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ケーキ店から帰宅したら、リアムやジェイの報告で夜にでも公爵に呼ばれて何か言われるんだろうとどぎまぎしていた。けれど公爵は王宮での仕事がたてこんでいたらしく、ゆっくり腰を据えて話をすることができたのはケーキ店での出来事から3日後のことだった。
呼ばれるまでの間、最初こそ「公爵に呼ばれて何を言われるだろう」とびくついてはいたものの、日がたつにつれ緊張の糸が緩み、エマのことを考える余裕ができた。
正しくは「エマが誰とのエンディングを狙っているのかについて」だけれど。
それと共に家庭教師に読んでおくように渡されていた本を読む振りをしながら、自分がこれからどのように行動していくかの方針を考えていた。
このゲームでは、主人公が選んだ相手の婚約者として悪役令嬢マリーが立ちふさがる。
エマがライアンとのエンディングを狙っているなら、学院にライアンが入学した時点で主人公のライバルである私とライアンの婚約の話が浮上するはず。
でもなるべく王族とは関わりたくないので、なんとか断る方向に持っていきたい。エマがライアンを選ぶなら、邪魔するつもりは一切ない。
そしてエマがリアムの方を狙っているならば、表向きはリアムとマリーは兄と妹の関係なので、まずもって私とリアムの間に婚約話が浮上することはない。
リアムルートではとにかく、マリーは2人が接近するたびにことごとくその逢瀬を邪魔したり、学院の試験の点でエマと競って『頭が弱い方は公爵家にふさわしくないわ』って煽ったり、刺繍大会での出来を競ったり。はたから見ればブラコンの妹が兄に彼女ができるのを邪魔しているようなイベントばかり起こっていた。
リアムがエマにその気なら邪魔する気持ちは毛頭ない。でもあのエマが姉になるのは、ちょっと……どころじゃなくかなり嫌だ。本性を知っているだけに。
ただあの手芸店での様子を思い出すと、何もしなくてもリアムルートはうまく行くようには思えない。
ともかくエマがライアン狙いなら、ライアンとの婚約が決まることでわかる。けれどもし彼女がリアム狙いなら、そもそもライアンとの婚約話が浮上しない。何はともあれ、学院に入学するまでエマの狙いのルートは確定しない。
1周目の最後に、彼女はマリーにわざわざ『2周目』のことを明言したのだから、ライアンかリアムを狙っているのは間違いないとは思うんだけど……。
私が頭を抱えて唸っていると、私付きの侍女が心配そうに私を見ているのに気づき、そちらに向かって元気さをアピールする為に微笑んで見せた。その侍女の後ろで、ソフィアは私がまたおかしなことを考えてでもいるんだろうと言いたげな、若干呆れたような顔をしている。ちょっとは頭を悩ませている主を気遣って欲しいと思っていたら、私の好きなお茶をサーブしてくれた。
こういうところがあるから、ソフィアのことが好きなのだ。
熱すぎず温すぎず、ほどよい温度の紅茶は私の心を落ち着かせた。
とりあえずの行動指針は2つ決めた。どのルートに向かうにせよ、まず王族にはなるべく近づかない。そしてリアムとはそれなりに仲良くして信頼関係を結び、断罪を防ぐ。それしかない。
そう決意した日の夕食前、私は公爵の書斎に呼ばれた。家令のエドワードに案内されて向かえば、公爵は執務机の前に向かい合わせに置かれた1対のソファーの片方に座って私を待っていた。
公爵の前には今しがた置かれたばかりの様子の湯気があがる紅茶あり、その横には銀糸の刺繍がされている赤いビロードのリボンがかけられた白い箱がある。何だか嫌な予感がした。
「座りなさい。」
そう言って、公爵は私に自分の向かいのソファーを勧めた。言われるままに私がソファーに座れば、エドワードがティーコゼーを被せていたティーポットからカップに紅茶を注いで私にサーブする。その紅茶は、私が隠れ家でも好んでいた銘柄のものだった。
それだけで公爵に呼ばれることに過度に緊張して硬くなっていた身体がゆるみ、何だか気持ちがほっとした気がした。
「リアムとジェイ、それぞれから話を聞いた。」
「はい。」
