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私は目の前にある小物入れが、リアムにとってそこまで思い入れのあるものなんて想定していなかった。
リアムが母親のように大事に想っていた女性が、大切にしていた物。
私にとってはこの身体の本当の主が欲しがっていた物なだけで、この身体になった時には亡くなっていたマリーの母親にはそこまで思い入れはない。
小物入れに対する思いが軽すぎる私が、『リアムルートを邪魔する為』なんていい加減な気持ちで貰っていい物なんかじゃない。
私は両腕を自分の後ろに隠して俯いた。
「そんな思い入れがある物、いただけません。それを、ただ叔母の娘だから貰うのは……違うと思います。」
「でも………俺に鍵付きの小物入れが無いか聞いてきたのは、父にも母にも知られたくない物が何かあったからだろう?」
「……まぁ、それは……そうなんですけど。」
リアムに図星を突かれ、答えに窮して言葉が尻すぼみになる。
欲しいものがあるなら言うように言われていたし、公爵かダニエラに言えば小物入れなんてすぐに買って貰えただろう。
欲しい物の要求をあまりしたことがないので、もっと何か無いかとよく言われていたから。
それはリアムも同席している場で言われたからリアムが知らないわけない。
でも今回、ジェシカ先生が渡してくれた小さなメモのような手紙から、思った。
いつまでも隠したいものを千切って窓から捨てる真似はできないから、侍女達にも見られない物を隠せる物が欲しいと。
公爵やダニエラからも、そして……ソフィアからも隠せる場所が。
だからリアムを頼った。
でも私が欲しい物が、リアムにとって深い思い入れのある物なら話は違う。
リアムから譲って貰えないなら、ずっと家にいて出掛けたかったと子どものようなわがままを言って外出せてもらって、こっそり買えばいい。
かつてのマリーのようなわがままを言うつもりはないけれど、それくらいの小さな事なら許される筈だ。
あの小物入れをエマに渡されたくはないけれど、諦めよう。
「………叔母に似ている人が持っていたら、余計に辛くなるだけでしょうから。」
私が頑なに俯いたまま頭を振ると、ギシッと音がして座っていたソファーが少し沈む感覚があった。
顔を上げると、リアムはローテーブルに置いてあったはずのあの小物入れを自分の膝の上に置いて私の隣に座っていた。
「叔母とマリーは、ふとした瞬間に似ていると思う時はある。でも俺が知る限りの叔母の性格と、マリーの性格はあまりに結び付かない。叔母は大人しい性格で、後先考えずに無鉄砲に行動して、従者を庇って前に出たり、王女の代わりに湯をかぶるような人ではない。」
「それ、遠回しに私のことをけなしていませんか。」
私が憤ってリアムににじり寄ると、リアムは私の方を見て忍び笑いをした。
「最初こそ、マリーの佇まいが叔母に似ていると思った。叔母とマリーを同一視しそうになったのは事実だ。でもあまりにも性格が似ていないことで、叔母とマリーは全く別の人格の別の人間だと理解させられた。」
「………そういえば、よくお兄様が私の顔を見て固まっていたのって、私の母に似ている部分があったから……?」
リアムは時々、私のことを凝視して固まっていることがあった。この部屋を尋ねた時も。
私が上目使いにリアムを見上げると、リアムはわざとらしく咳払いして、膝にのせていた小物入れを私の方に差し出した。
「ま、まぁ、そのようなものだ。」
リアムに半ば強引に膝の上に小物入れを置かれた。そして誤魔化すように、リアムは話を戻した。
「小物入れを欲しいとマリーが尋ねてきて、叔母の小物入れを目にした時に、俺はその小物入れをマリーに渡す仲介役として、叔母に選ばれたんじゃないかって思ったんだ。」
そう告げたリアムは、妙にスッキリとした顔をしていた。
リアムは納得して私にくれたみたいだけれど、私の中にはモヤモヤとしたものが残った。
私は本当のマリーじゃない。
でも本当のマリーだったら従者を庇ったりもしないし、王女の代わりに湯をかぶったりもしない。
ここまでリアムと仲良くなることもなかっただろう。
でも本物だったら受け取れる筈もない思い入れの深い物を、たとえ私の行動の結果とはいえ、偽物が貰ってしまっていいのか。
本物への思いが頭をよぎって、小物入れを前にして苦しい胸焼けのような気持ちがして、素直に受け取ってよいものか躊躇ってしまう。
「マリー?」
私のどこか暗い表情に気づいたのか、リアムが私の左肩に手を置く。
勝手に罪悪感を覚えたところで、自分が本物でないと言えない今、リアムに心配をかけてはいけない。
マリーなら喜ぶべきなんだから、笑わないといけない。
後ろに回していた手を、そっと小物入れの上に置く。小物入れは表面にコーティングでもされているのか、艶々とした手触りがした。
「お兄様の大事な物をいただいてしまったので…、何をお返しすればいいのか考えてしまって。」
なるべく自然に見えるように口角を上げて、リアムに向かって作り笑いを浮かべる。
私が今までリアムにどんな笑顔を浮かべていたのか、思い出せない。
そんな私を余所に、私が笑ったことでほっとしたのか、リアムは肩の力が抜けたように見えた。
「なら…………。」
そこまで言って、リアムは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「また、ケーキ店にでも付き合ってくれればいい。」
リアムの発言にキョトンとすると共に、さっきまで無理して笑って見せていたのに、自然に笑顔になってしまう自分がいた。
「本当に甘いものが好きですね。わかりました。前とは別の店が良いです。」
「何故だ。前にモード侯爵との件があったからか?」
「違います……3階まで階段を登るのが辛いからです!」
小物入れを見るたびに、多少の罪悪感は残るだろう。でも私がマリーとして生きていく中での、戒めにもなる気がした。
私はあくまで、マリーの代わりとして生きている偽物なんだと。




