89
新たに知らされた情報が多すぎる。正直、頭の中がパンクしそうだ。
私が混乱しているのが目に見えてわかるのか、これ以上私の頭を悩ませないようにか、エイダンは口を開くのを止め、笑みを浮かべて黙ったまま私を見ている。
その配慮をありがたく受け止め、私は冷静になる為に俯いて深く息を吸った。
私の飲んでいた紅茶の原料となるハーブは、王と五大貴族の許可がないと使用できず、催眠作用が確認されている。
エイダンは医学を学ぶ傍ら、師事する教授と共にそのハーブの研究をしていた。その研究メンバーには、叔母のジェシカもいた。
そうなると、気になることがある。
「私の父は、エイダン様がそのハーブの研究をしていたメンバーであることを、知っていたと思いますか?」
「いえ……ご存じないと思います。」
顔を上げた私の唐突な質問に、エイダンから思った通りの返事が返ってくる。
「知っていたら、そもそも私をマリー様の家庭教師に雇うとは思えません。」
その考えに私は完全に同意する。
エイダンがハーブの研究者であり、ハーブに詳しい人物だと知っていたら、雇うはずがない。
家庭教師をしていたら私が紅茶を飲む場面に立ち会う可能性はいくらでもある。
流石にその隠し事の内容まではわからないまでも、王と五大貴族ぐるみで隠すべきことが私にあることが、芋づる式にバレてしまうからだ。
そんな危ない橋を渡るとは思えない。
現にエイダンは、その事実に気づいてしまっている。エイダンは今、この事実を知っていることでいくらでも公爵家に対して優位に立てる。
「エイダン様にお願いがあります。」
公爵家がハーブの催眠作用で故意に隠そうとしているのは、私の出生の秘密、主に私の父親のことで間違いないだろう。
それを誰かに話され噂が広まれば、公爵家の内情を調べられ、私が公爵家の私生児だと知られてしまうかもしれない。そうなれば、ゲームの舞台である学園に入学する前に、私の貴族としての人生は終わる。
この貴族社会は、私生児に優しくない。
口止めを願う為に、身体を隣に居るエイダンの方に向け、その片方の手を取って両手で握りしめる。
「私がそのハーブを使用した紅茶を飲んでいることを……。」
そこまで言ったところでエイダンは、私が更に口を開く前に、もう片方の手を私の手に添えた。
エイダンの温もりが、私の手に伝わってくる。
優しい視線が私に降りる。
「誰にも言うつもりはありませんよ。」
私の顔を真っ直ぐに見て、はっきりとエイダンは言った。
その言葉に私はよほど間の抜けた顔をしていたのだろう。エイダンの言葉に驚いていただけなのだけれど、彼はそんな私の顔を見て吹き出すように笑った。
「そんなに驚くことでしょうか?」
「だって……その情報があれば、いくらでも公爵家に。」
その情報を使って、公爵家に何を願うことも思うがままだ。例えば……。
「公爵家に、貴女の婚約者になれるよう働きかけることも思うがままですね。」
頭の中で考えていたことを悪戯っぽく笑いながら言われ、思わず手を離した。ひょええと声を出しそうにもなったがポーカーフェイスを決め込んで耐える。片手は自由になったけれど、私のもう一方の手は包まれたまま。
私の反応を見てエイダンが、更に笑う。
「オーランド公爵にそう願いたいところですが、事はそう簡単ではないのです。ハーブの研究は国家機密であり、研究員が誰なのかは秘されているのです。研究員を把握しているのは研究室の所長である教授と、王、宰相、あとは研究員同士ぐらいでしょうか。研究員となると、決して他者に漏らしてはならないと制約をさせられるのです。その制約を破った場合……。」
「破った場合……?」
「最悪の場合、ありもしない罪を着せられて極刑です。」
「きょっ……極刑……!!」
「オーランド公爵も研究室が存在することは把握しているでしょうし、私が公爵にハーブのことを口にした時点で、制約を破ったことがバレてしまう。」
つまり私が例の紅茶を飲んでいることを知っていることで、公爵家に対して優位に立てるわけではない……と。むしろ私の秘密を知っているので、更に危険な立場にいるということではないだろうか。
そういえば前世では、エイダンはマリーを嫌っているというより、マリーのことを避けているような気もした。ゲームのエイダンルートでも、婚約者だから仕方なく傍にいるけれど、なるべくマリーに近づきたくないと主人公に漏らしていた。
もしかしたら、エイダンがハーブの研究員だったからという事情も、少なからずあったのかもしれない。
「そんな国家機密にするほどのハーブが存在するなんて……。」
ゲームではそんなハーブの存在なんてでてこなかった。ただゲームの世界でマリー・オーランドとして生きるだけだと思っていた。正直知りたくなかったし、私に大きく関わってくるなんて思いもしなかった。正直、頭が痛い。そんなハーブは、どこから現れたと言うんだろうか。
私が額に手を当ててため息をついて俯くと、
「詳しい事情はわかりませんが、ハーブは第2妃の出身国であるクラインよりもたらされた物だそうです。今はモリソン辺境伯の領地で栽培されているそうですよ。」
エイダンの言葉で俯いたまま目を見開き、なんとか動揺を落ち着かせた後、ゆっくりと顔を上げる。
第1王子ライアンの後ろ楯をなぜモリソン辺境伯がしているのか、やっと理解した。勿論それだけが理由ではないだろうけれど、モリソン辺境伯が後ろ楯をしている理由の1つで間違いないだろう。
「王と第2妃の婚姻の際に、もたらされた物なのでしょうか。」
「そうかもしれませんね。」
私の質問にエイダンが返す。それが何故、秘密裏に研究されているのか。まだ隠されている謎がある予感がする。そんな予感、当たってほしくないけれど。
頭を悩ます情報が増えて混乱する私の意識を引き戻すように、私の手を握るエイダンの手に力が籠る。
「説明した通り私は危うい立場にあるので、公爵家にマリー様の婚約者になれるよう働きかけることはできないのです。ですが。」
手を引かれ、そのまま私の手の甲にエイダンの唇の温もりが降りる。
「マリー様の婚約者にと願い出る立場になれるよう、努力します。」
エイダンの口角が弓なりに上がり、熱のこもった視線が私を貫く。あまりに直接的な想いに、頭がくらくらしそうになる。
何か言葉を返そうにもどう返せばいいのかわからずまごまごとしていたところで、馬車がガタンと一際揺れ、動きを止めた。
「残念、着いてしまったようです。デートはまだ始まったばかりです。ゆっくりと楽しみましょう。」
そう言ってエイダンが名残惜しそうに手を離す。
「祝祭日の教会に興味はございますか?あまり貴族は初日の教会には訪れませんが、初日にしか見れない催しもあるのですよ。」
馬車の扉のドアがノックされ、エイダンが馬車の小窓から外を確認すると、馬車のドアが開かれた。
「さあ、参りましょう。」
エイダンが再び、恭しく私に手を差し出した。




