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「海をモチーフにしたドレスはいかがでしょう?」
「良いわね。何か良いデザイン案があるかしら?」
ルーシーはダニエラの言葉を合図に、持参していた鞄から紙とペンを取り出すと、傍にあった机に置き思い付くままに何やら書き出した。ダニエラはその紙を覗き込み、一緒になって目を輝かせている。
最初は春から夏にうつろう季節のイメージでドレスのカラーを選んだのに、結果的に私の一言で完全に夏を先取りドレスという方向に進んでしまったようだった。
海は前世にまだ小さくて元気だった時に、両親と祖父母に連れられて行った記憶がある。
波打ち際を素足で歩いた程度だったけれど、波が打ち寄せたりひいたりする砂地を歩くのはとても楽しかった。
波に足を取られて転びそうになるのを、お父さんに手を引かれ……て………?
その時、何だか自分の記憶が異質なことに気づいて、思わず自分の額を押さえた。
確かに父親と浜辺を歩いたはずなのに、その父親の顔が塗りつぶされたように真っ白で、顔がわからない。思い出はあるのに父親の顔の記憶がなくなっている。
おかしい、何かがおかしい。
得体のしれない気持ち悪さに、何かが込み上げてきそうになり俯いて口元を押さえる。
私のお父さん、どんな顔だった?
心臓が早鐘を打ち、言い様のない不安が心を占めていく。冷や汗が背中を伝い、思わずえづきそうになった時、すっと目の前に何かが差し出された。
顔を上げればソフィアが紅茶が入ったカップを私に差し出していた。私のお気に入りの紅茶の香りを嗅ぐことで、すっと気分が楽になったような気がする。
「ありがとう。」
ソフィアに差し出された紅茶を受け取り、1口飲めば心が凪いでいくのを感じた。
「午後はずっと立ったままドレスの調整をされていましたし、お疲れかと思い用意しましたけど……どうかされました?少し顔色が……。」
心配そうにこちらを伺うソフィアに、問題ないと微笑んでみせる。
「いえ、大丈夫よ。ちょっと…。」
「マリー、ドレスにつける宝石は何が良いかしら?」
ソフィアに話そうとしたところをダニエラに遮られ、私は苦笑しつつまだ中身の残っているカップをソフィアに返した。その時には気分の悪さは霧散していた。
「ソフィア、紅茶ありがとう。」
大丈夫、思い出せた。
塗りつぶされたと思ったのは勘違いだったようで、きちんと私の中の記憶として蘇った。
お母さんが浜辺を歩く私に手を振ってカメラを構えている。そして、その私の手を引くお父様の顔を。
カップを受け取ったソフィアに礼を言うと、ソファーから立ち上がりダニエラの元に向かった。
私はまだ何か思うところがあるソフィアが、どこか憂いた視線を私に向かって投げ掛けていたことに気づいていなかった。
お茶会の当日、私はルーシーが仕立てたドレスを身につけて侯爵家に向かう馬車に乗っていた。私の隣にダニエラが座っている。
ドレスは腰より少し高い位置にドレスより濃い紺色の切り替えのラインがあり、切り替えのラインの位置が高いことで足が長く見えるようになっていた。
スカートは中にスカートを大きく広げるためのパニエは使用せず、ドレープをたっぷりとつけたことでスカートが流れるようにふんわり見えるようになっている。自然に身体のラインに沿うそのドレスの形は、エンパイアスタイルというらしい。
ドレスの胸元には小さな真珠をビジューのように使った飾り縫いがされており、シンプルながらとても綺麗でとても気に入った。首にアクアマリンの1粒ネックレスをつけ、頭には真珠とアクアマリンを使った髪飾りをつけている。
使っている真珠もアクアマリンも、生地と同じ国から取り寄せた品物だそうだ。
