53
「ジェイ、馬車の手配ありがとう。」
「いえ、お気遣いありがとうございます。」
ぎこちなく私が戻ってきたジェイに声をかけると、ジェイはニコリと笑って返してきたけれど、普通に見えてその笑顔はどこかぎこちなかった。
さっきのことを引きずっているのがまる分かりで、そんな私たちの様子を見て、リアムがため息をつく。
少し時間が必要だと判断されたのか、リアムは自ら馬車の扉を開けると、私の背を押して先に馬車へと促した。
仕方なく私がそれに従い2人より先に馬車に乗り込むと、少しの間の後にリアムが馬車に入ってきて私の正面の席に座った。ジェイは来たときと同じで御者席に座るのかと思ったけれど、入口扉が閉まったまま馬車が動かない。
不思議に思った私がそわそわとしながら扉に視線をやると、リアムが教えてくれた。
「マリーがケーキをあまり食べていないようだったから、ジェイに買いに行かせた。戻って来るまで少し待て。」
リアムは半分以上ケーキを残していた私に、気づいていたのだ。
リアムのその気遣いはありがたい。けれどそんな気遣いができるなら、さっき特別室になかなか戻ってこなかった私とジェイにもっとはやく気づいて欲しかった。
でもリアムのその差配は、メニューに夢中になって気づいてやれなかった贖罪もあるのだと思った。
ジェイが戻ってきたら、しっかりと話をしたい。ジェイのことを頼りにしていないわけじゃないよって、早く言いたい。
そう思ったら更にそわそわして、居ても経ってもいられなくなった。
馬車の中で意気込み勢いよく立ち上がると、リアムに向かって身構えた。
「私、一緒にケーキを選んできます。す、好きな物を選びたいし!」
流石にリアムの許可無しには行けないから、言質をとりたかった。
「いや、待っていれば戻ってくるのだから、大人しく……。」
「……行かせてください。」
止めるリアムの言葉を遮り拳を握りしめて言う私を見て、リアムは諦めたように苦々しい顔をすると、自分でドアを開けようとした私の代わりに、内側からドアを押し開けてくれた。これは口には出さないけれど、許可と同義だ。開けてくれたリアムにニコリと笑む。
「1人で行くのは何かあったら危険だから、俺も行こう。」
「すぐそこだから、大丈夫ですわ。」
貴族以外の一般の客も利用するケーキの持ち帰りの店舗は、馬車を降りてすぐ。目と鼻の先だ。
リアムに首を左右に振って見せ即座に返すと、リアムは仕方ないという風に開け放った扉のレバーから手を離して腰を下ろした。
「ここは開けておく。何かあれば、俺の名を呼べ。もしくはジェイを頼れ。」
「はい、行ってきます。」
そう言って、扉のレバーに手を掛けて馬車を降りる段に足をかけると、
「あんたに話があるのよ!」
突然、左側から自分にかかった聞き覚えのある声。
その声の方向に視線をやれば、ゲームの主人公であり、さっきまで手芸用品店にいたはずのエマが、馬車のすぐ傍に立っていた。
なんで、こんなところにエマがいるの?
