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 掴んだままの腕から伝わる体温とリアムの上下する胸、顔にかかる息づかい、身体の重み。

 あぁ、目の前にいるのは生きている人間だ。

 唐突にそれを、理解させられた。



 離人感というんだろうか。

 私はマリー・オーランドの身体を間借りしている人間にいがきまりという感覚がぬぐえなくて、いつも何処か、ここは自分のいるべき場所ではないと思っていた。


 一緒に喋って、笑いあって、お茶したり食事したり。

 一緒に過ごしていても、共にいるのはゲームのキャラクターという思いがぬぐえなくて。たとえそれがゲームには出てこないソフィアやグレッタだったとしても、みんなゲームのキャラクターであるマリーに附属した存在であって、病気で死んだ新垣真理だったら会えなかった存在。

 テレビの液晶画面越しの薄い膜の向こうにいる相手と過ごしているようだった。

 遠い遠い、現実感のないもの。

 だから誰しもが、自分の目の前にいるけど、いない遠い人という感覚だった。


 ゲームのキャラクターであるエイダンに借り物の身体に対して好意を持たれても、とうてい受け入れる気にはなれなかった。好意を持たれたのは自分自身にいがきまりではなく、マリー・オーランドだから。



 でもリアムの体温は、息づかいは、重みは。紛れもなくそこ生きている人間だった。

 リアムのメガネのガラス越しに臨むアッシュグレイの虹彩が、狼狽えたように揺れ動く。その虹彩は、凄く澄んでいて綺麗だった。

 リアムが髪につけている整髪料の匂いなのか、少しミントに似た爽やかな香りがする。

 掴んだままだった腕は子どもながらに意外に筋肉があって、顔の横につかれた手は骨ばってごつごつしていた。

 私のほんの10㎝先にある顔の持ち主は、液晶画面の向こうにいるキャラクターではなくて、ちゃんと生きている男の子だった。

 ゲームのキャラクターであるとばかり思っていたリアムは現実を生きている男の子なんだと思ったら、一気に覆われていた薄い膜が剥がれた気がして、急にこの状況が恥ずかしくなった。



「リッ………に………お兄様……重い!近い!」



 顔を背けてリアムに対して非難の声をあげる。



「なら、その腕を……離してくれ。」


「あ……………。」



 腕を掴んだままだと、リアムは私から離れることができない。

 私のボケた発言を少しため息混じりにリアムに指摘されて、私は顔を赤くしながらバッと手を離す。リアムは私の手が離れた腕をソファーの背もたれについて、物凄い勢いで仰け反るように起き上がると、ソファーから少し離れたところに移動する。

 私も慌てて寝ていた身体を起こして、少し乱れた服装を直す。リアムのその耳は、少し赤らんでいるように見えた。多分、私の耳も同じように赤くなっていることだろう。顔が熱かった。



「ここここ小物入れが欲しいんだったな!ままま待っていろ。」



 リアムはどもりながら妙に大きな声で明後日の方向を向きながら言うと、ソファーの近くにあるのとは違う、部屋の奥まったところにある本棚へと向かった。本棚の一番下の段に藤で出来た大きめの籠があって、リアムはこちらに背を向けてしゃがみこんでソコをがさがさと探っていた。

 目ぼしいものが見つかったのか突然、ピタリとその手が止まる。

 何か思うところがあるものを見つけたのか、リアムはなかなか動かず、手元辺りを見下ろしている。

 声をかけようか迷っていたところで止まっていた手が動き、リアムは立ち上がると私の方に戻ってきた。その手には片手に1つずつ、2つの小物入れを持っていた。そのうちの1つはいうまでもなく、マリーの母親が大事にしていた『花と蝶の模様が彫られた小物入れ』だった。

 リアムは1度、部屋の入口を気にするような素振りを見せると、



「叔母………マリーの本当の母親が持っていたものだ。」



 そう言って小物入れを差し出した。

 執事や侍女達には知られてはいけない話題だからか、リアムは少し小声気味だった。



「マリーに渡すべきだったのに、なかなか言い出せなかった。」



 リアムは小物入れに視線を落としたまま、何か物憂げに思い詰めたような表情を浮かべた後、差し出した小物入れを、ソファーの前のローテーブルに置いた。



「自分は公爵家の後継者だから、父にも母にも甘えることは許されない。抱き上げられた記憶はほとんどない。でも、叔母は本当の母親みたいに優しかったのは覚えている。だから急にいなくなった時は、大事な人を奪われたようにショックだった。」



 リアムは身を屈めて小物入れを撫でた後、遠い目をした。その目は、ここではない遠い何かを見ているような目だった。



「叔母は、身体が悪いから療養しに保養地に行っていると聞かされた。ならば見舞いに行きたいから叔母さんがどこにいったのか知りたいと、誰に聞いても教えてくれない。それから少しずつ、自分が叔母のことを問いただした執事や侍女がいなくなっていった。だから最初は自分が叔母のことを聞いた人を辞めさせたんだと思って、俺のせいで辞めさせるわけにはいかないと、叔母のことを聞くのを止めた。両親の雰囲気も、俺が叔母の話題を出そうとすると空気が厳しいものになるから、聞いてはいけないことなのだと理解した。」



 リアムとマリーの母親に親密な関係があったことを知り、私は驚いた。

 貴族は自分の子どもの養育を乳母に任せるのが常識らしいけれど、後継者だからこそ余計に、公爵やダニエラは厳しい態度で接したのだろう。

 その代わりのようにマリーの母親が、本当の母親のように接すれば懐くのも納得がいく。

 でもマリーの母親はマリーを産むために、その存在を隠さざるをえなかった。



「叔母が居なくなって半年経った時、母までも療養の為に保養地に行くと言われた。叔母に続いて母までも。何か流行病にでもかかったのかと気を揉んでいたら、更に半年後に父親の書斎に呼ばれて、俺に妹が産まれたと聞かされた。本当は叔母の娘だけれど、母の娘として周知されるとも。」



 そう言って、リアムが小物入れから私に視線を移す。



「叔母が亡くなったと聞かされた時は、心臓が凍り付きそうなほどショックだった。いつか戻ってくると思っていた叔母さんの部屋が整理され、何も無くなっていく。それを受け入れたくなくて、この小物入れを欲しいとねだった。叔母が大事にしていたのを知っていたから、叔母の身代わりとして大事にしようと。でもこの小物入れを見るたびに、叔母がもうこの世にいないのだと理解させられてしまって見るのが辛くて、もういっそのこと手放してしまおうかと思いながら、部屋の箱の奥に押し込めていた。」



 その言葉で、リアムがなぜ、エマにこの小物入れを贈ったのか理解した。

 ゲームのリアムは、決してその小物入れがマリーの母親の物だと忘れていたわけではなかったのだろう。

 本来渡すべき相手であるマリーに贈れば、部屋の箱の奥に押し込めていたのが、同じ屋内の別の部屋に移るだけ。しかも大事な人である叔母と似た顔をした存在マリーが、叔母が使っていた思い入れのある部屋でそれを持っていれば、更に亡くなった叔母のこと思い出させられて辛くなるだけだから。



 リアムに軽い気持ちで小物入れを譲ってもらおうとした自分が恥ずかしくなって、身を小さくした。

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