66
おおお……お兄様???
アクセルに対して兄と呼ぶ存在など、1人しかいない。侍女なんてとんでもない!
アクセルの妹にして第1王女の……え、えーと………?
貴族録にその名前が載ってたはずだけれど、記憶にない。
王女はゲーム中では第3妃の娘がいるという程度の説明しかなく、その姿を見せることは一切ない。
1周目で王女はこの国の王族なら必ず参加するはずのデビュタントに参加しておらず、何故か同じ学院にも参加していなかった。
だから無意識にその存在を無かったものとしていたのかもしれない。
なぜ気づかなかったのだろう。
知って改めて王女を見れば、彼女に対する既視感の理由にようやっと気づいた。
彼女の顔つきはライアンにそっくりで、その髪の色まで同じ。恐らく父親である王に似たのだろう。
まさか同じテーブルについているのが第1王女なんてわからなかった。
どうやらアクセルとは違って王女はほとんど表舞台に姿を表していないようで、だから王家が主催するパーティーやお茶会によく参加しているダニエラやフローレス侯爵夫人も気づかなかったのだろう。
他の人たちにとっても同じようで、私がお茶をかけられた時以上に周囲のざわめきが大きくなった。
王女はアクセルを立って睨み付けたまま、勢いのまま捲し立てるように告げた。
「お兄様は侯爵家の商会で新たに販売する予定の品物がどうしても気になるから、このお茶会に参加したいとおっしゃいましたね。けれど女性ばかりのお茶会に参加するのは気が引けるから、私にどうしてもついてきて欲しいと。だから仕方なく私は参加しました。」
王女は『仕方なく』の部分を強調して告げる。本当は来たくなかったのがありありとわかる言い方だ。そのヒトコトヒトコトに、アクセルに対しての刺がある。
「王族が2人も参加するとご迷惑になるから、どうしても参加するなら私のことを伏せて欲しいとも言いました。けれど、特定の令嬢に対し失礼な態度をとる為に参加したと言うのなら黙っていられません!」
「いや、そういう訳では……。ただこの女が!」
アクセルが私の方を指差し、王女の方に向かって身をのりだして口を挟もうとしたけれど、その瞬間、また王女に睨まれて気圧されたように表情を歪ませてひゅっと身を縮めた。
「お黙りなさいませ!令嬢にお茶をかけるという失礼を働いておいて、その令嬢に向かって言うに事欠いて『この女』とは何ですか!しかもこの令嬢の着ている物が、侯爵家の商会で販売する予定の品を使った物のようではありませんか!その品物にお茶をかけて台無しにしておいて、どうするおつもりですか!!」
そのあまりの剣幕に小さくなったアクセルの姿は、1周目のアクセルからは想像できないものだった。
いつも偉そうにふんぞり返っていたアクセルが、身を縮めて困ったような顔で王女を見ている。
その姿はあまりに滑稽だった。
執事が私のドレスを拭くためのタオルを持って近くに居はするのだけれど、王女の剣幕に気圧されて傍に来れないのか、少し離れたところに立ち、執事の視線が王女とアクセルの間を行きつ戻りつしていた。
貴族は自分より上の立場の人間に対しては、誰かから紹介を受けたり、本人から話しかけられない限り、声をかけることもできない。
アクセルはフローレス侯爵夫人が仲立ちしたから
良いけれど、王女に対してはアクセルが仲立ちしてくれないと、声をかけることすら許されず不敬に繋がる。
私は2人の間に座っていると言うのに2人に話しかけることもできず、そして執事が近寄れないので濡れたドレスを拭くこともできず、また着替えるために2人に声をかけて席を立つこともできない。
なんとも気まずい思いをして、執事と同じように視線を2人に行きつ戻りつさせていると、不意に王女と目が合った。
驚きのあまり失礼ながらビクッと肩を震わせると、王女は私の胸元を一瞥した。紅茶は少し胸元に染みて、茶色い模様ができていた。それに気付き、王女がこちらを気遣わしげな目付きで見やると私の方に頭を下げた。
「初めまして。第3妃の娘のリーゼと申します。確か、マリー様とおっしゃいましたわね。兄に代わり謝罪いたします。火傷はされておりませんか?」
突然会話の矛先が自分に移ったので、一瞬脳みそが停止して返事が遅れた。なので、リーゼは本当に火傷したのではないかと疑ったらしい。
「兄を叱ることを優先して、その身を危険に晒してしまいました!火傷が酷いようなら、すぐに処置を!」
慌ててこちらに駆け寄ろうとするリーゼを何とか制するために口を挟む。
「ご心配には及びません。紅茶は冷めていたようなので、問題ございません。改めましてご挨拶させていただきます。オーランド家の長女、マリーと申します。」
リーゼだけを立たせて自分が座ったまま会話するわけにも行かず、席を立ってリーゼに対して深くカーテシーをする。アクセルに対してのカーテシーよりも深い敬意を込めてしまうのは、仕方ないことだろう。
本当は許しがたいけれど、王女に謝られてしまっては受け入れるしかない。
アクセルの方はというと、私に謝るリーゼが気に入らないのか、一番謝罪をすべき本人なのに頬を膨らませて視線を反らし不満そうにしている。
マリーを断罪したのはアクセルが18歳の時で、生まれ変わってからの年数を足せば中身は20をとうに過ぎているだろうに、精神的にまったく成長してないようで呆れる。
逆にリーゼの方はというと、アクセルより年下だというのに、明らかに年齢に見合わぬ威厳があった。まさに王女というに相応しい少女だった。
空気がいくぶん和らいだおかげか、やっと執事が私に近寄ってタオルを手渡して来た。それを受け取り胸元をようやく拭くが、完全に染みていて拭くだけでは修復ができそうになかった。
実はカラーバリエーションが他にもあることを紹介する目的で、他のドレスもトルソーに着せて見せる段取りで持ってきてあった。こうなったら他のドレスに着替えてくるしかない。
空気を変えるためか、フローレス侯爵夫人の采配で新たなお菓子が各テーブルに運ばれて、その後に新たに紅茶が淹れられたティーポットとカップの乗ったカートも各テーブルに運ばれ、振る舞われていく。
もちろん、私とアクセルとリーゼの居るテーブルにもお菓子とお茶の乗ったカートが運ばれてきた。
このタイミングでこの会場を離れるのが最適だろう。
「せっかくのお茶会と素敵なドレスを兄が台無しにしたこと、改めてお詫びいたします。」
リーゼがそう言って再びアクセルを睨み付ける。
「いえ、実はドレスは………。」
私がリーゼに対してドレスの代わりがあることを説明しようとすると、さっきまで不満げにしていたアクセルまでもが急に立ち上がると、私の言葉を遮るように口を開いた。




