50 エマ(2)
エマは自分が一番可愛らしく見える顔を意識して、リアムに向かって微笑んだ。声も高めで可愛らしく聞こえるように気をはって。
「あの、すみません。」
大丈夫。ちょっと不手際があっただけ。リアムは私に微笑んでくれるはず。
エマは何度も自分に言い聞かせ、自分を奮い立たせた。
エマが声をかけた直後、リアムの服の袖を掴む華奢な白い指が視界に入り、思わずその手を払い落としたくなる気持ちをなんとか耐えた。
大丈夫。ゲームの大筋とは変わっていない。拾ったのがリアムから店員に変わっただけで、店員を私に差し向けたのはリアム。
ゲームでは糸を拾うのを手伝ってくれたのはリアムだったけれど、その形が変わっただけだ。
そう思うのに、なんで嫌な予感がするんだろう。
リアムがゆっくりとこちらに振り向き、その瞳にエマが映る。相変わらずの鉄面皮。でも仲良くなるにつれ、口角があがる姿を見ることが増え、いつしか笑顔を見せてくれることになる。
視界に映ることができた高揚感でいっぱいになり、その後ろにいたマリーのことなんてすぐ頭から飛んでいった。
エマははやる気持ちを押さえ、
「さっき、貴方が店員さんを呼んでくれたって聞きました。ありがとうございます。」
声を弾ませて、あのアクセルも好んだ愛らしい声でエマは声をかける。
すると、返ってきた言葉はエマが望んだものではなかった。
「別に。他の客に迷惑だからしたまでだ。」
台詞自体は、ゲームと同じ。同じ台詞に一瞬エマの心が弾みかけたが、明らかに声のトーンが低く嫌悪感に満ちたものであるのに気づくと、エマの表情が僅かに曇った。
違う。ゲームだと恥ずかしそうに耳を赤くして、照れた感じの、若干の好意を滲ませたような声色。なのに目の前のリアムは、明らかにこちらを面倒に思っているのがありありとわかった。
それに気づかないほどバカじゃない。
でも、望みはあった。台詞が同じなら、ゲームと同じ台詞を言えば、返ってくる言葉は決まっている。どうしても知り合いにならないと、出会いイベントが成立しない。
エマは必死に食いつこうと、また愛らしい笑顔を浮かべて小首をかしげて問いかけた。
「あの、お名前を教えていただけませんか?助けてくれた方の名前を知りたいんです。」
さあ、答えて。ゲーム通りなら、答えは決まってるでしょう?
次に来るはずの答えを待つ刹那、エマの心はまた高揚する。けれど、期待に満ちたその顔は、リアムの返事により歪んだ。
何の温度もない冷めた視線が、エマを貫く。
「悪いが、たいしたことはしていないし、教えるつもりもない。では。」
リアムはそう言い放つと、マリーの背中に手を添えて押し、エマのことなど気にかけることもなく、人混みに紛れて消えてしまった。
ぽつんと残されたエマは、呆然と立ち尽くした。
「なんで………なんで………これは、私とリアムの出会いイベントのはずでしょう?」
リアムの冷たい態度は、ゲームではあり得なかった。あり得ないのはもう1つ。いるはずのない人間がいた。
マリー・オーランド。
公爵の妹が、誰とも知らぬ行きずりの相手と作った子ども。
わがままで高飛車で嫌われ、1周目でもリアムに冷たくあしらわれていた。
今回も、冷たくあしらわれるのはマリーでないとダメなのに。なんで、私が冷たくされないといけないわけ……?
なんでいないはずのマリーがあの場にいて、リアムに大事にされているの?
その思いは、次第にマリーへの怒りに変わった。
許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない。
エマは今一度唇を噛み締めると、周囲にいる他の客を腹立ち紛れに押し退けて店から飛び出した。
こんなところで立ち止まっている場合ではなかった。
今日はもう1つ、大事な出会いイベントの予定があった。
エマは慌てて店の外で待たせていた侍女に馬車を手配させ、イベントのあるケーキ店に向かった。ライアンがいる場所も頭のなかに浮かんでおり、ライアンが既にケーキ店にいるのがわかっていた。
この国の第1王子ライアンとの出会いイベント。
そのイベントは、ゲームが別のゲーム媒体に移植され、リメイクされた時に追加されたものだ。
イベントではケーキ店の特別室にいたライアンが廊下に出た時に、モード侯爵に因縁をつけられる。
その時、店の特別室にケーキを食べに来ていたエマがたまたまその場に出くわすのだ。
モード侯爵はエマの祖父が侯爵の事業に多大な資金援助をしており、スペンサー男爵家とは懇意な関係。だからこそ、身分を表に出せないライアンの代わりに矢面に立ち、家の名前を出してライアンを救うのがこのイベント。
けれどエマが店に着いて店長に特別室を用意させようとしたら、既に予約があるからと断られた。
その名を明かさせようと詰め寄ったけれど、首を振るばかりで答えようとしない。
私が特別室を利用するからこそライアンと関わることになるのに、会うことができなくなるじゃない!!
仕方なく侍女をまた店の外で待たせると、店の特別室のある階に行くために、こっそり忍び込んだ。
特別室が並ぶ廊下に立つと、どこか隠れる場所がないか探す。すると廊下の奥にトイレがあったので、その個室に入って鍵をかけた。
廊下で騒ぎがあれば、音がするからすぐにわかる距離。
リアムとのイベントは失敗したけれど、今度は失敗するわけにはいかないと、エマは闘志を燃やした。
次回でエマ視点は終わりです