お茶会の5日前にはお茶会の参加者の載ったリストを渡されていた。今回のお茶会はダニエラの従姉妹であるフローレス侯爵家の侯爵夫人が開いたもの。そこまで規模が大きなものではなく、ダニエラのごくごく仲の良い家柄の女性達のみが集められているそうだ。
「参加者リストを見たからわかると思うけれど、貴方と同じくらいの年齢の女の子も参加しているから、お友達ができると良いわね。」
ダニエラが私の肩をそっと撫でる。
公爵家にとって仲良くすべき家と気を付けないといけない家はすべて頭に入っている。でも今回集められているのはダニエラの友人やその縁戚なので、そこまで気を遣わないといけない家の者は来ていない。だから安心して友人を作れそうだった。
マリーは1周目で誰一人心を許せる友人がいなかった。傍にいたのは第2王子アクセルの婚約者であるマリーと一緒にいておべっかを使い、アクセルが王となると同時に王妃となるマリーから甘い汁を吸おうとする者だけ。その時傍にいた貴族子女の名前は覚えており、関わるつもりは一切なかった。
今回のお茶会の招待客には私が覚えている名前は1人もいなかったので、少し安心した。
「そうですね。友達……出来ると良いです。」
貴族はどうしても家柄で見られ、利害関係が発生してしまう。それを抜きに会えそうな今回のお茶会は貴重な機会なので、少しでも話ができる友人が出来れば良いと思った。そうすれば、もし学院に通って断罪イベントが起こったとしても、味方が出来るかもしれないから…という打算である。
馬車が侯爵家に着き、外から御者によってドアが開けられる。先にダニエラが降り、次に私が続く。
フローレス侯爵家はオーランド公爵家ほどではないが大きな邸宅だった。邸宅の横には広大な庭園があり、フローレス侯爵の趣味で庭には緑の垣根を利用した迷路まであるらしい。
執事に案内されて邸宅内を進むと、今回のお茶会の会場らしい部屋の前で、華やかなドレスを纏った女性が1人立っていた。
「ようこそ、ダニエラ。来てくれて嬉しいわ。」
「こちらこそ、招待してくれてありがとう。」
ダニエラが女性の手を取って微笑むと、同様に女性が微笑む。どうやらそこに立っていたのはダニエラの従姉妹のフローレス侯爵夫人だったようだった。かなり仲が良いようで、がっしりと手を握りあっている。
ただこの会の主催のはずなのに、なぜ会場におらず、そこに立っているのだろうか。
侯爵夫人はダニエラから私の方に視線をやると、微笑みかけてくれた。
「マリー・オーランドと申します。ご招待いただきありがとうございます。」
すかさずスカートの裾を軽く持ち上げて笑顔で礼をすれば、侯爵夫人は私の姿を見て自分の両頬に手を当てると、ほうと息を吐いた。
「貴方がマリーね…話には聞いていたけれど、素敵なお嬢さんだわ。うちの商品を使ってくれてありがとう。よく似合ってる。」
そう告げて私のドレスを上から下まで眺めると、そのドレスが商売の種となると踏んだのか目を輝かせる…というよりは、欲が混じるギラギラとした視線を向けてきた。
そんな彼女に苦笑したダニエラが、その視線を遮るように私の前に立ってやんわりと彼女を止めた。
「ドレスが気になるのはわかるけれど、なぜ貴女がこんなところにいるの?主催者でしょう?」
ダニエラの質問に侯爵夫人は途端に表情を曇らせると、彼女はダニエラに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。参加者のどなたかが、今回のお茶会のことを別のお茶会で話したようで横槍が入ったの。」
顔を上げた侯爵夫人はあからさまに不満を露にしてため息をつくと、今回の会場の入口を示した。小さな声で私とダニエラにだけ聞こえるように告げる。
「招かれざる客が来たの。招待するつもりはなかったんだけど……。」
侯爵夫人が合図をすると、執事がお茶会の会場の扉を開く。すると、本来なら一番の賓客であり私とダニエラが座る予定だったのだろう上座に、見覚えのある真っ赤な髪の少年が座っているのが見えた。