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開け放った窓から麗らかな午後の日差しと涼やかな風が入り、その心地よさについうとうとしてしまいそうになりながら、自室の机に向かっていた。
私は他の令嬢やエイダン、そして王女リーゼから届いた手紙を、整理していた。
私がリーゼをお茶に誘う手紙を書いて数日後、公爵から、リーゼの謹慎が解かれたと聞かされた。
公爵が登城するようになって、更に私がリーゼを許すことを示唆する手紙が書かれたのが後押しになったらしい。
それにしても怪我を負わせたのが高位の貴族の娘だとはいえ、王族からしたら下位の者だ。当事者である私からしたら大事だったけれど、そんな娘1人怪我させたくらいで王族の娘を謹慎処分にしたのが実は意外だった。
五大公爵家の娘だからなのか、それともそれがどこの誰であろうと貴族の娘を怪我させたことにひどく責任を感じているからなのか。
いくら私が怪我をしたことで、公爵が登城拒否していたとしても……。
それに、ダニエラは王から届いた私とアクセルを婚約させるという旨の手紙に対して、『王族は自分達の価値を重く見すぎだ』とひどく憤慨していた。
通常、娘が王子の婚約者となれば、もしその王子が王となれば婚約者である娘は第一王妃として強い力を持つ。娘の親である公爵は、その後ろ楯として台頭し、王宮内で更に強い発言力も持つことも可能になりえる。
貴族の婚姻は親が決めるもの。
もし私が嫌と言ったところで、公爵に話を進められたら逃げることはできない。
それを、価値が低いと直ぐに切り捨てられた。
もしかしたら、今は少し王族の求心力やその立場が弱い状態にあるのかもしれないと感じた。
1周目との違いは、やっぱり……2周目から出てくるキャラクター、第一王子ライアンの存在が少なからず影響を与えている気がした。
「マリー様、もうすぐ医師のジェシカ先生が来られますから、手紙は片付けてください。」
考え事はぼうっとしながらするものではない。
同じ室内に居たのはわかっていたのに、ソフィアに背後から話しかけられて肩がビクッと跳ね、手紙を数枚、床に落としてしまった。
ソフィアが直ぐに屈み、手紙を拾い上げてくれる。他にも室内に侍女がいるので口にはしないが、その視線は『何をしてるんですか』と、若干あきれ気味だった。
今日は火傷した肌の最後の診療 (予定)だ。前回の診療の時にもうほぼ治っていたので、日差しを浴びても問題がないと言われたから、今は窓もカーテンも自由に開けている。
やっぱり暗闇の中を過ごすのは気が重くなったので、カーテンを開けられるようになったのが嬉しかった。
「失礼いたします。ジェシカ先生をお連れしました。」
「…っ……どうぞ。」
自室のドアをノックされ、侍女の声がかかる。
慌てて机の引き出しの中に手紙の束を押し込むと、部屋のベッドの端に座って返事した。
私の声がかかると、侍女の案内でジェシカ先生が入って来る。ジェシカ先生は私の姿を目に入れると、ドアを背に深々と礼をして、私の方に歩を進める。
医師が座る椅子は、ベッドの横に既に用意されている。
流石に診療の時は外から見えないように窓を閉めて、外の光だけは入るように二重のカーテンのうち白いレースカーテンだけをひく。肌の状態がひどい時は遮光カーテンもひいて、部屋全体をいくつものランプを置くことで明るくして診てもらっていた。
カーテンを閉めると、ソフィアを残して侍女達は部屋から出ていく。
「マリー様、お身体の具合はいかがですか?」
ジェシカ先生は公爵の依頼で、4日に1度は私を診に来てくれていた。高齢というには少し若い、50代くらいの女性だった。名前はジェシカ・キースウッド。エイダンの伯母だそうだ。
丸メガネがチャームポイントで、笑うと口の端にえくぼができる可愛らしい人だ。
少し目元がエイダンと似ているので、親族なんだなとぼんやり思った。
「もう痛みもほとんどないです。」
「それなら、今日はもう一度肌を診て、治療は終了かもしれませんね。」
ジェシカ先生の言葉を合図に、私が前開きのブラウスの胸元をはだけて、肌着をたくしあげる。髪は邪魔にならないように、前もってソフィアに、緩めに後ろで結ってもらっていた。