私が店に居るのをわかっていて待ち伏せしていたと言わんばかりのエマの姿に、たじろぐ。
驚いて少し後退りして。リアムに声をかけようとすると、自分の腕を掴まれ無理やりぐいぐい引っ張られて。馬車の中から「マリー?」と呼ぶ声がした気がしたけれどなすすべなく、ケーキ店の裏に連れていかれてしまった。
相手がエマなら、身の危険という程のことはないだろう。それよりも、エマとリアムが知り合いになるきっかけを作りたくない。そんな思いから、さっきはしようしたが、敢えてリアムは呼ぶのを止めた。
どうしてこんな状況になっているのかわからず目を白黒させていると、そこまで来て私の腕をばっと離したエマは私に向かって失礼ながら指を指すと、腰に片手を当ててマシンガンの如くまくし立てた。
「何であんたが私のイベントをことごとく邪魔するのよ!リアムとの手芸店の出会いイベントは、いるはずのないあんたがいて、失敗に終わるし!ケーキ店のイベントは新しく追加された物だったから楽しみにしてたのに、何で悪役令嬢のあんたが主人公の私の代わりにイベントをしちゃうわけ?!あんた、もしかして私と同じ、転生者なんじゃないの?」
「イベント……?新しく……追加……?転生……?」
私のぽつりと呟く言葉に反応して、更にエマの言葉が加速する。口に出すにつれ頭がヒートアップしているのか、フゥフゥと息が荒くなっているのがわかる。
「そうよ!別のゲーム機でもできる移植版が販売されて、追加で作られたイベントよ!なのに……2周目から起こるから楽しみにしてたのに!!知り合いになれる機会だったのに、あんたのせいで!特別室だって私が予約しようとしたのに、先に予約をとられたらそんなの公爵家が優先されるに決まってるじゃない!ほんとクソだわ。」
エマはそう言って、ギッと私を睨み付ける。エマに怒涛の如く放たれた言葉に圧倒はされたものの、モード侯爵に怒鳴り付けられた時とエマ程度なんて比べればたいしたことはなく、何も怖くなかった。
ただエマの言葉でやっぱりあれはゲームのイベントだったのかと納得したけれど、なぜそのイベントをエマではなくて自分がすることになったという更なる疑問が沸いてしまった。
エマのリアムとの手芸用品店でのイベントは失敗した。エマの言葉が正しいとすれば、ライアンとの出来事は主人公であるエマがするはずだったイベント。つまりそれを意味するのは……たとえゲーム通りにイベントが用意されているのだとしても、この2周目の世界は、必ずしもエマにとって都合のよく進む世界ではない……ということを意味しているのではないだろうか。
それは、幽閉から逃れたい私にとって朗報であり僅かながらの希望となりえた。
私が黙ったままでいると、エマは更に続けた。いや正しくは、続けようとした。ただエマが言わんとした言葉は、それを発したエマどころか傍で聞いていた私の命すら危ぶまれそうな物だった。
「私はずっとケーキ店の三階の廊下の影から見てたのよ!あんたが特別室に入っていって、廊下に1人残った彼に声をかけようとしたのにそれも出来なかった。ほんと最悪!ばっかみたい!せっかく、ライア……。」
亡命しているはずの第1王子ライアンがこの国に居ることを知っている者は、厳密にはいないことになっている。それを知っていることを知られたら、命の保証はない。名前を出すことすら危険。だから彼本人も、自分のことをデルタだと名乗っていた。
なぜゲームのプレイしたことがあるならば、それが危険なことだとわからないのだろうか。
興奮してまともに頭が働いておらず、冷静に考えられないのか。それとも……。
何はともあれ彼女が言い終わる前に止めるべきだと判断し、私は彼女との距離を詰めて咄嗟にエマの唇に人差し指を軽く押し当て、それ以上口を開くのを止めさせた。
「貴方が何を言っているのか、私にはわからないわ。ただ、そんな口の悪い言葉を吐いたら、可愛い顔が台無しよ?」
止める為に思わず口に出たのは、友達に勧められてこのゲーム以外にもプレイしていた乙女ゲームの、女たらしキャラのセリフだった。そのゲームでの女たらしキャラは、少し粗暴なセリフを告げた主人公に同じようなセリフを言うと主人公の唇を奪っていた。
流石にそんなことは出来ないので、指先でエマの唇をそっと上からなぞるだけ。
既に口に出してしまったとは言え、何を言ってるんだろうと自分の冷静な部分が自問自答し、じわりじわりと恥ずかしくなっていく。
ゲームのキャラクターはどうしてこう恥ずかしいセリフを素面で吐けるのか、はなはだ疑問だ。
恥ずかしさを押し隠し、妖艶に微笑む。すると、私に人差し指を押し当てられたエマの様子が明らかに変わった。
てっきり私の手をすぐ払いのけて怒りだすかと思ったけれど、なぜか次第にエマの顔が赤くなっていっているように見えた。




