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「うるさい………うるさい、うるさい!どうせお前は…………。」
アクセルの目は据わっていて、今にも何か仕出かしそうな様子だった。
人を射殺さんばかりの視線の矛先は、先程までアクセルを叱りつけていたリーゼに向かっている。
何かを嫌な胸騒ぎがする。
「どうせお前は……何ですの?」
リーゼはアクセルの言葉を受けて、どこか煽るような調子で挑戦的な視線を返した。わざとアクセルがリーゼに対して悪態をつくように仕向けているように見えて、それが不可解だった。
最初に彼女を見た時の、下を向いて俯き、目を合わせただけで目を伏せた大人しそうな少女といった姿とは似ても似つかない。むしろそれは演技で、これが本当の彼女なのだろうかと思ったほどに。
穏やかになりかけていた周囲の空気が、また凍りついていく。流石にリーゼの方もアクセルの態度が全く平気なわけではないようで、握りしめた手が僅かに震えている。
アクセルは自分を鼓舞するが如く先程まで私にかけた紅茶が入っていたカップを床にはたき落とした。
「どうせお前はこの国から出ていく癖に、次期王となる俺に逆らう気か!?」
国から出ていく。
それはもしかしたら1周目でリーゼがデビュタントにも学院にも居なかった理由だろうか。
カップが割れた音でリーゼは一瞬肩をビクリと揺らしたけれど、その視線をアクセルから離すことはなかった。
視界の端でフローレス夫人が執事に何かを耳打ちした後、此方に向かってくるのが見えた。しかし、夫人が来る前にコトは動いた。
「お兄様が王になるかなんて、まだ決まっておりませんわ。王になれる存在は、お兄様以外にもおりますでしょう?」
「それは、あの出来損ないのことを言っているのか!病弱だからと離宮にいて、姿すら現さない引きこもりの……!」
リーゼの言葉に、アクセルは配膳された新しいケーキの載った皿すらも癇癪を起こした子どものように払い落とすと、執事が運んできたカートに手を伸ばした。
カートの上には空のティーポットと茶葉の詰まった缶、そして湯が入っているであろう銅製のケトル。
ダメ!!
私ははっとしてリーゼの身体を自分の身体で押しやると、私は咄嗟にさっきドレスを拭くために渡されたタオルを彼女に向かって少しでも盾になるように投げると、リーゼが居たはずの所に立った。
その瞬間、最初に感じたのは熱さよりも鋭い痛みだった。
「マリー!!!」
後方から聞こえたダニエラの金切り声にも似た叫び。
上半身に感じる物凄い熱と激しい痛み。
テーブルがあったお陰で下半身にかかることは避けられたけれど、お茶を淹れる為に運ばれていたケトルの中の湯をまともに胸元に浴びせられたのだ。
事態に気づいたアクセルは流石にまずいと思ったのか、今さら顔を青ざめさせている。流石に初めてのお茶会での許される程度の失敗というには、度を越えていた。
「マ、マリー様!」
私に押し退けられて床に倒れこんでいたリーゼが、事態に気づいて口元をわなわなと震わせる。
上半身に湯で熱くなったドレスがはりつき、更に痛みが増す。床とテーブルにポタポタとその滴が垂れる。
私は必死に火傷による激しい痛みを堪えながら、平気そうに笑顔を浮かべた。
「っ……湯が冷めていたようですわ。それほど熱くありません。申し訳ありませんが、こちらの掃除をお願いできますか?そして……着替えのためにこの場を辞すことをお許しください。」
こちらに向かってきていたフローレス夫人に告げると、夫人は察したようで貼り付けたような笑みを浮かべて頷く。退室の許しを得るためにリーゼに向かって告げると、リーゼは執事に助け起こされながらも顔を青ざめさせただコクコクと頷く。
アクセルもフローレス夫人もリーゼも、近くで見ていてこれが冷めた湯ではなく、煮えたぎった湯だったとわかっているだろう。
私が笑顔でコトを終わらせようとしているのは、このお茶会を失敗させない為だ。
もしこのお茶会で公爵令嬢が火傷をしたという噂が広まれば、フローレス侯爵家はまともな茶会が開けぬ家だと名に傷がつき、またそれが商会の評判にも繋がる。そうすれば、侯爵家の布を使用したドレスを制作したマダムルーシーの評判にも繋がり、回り回って公爵家の評判にも繋がる。
たとえそれが王族の横やりが入ったからという理由があったとしても。
痛い……痛い……痛い!!
私は背筋をシャンと伸ばし周囲のテーブルに座る令嬢方に向かって極上の笑顔を浮かべて見せると、会場の入口に向かって歩いた。
歩くたびに胸元に熱くなった布地がはりつき、皮膚が悲鳴を上げる。
あともう少し、あともう少し!
その凛とした立ち姿はとても優雅であったと後に評判となり、くしくもマリーの着ていたその濡れたドレスが会場の照明を受けて更に美しく映え、使われた布が後程飛ぶように売れたのは別の話である。
痛みに堪え、入口ドアの前でドレスの裾を持ち上げ全員に向かってカーテシーをして見せると、フローレス侯爵家の侍女により開けられたドアから、なんとか会場の外に出る。背後でドアが閉まった途端、私はあまりの痛みからその場に倒れこんだ。