ジェシカ先生は肌の状態を軽く触診すると微笑み、ブラウスの前を閉じてくれた。
「もう大丈夫です。綺麗に治っているので、治療は終了です。」
「よかった!ありがとうございます、ジェシカ先生。」
火傷の治療が終われば、ようやく自由に外出ができるようになる。そしたら、リーゼとのお茶の約束も果たせる。
私が礼を言ってブラウスのボタンを止めながら微笑むと、ジェシカ先生も嬉しそうに微笑む。目元にできる笑い皺も、エイダンとそっくりだった。
私がソフィアの手伝いで身なりを整えている間、私室の丸テーブルの上に、外に出ていた侍女を呼んでお茶の準備をしていてもらう。
火傷がほとんど治ってきてからは、診察の後にジェシカ先生とお茶の時間を作っていた。
侍女達以外から外の情報を得る貴重な機会だった。
身なりを整えるとはいっても、ブラウスの上から上掛けを着て髪を綺麗に結ってもらうだけだけど。
私の身支度も終わって、先にお茶の準備されたテーブルの席に着いていたジェシカ先生の元に向かう。
「お待たせしました。」
ジェシカ先生は冷めてしまうのもかまわず、紅茶を一口も飲まずに待ってくれていた。
私に紅茶がサーブされると、ようやくジェシカ先生が紅茶を飲む。私にサーブされたのは、ソフィアが気を遣ったのかエイダンが贈ってきた紅茶だった。
私も続くように紅茶を飲もうとするのを、ジェシカ先生はどこか様子を観察するように見ているのに気づいた。探るようなその目が気になる。
「どうかしましたか?」
私が飲むのを止めて何気ない風にカップを置くと、途端に先生は目を細めて笑い頭を振る。
「確か、マリー様のデビュタントは3年後だったかしら……と思いまして。」
いつもは街にできた新しい雑貨屋やカフェの話をしていたけれど、今日でジェシカ先生の治療が終わって通うこともなくなるので、そろそろジェシカ先生から出る気がしていた話題だった。
「ええ、デビュタントまであと3年ありますけれど、母はそろそろドレスのデザインを考えようとしているみたいでした。」
「貴族の一員と認められる一大イベントですものね。マリー様のドレス姿は素敵でしょうね。」
何となく奥歯に物が挟まったような違和感を感じる会話だ。
ジェシカ先生がデビュタントについて聞きつつ、本当に知りたいことはわかっている。先生が話を持っていって本当に聞きたいのは、十中八九、デビュタントでの私のパートナーの有無だろう。
基本的にデビュタントは、婚約者がいる人は婚約者がパートナーとなる。生まれた時に既に婚約者が決められている人もいるので、それは珍しいことではない。
必ずパートナーが必要なわけではないので、パートナーなしで参加して、デビュタントでパートナーのいない婚約者となりえる候補を探す人もいる。
1週目のデビュタントでは、マリーに婚約者はいなかったけれど、マリーが見栄をはってパートナーを欲しがったので、パートナーをしていたのは兄であるリアムだった。
それを見て本当にリアムがマリーの婚約者ではないかと、勘違いした人もいたようだった。兄とわかったらその噂もすぐに立ち消えたけど。
ジェシカ先生は恐らくエイダンの私への好意に気づいていて、婚約者がいないのか探りをいれているんだと思う。
エイダンにもジェシカ先生にも悪いけれど、今はその気はないことを理解してもらうしかない。
「ありがとうございます。母は私のパートナーとして兄を予定していて、衣装も揃いのものをデザインしようとしているみたいです。気が早いですよね。でも兄と揃いの衣装は、私も楽しみなんです。」
そう言ってニッコリと笑って、ジェシカ先生の反応を見る。
公爵家より下位の家柄であるエイダンからは、私のパートナーを勤めたいとなかなか言い出しにくい。だから私にパートナーがいないと聞けば、ジェシカ先生の仲介で甥のエイダンはどうかという話題に持っていきたかったのだろう。
公爵家に話は持って行きづらくても、懇意にしている私自身になら話をしやすいとふんだのだろう。
でも既に母であるダニエラが話を進めていて、それを私が楽しみにしてると聞けば、私へのパートナーとしてエイダンはどうかという話題は持って行きづらくなる。
ちなみにリアムをパートナーとしてデビュタントに参加予定というのは大嘘で、実はまだ何一つ決まっていない。
嘘も方便だ。




