軌跡を描く。
フェルムの職業スキル――一刀両断による大胆不敵の初撃。
同じ相手に一度だけ、大剣による初撃を必ず当てる事が出来る能力。
その見事なまでの一振りは、敵の命を終わらせるには十分すぎる一撃だった。
振り降ろされた大剣の切っ先が地面に刺さる。
と、同時に赤い鮮血が迸った。
――まさに、一刀両断。
刃先が刺さった地面に傍には、頭と胴体が分断された亡骸が横たわっていた。
ヘルハウンドを瞬殺したフェルムは、残りの一体を睨む。
次はお前だ、と言わんばかりの鋭い目つき。
筋骨隆々な肉体と相まって、何かに押されるような威圧感を放っている。
すると、残された一体のヘルハウンドは種族スキル――共鳴の効力を失って、見る見るうちに筋力が衰退していく。
やがてその姿は、遭遇した当初の痩せ細った猟犬に戻ってしまった。
ヘルハウンドは、種族スキルが解かれた理由を瞬時に悟った。
同胞達は既に殺されたのだと。
生き残りは自分だけだということ。
そして、ヘルハウンドは後悔する。
相手は勇者の仲間である事はわかっていた。では、一体どこから間違えていたのか。
数的有利から得た慢心、それとも自惚れか。
それも今となっては、ただの言い訳に過ぎない。
ヘルハウンドは死への恐怖に駆られる。
生き延びる為に選んだ手段は、逃走だった。
生への執着から、図らずもこの日一番の脚力を発揮する。
凄まじい速さでフェルムの横をすり抜けると、木が生い茂る暗闇の中へ逃げ込んだ。
その姿はあっという間に闇の森林に溶け込み、フェルムの目では追う事が出来なくなった。
小さくため息をついたフェルムの元へ、アルキュミーとクラルスが駆け寄る。
「ちっ……逃げられた!」
「深追いは禁物よ、フェルム!」
「あぁ、わかってるよ……まずはルクルースと合流だ」
二人に傷を負った様子はない。
少し息を切らしているようだったが、大した事ではないだろう。
僅かばかり視線を合わせ、お互いに無事だと確かめ合う。
視線を闇の先へ見据え、一人で戦っているであろう仲間の元へ向かおうとしたその時、どこからか足音が聞こえた。
フェルムは耳を澄ませる。
ヘルハウンドが逃げて行った方角からだ。
奇しくもその方角は、仲間がいるはずの方角と同じ。
やがてゆっくりと闇夜の中に、足音の正体がその輪郭を現す。
現れたのは白金の鎧。
闇の中だと言うのに、その鎧は燦爛と輝いているように見える。
その煌めきに引けを取らない銀髪が、ふわりとなびいていた。
その人物の名を、フェルムは叫んだ。
「ルクルース! 無事だったか!」
フェルムはホッと安堵の表情を浮かべる。
さすがは勇者と言うべきか。無傷でここまでやって来たという事は、一人でヘルハウンド二体を相手にして勝利を収めたに違いない。
しかし一つ気になる事がある。
ここにいたヘルハウンドの行方だ。
(ヘルハウンドが逃げた方向にはルクルースがいたはず……鉢合わせにならなかったのか……!?)
フェルムのその疑問に答えるように、白金の鎧の勇者は手に持っていた《《何か》》を投げ捨てた。
その何かは地面にゴロゴロと転がる。やがてフェルムの足元付近で止まると、その何かと目が合った。
「……! ヘルハウンド……!」
フェルムは思わずその名を口にする。
切断されたヘルハウンドの頭部。その断面からは、まだ僅かに血が滴っている。
足元に転がった無残な姿に、フェルムは唖然とする。
そこへ、斬殺したであろう本人の声でフェルムは意識を取り戻した。
「最後の一体は私が仕留めておいた。……それにしても、中々に気が利くではないか」
「……? どういう意味だ?」
「私の為に獲物を逃がしてくれたのだろう? おかげで、この手で魔族を屠る事ができた……フフフ……」
白金の鎧を着た勇者は、誇らしげに語った。
その表情には、どこか冷酷さも滲み出ている気がした。
しかしフェルムは感嘆する。
さすが勇者だと。
記憶がなくなっても、根にある信念は決して消えないのだと。
フェルムは、仲間として誇らしく思った。
そして、その思いは他の仲間も同じだったようだ。
傍にいたアルキュミーとクラルスはその可憐な瞳を潤わせる。
アルキュミーに至っては、手で口元を押さえて今にも泣きだしそうな勢いだ。
「お前……そこまでして魔族を……!」
「ルクルース……あなた、ちょっとずつ勇者としての記憶が……!」
「よかったです……ルクルース……!」
記憶を取り戻しつつあるかもしれない仲間に対して、フェルム達は次々に喜びを湧き上がらせる。
その勢いに押されたのか、本人は困惑の顔を浮かべている。
「なっ……貴様ら……何を……!?」
「そんな恥ずかしがるなって! ……おっとそうだ、ルクルース。そう言えば、この後の行先は何かアテがあるのか?」
「……どこか最寄りの国でも寄ればよいだろう」
「最寄り、か……。クラルス、この近くだとどこの国になるんだ?」
その問いに、クラルスは考えるように視線を上に見やる。
ほどなくして、ある国の名を口にした。
「……アグリコラ王国、ですかね」
「アグリコラ王国か……名は聞いた事はあるが実際に行った事はねぇな……」
「私もないわね……クラルスは?」
「実は前に一度だけ、礼拝の為に訪れた事があります」
「へぇ、そいつは初耳だ。じゃあ道案内はクラルスに頼むとするか!」
「わかりました。それと……確かその国には、風の英雄と呼ばれる勇者がいたはずです」
「ふぅん、他国の勇者に会うのは久々ね。まぁ、ルクルース以上の勇者はいないと思うけど!」
そう言ってアルキュミーは勇者の腕に絡みつく。
だが、当の本人は何やら怪訝な顔をしている。
その顔を見たフェルムは、勇者の心情を察する。
いくら婚約者だからと言っても、仲間の目の前でそういった事をされると恥ずかしいに違いない。
同性として、仲間として、フェルムはそのむず痒くも微笑ましい光景を、ただ無言で見守った。
「でも……今から向かっても迷惑じゃないでしょうか? 夜が明けてから出立しても遅くはないと思いますけど……」
「それもそうね。なら一旦、馬車まで引き返しましょう」
ヘルハウンドとの戦闘で、フェルム達は知らず知らずの内にロサ森林に入ってしまっていた。
馬車まではそう遠くないはずだが、包み込むような暗闇が方向感覚を狂わせる。
しかし、アルキュミーの勘を頼りに歩いていくと、視界の先に馬車が目に入った。
女の勘というのは、こういう時にも働くのかとフェルムは小さく感心する。
その時、最語尾を歩く勇者が途中で立ち止まっている事に気付いた。
「どうした? ルクルース」
「……気にするな。何でもない」
何やら森の中を見つめていた勇者は、そう言って再び歩き出す。
何故かはわからないが、その顔は少し笑みを零していた。
きっと、何か良い事でも思い出したんだろう。
気にするな、と言われて下手に詮索するのは野暮というものだ。
勇者の言葉に片手を上げて返事をしたフェルムは、アルキュミー達の待つ馬車へ向かった。