公爵が口を開いたことで、ゆるんだはずの身体がきゅっと硬くなる。けれどそれから言われたことは、怒るでもなく叱るでもなく、どこか優しく私を諭すようなものだった。
「何か目の前でトラブルが起きていたとしても、関わらなければ巻き込まれなかったものにわざわざ首を突っ込むのは感心しない。」
その言葉に、私は俯く。思わず反論しそうになってしまったからだ。
公爵の言っていることは正しいかもしれないが、そうですねとすぐには頷くことはできない。目の前で困っている知人がいたら、無視はできない。
公爵は更に続ける。
「だがまさか貴族とのトラブルに巻き込まれるとは思わず、外出に成人した側仕えをつかせなかったのは私の落ち度だ。リアムもジェイもしっかりしているとはいえ、未成人だ。エドワードを連れて行かせていれば、このようなことにはならなかっただろう。すまない。」
そう言って公爵は謝罪した。私が顔を上げれば、公爵は私に向かって頭を下げていた。まさか謝られるとは思わず、公爵に頭を下げられたら、私も我をはっているわけにはいかない。
「いえ、ごめんなさい……。ジェイが困っていると思ったら、身体が勝手に動いてました。」
私も頭を下げると、フワと空気が動き、頭の上に手が乗った。顔を上げたら、公爵と目が合う。
「感心はしないが、マリーがいなければ恐らくジェイだけでは事の収拾をつけることは難しかったろう。ジェイが自分を公爵家の侍従だと言うだけでは、モード侯爵との騒ぎを収められたとは思わない。」
それは私も思った。モード侯爵は自分が高位なのになぜ他の貴族が特別室を優先されるのかと怒っていた。それを抑えるには、侯爵より更に高位であった私の存在が不可欠だった。
「ただ危険ではあった。ジェイを前に立たせてマリーのことを公爵家の者だと言わせて、立ち去らせるべきだった。激昂している相手にいくらマリーが高位の者だと伝えても、素直に応じるとは限らない。相手が暴力的にならないという保証はないのだから。」
「はい……。ごめんなさい。」
確かにそうだ。たまたまモード侯爵の事業に対してオーランド公爵家が融資をしている立場だったから、相手も分が悪いと引き下がったところがある。下手したら大怪我をしていたかもしれない。もう少し考えて行動をするべきだったと、改めて思う。
シュンとなって俯くと、公爵は慰めるように私の頭を撫でるとその手をおろし、机の上に置いてあった箱を私の方に押しやった。
「ジェイと一緒に、ある貴族の子息も騒ぎに巻き込まれていたと聞いている。悪いが中身は既に検分してある。」
私の方に置かれたということは、中身を確認しろということだ。開けたくない、と思いつつも拒否することはできない。
私が結ばれていたリボンをほどいて箱の中身を見ると、青いビロード貼りのクッションの上に髪飾りが鎮座していた。
赤いリボンに金糸の縁取りがしてあり、リボンの中央には美しく磨かれた蜂蜜色の琥珀が、室内の光を受けて煌めいていた。
公爵の方を見上げれば、既にその中身は知っていただろうに、その髪飾りを見て困惑した表情を浮かべていた。
恐らく私も公爵と同じ顔になっているだろう。
リボンが赤いのは、恐らく私がライアンに会った時に赤いドレスを着ていたからだ。そして恐らくリボンにつけられた金糸の縁取りは、ライアンの髪の色。そして中央の琥珀は、ライアンの瞳の色と相違ない。
このゲーム世界の貴族は、婚約者に自分の瞳の色の宝石のついた装身具をプレゼントするのが当たり前になっている。
目の前の髪飾りの意味することに、私は頭が痛くなった。
ライアンはゲームで、古参貴族派に次期王として推されている第1王子だ。勿論、オーランド公爵家も古くから続く古参貴族。目の前の公爵の反応から鑑みるに、ライアンがモリソン辺境伯の後ろ楯で台頭しようとしている情報くらい伝わってきているのだと想像がついた。そして第1王子として産まれた時に大々的に発表されて、その髪の色や瞳の色は伝わっているはず。
相手が本当に辺境伯の子息なら、こちらからお願いするならまだしも、下位の者が上位である公爵家の娘を嫁に欲しいとはおいそれと言える立場でない。
本当は相手が辺境伯の子息ではないから、公爵もどのように対応するか決めかねているのだと思った。




