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ジェシカ先生は兄妹が仲良くて良いわねと微笑ましいものを見るような目で私を見る。
リアムとパートナーを組むと教えることで婚約者がいないことはバレるけど、そこは仕方がない。
私の言葉に納得して引き下がるかと思いきや、ジェシカ先生は仕舞いにしようとはしなかった。
「揃いの姿をされたお二人は素敵でしょうね。けれど、差し出口かもしれませんが、デビュタントといったらマリー様の御披露目でしょう?どうせならお兄様ではなく、素敵な殿方と出るのを夢見たりはしませんの?」
まるで私のことを気にかけていますという風な物言い。お茶がなくなり、ジェシカ先生が意味ありげにカップを持つと、すかさずソフィアが紅茶をサーブする。
兄と出るなんて普通じゃないし、実際は兄妹ではないけど、そんなこと教えられないし。
なら『兄と出るので諦めてください』作戦から、方法を変えるしかないと、私は作戦を変えた。名付けて『マリーはブラコンです』作戦だ。
胸に手を当てて目をキラキラさせながら、嬉しそうに思い馳せるようにジェシカに告げる。
「でも兄以外に素敵な殿方を私は知りませんわ。優しいし、顔も端正で背も高いでしょう?先生も素敵だと思いませんか?」
わざと身を乗り出して、他の人なんて眼中にないという風に胸を張って。
「一緒に出掛けた時は、丁寧にエスコートしてくれて。買い物にも嫌がらず付き合ってくれて、私に似合うものを選んでくれたり。私の好きなケーキ店の個室を予約してくれて、美味しいケーキを選んでくれたり。」
まるで何度も一緒に出掛けた仲良し兄妹のように聞こえるだろう。
一緒に出掛けたのは一回だけ。刺繍箱を買いに行って、リアムが行きたがったケーキ店に行っただけ。ただし、何一つ嘘は言っていない。
「兄は私の理想なんです!」
わざと声を弾ませて、笑顔でアピールする。
すると、ジェシカは私の勢いに気圧されたように目を見開いた後、気を取り直したように微笑む。
これで行けるか?と様子を見つつ紅茶を飲むと、ジェシカは私の勢いに押されながらも、まだ目の光は消えていなかった。
「でも、世の中は広いですし、マリー様のお兄様以外にも、素敵な殿方はたくさんおりますわ。」
なんて厄介な……!
まだ諦める様子もなく振り出しに戻る。
ジェシカ先生の相手はそろそろキツくなってきた。
私はまだ中身が残っているカップを手に、ジェシカ先生に見えないように、私の後方に控えていたソフィアの方を向いて眉を下げて困り顔をした後に、ウィンクする。
「ソフィア、お茶のお代わり貰える?(訳:代わりに対応できる人を連れてきて!)」
私の必死な様子にソフィアは眉を一瞬ピクリと動かすと、理解したという風に微笑んで私の後ろから移動し、追加の紅茶を頼むような素振りで部屋の隅にいた侍女の元に向かい耳打ちする。
後はソフィアに頼まれた侍女が誰かを連れてくるまで、場を持たせなくてはならない。
油断ならない相手を前に、虚勢をはって必死に口角をあげる。ただし、あくまで自然に見えるように。
「でも、そんな素敵な方なんて、兄以外に知りませんわ。」
頭を振って更にだめ押しする。ブラコン作戦の続行を試みると、ジェシカ先生は口に手を当ててわざとらしく「まぁ!」と声をあげた。
「それは勿体ないことですわ。例えば……私の甥のエイダンも、素敵だと思いませんこと?」
そう言って、すかさずジェシカ先生は私の方に手を伸ばして、しっかりと私の手を握りしめた。
クシャリ。
その刹那、私の手の内側に何か紙のような物が押し込められた。
え?
私が動揺して目をパチクリとするとその手を押し戻され、隠せというようにジェシカ先生が自分のスカートのポケット辺りを叩く。
私のすぐ後ろにソフィアがいたら、その紙を渡したことすらばれていたと思う。
私がすぐにスカートのポケットにその紙を入れた時、ソフィアが戻ってきて私の後ろに立った。
「エ、エイダン先生は素敵ですけど……かなり年上ですから。」
動揺を隠しつつ笑顔を浮かべると、ジェシカ先生はやっと折れたという風にわざとらしく肩をすくめて見せた。
「それは残念ね。さてと……そろそろお暇させていただくわ。また何か相談があればすぐ診ますから、連絡してくださいませ。」
ジェシカ先生はそう言って椅子から立ち上がる。
まるで、もう目的は果たしたかのように。私も続いて玄関まで見送ろうと椅子から立つと、それに気づいたジェシカ先生に止められた。
「どうぞ、マリー様は部屋でごゆっくりなさっててください。火傷は治ったとはいえ無理はダメですから、部屋で本でも読むなどしてゆっくりなさってくださいませ。」
「わかりました。では……ソフィア、お見送りをお願いできる?」
「わかりました。」
ソフィアが先生と連れだって廊下に出ると、廊下から『先生、もうお帰りですか?』とダニエラの声がした。多分、ソフィアが申し付けた侍女がダニエラを呼んだのだろう。
私は部屋に自分しかいないのを確認するように周囲を見回した後、ポケットからジェシカ先生に渡された物を慎重に取り出した。
手の内側に入るようにするためか、小さく折りたたまれたメモ用紙のようなそれには、こう書かれていた。
『いつも飲んでいるお茶に注意。いつから飲まれている物ですか?何か変わったことがあれば伯母か私に連絡を。エイダン』
咄嗟に、テーブルにセットされた紅茶のカップに視線をやる。
いつも飲んでいるお茶といえば、隠れ家でもずっと飲んでいた、公爵家が懇意にしている商会に特注でブレンドしてもらっているというハーブティーしかない。
いつから飲んでいるかと言っても、飲みなれたあのお茶は隠れ家にいたときから飲んで………。
そこで私はハッとしてメモに視線を落とした。
違う。 私はもっと前から飲んでいた。
少し甘味のあるハーブティーを、もっと前から飲んでいた記憶がある。
何故気づかなかったのか。味に慣れていたからなのか、マリーと記憶が混ざっているからわからなかったのかもしれない。
あのハーブティーを、公爵家で1周目でも飲んでいた記憶がある。
エイダンの前であのハーブティを飲んだのは、たった1回だけ。それ以外の時は、エイダンが飲んでいるものと同じものを飲んでいた。今思えば、そのハーブティを飲んでいるのをエイダンが気にする素振りをしていた気がする。
エイダンの授業の時には、必ず2人きりではなくて、侍女か執事が傍にいた。そしてジェシカ先生の治療の時も、傍には必ずソフィアがいた。
医師であるジェシカ先生は勿論のこと、エイダンは大学で医学の勉強をしていたから、医学の知識がある。
エイダンはハーブティーの何かに気づいて、私にずっと伝えようとしていたのだろうか。そして、ジェシカ先生にも手伝ってもらう形で。
メモ帳は細かくちぎってバラバラにした後に、窓を開け放って外に放った。細かくなった紙が空を舞い、風にのって飛んでいくのを見送る。冬なら暖炉に捨てるところだけど、火もつけていない暖炉に捨てても意味がないから、窓の外に捨てるしかなかった。
あのハーブティーが何なのか気になって仕方がなかったけれど、火傷の治療の間休んでいた家庭教師の授業が始まったとしても、必ず傍にエイダン以外の誰かがいる。直接話はできそうにないと思い、手紙をしたためることにした。
ジェシカ先生のように何らかの方法で、いつでも渡せるように。




