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私はモード侯爵に、困った行いをした人を憐れむような表情を向けてわざとらしくため息をついて見せた。
その態度にカチンと来たのか、侯爵は眉を吊り上げ鼻息を荒くする。もはや闘牛士に向かってこようとする闘牛に見える。私のドレスも闘牛士がひらめかせるマントと同じ赤なので、ますます相手がでっぷりとした闘牛のようだ。
完全に侯爵の意識は私に向いている。
ジェイはわざと怒らせるような態度をとる私に必死に止めるよう首を振る。
ライアンも流石に私だけを矢面に立たせるわけにいかないと思ったようで、侯爵の方に一歩踏み出しかけた……のを見た。
ジェイが主である私を守ろうと動き出すのは時間の問題だ。
私は2人が完全に動き出す前に口を開いた。
「モード侯爵、少し浅慮でしてよ。」
腰に片手を当て尊大に侯爵を見上げて微笑んで見せる。
まさに小さな悪役令嬢。
ただちょっと怖くて足が震えるけれど、『私は悪役令嬢』『強い女の子』と自分に言い聞かせて己を奮い立たせる。
「は?」
そう返したモード侯爵の頭上に怒りの赤いゲージが見えるような気さえしたが、かまわず続ける。勝機はこちらにあった。
「モード侯爵、初めまして。オーランド公爵家の長女、マリーと申しますわ。」
そう言って両手を前で揃えて楚々とした笑顔を見せる。
「な………公爵……家?」
公爵家の名前を出した途端、侯爵はあからさまに狼狽えだした。明らかに顔に焦りの色が見え、しどろもどろに聞き返してきた。
侯爵からしたら公爵は家柄が格上。狼狽えるのも無理はない。
そこに助け船を出した風に声をかける。相手をこちらの手の内に誘い込む為に。
「まぁ私は公爵家の人間とはいえ、デビュタントもまだですもの。ご存じないのも無理からぬことですわ。商談の場を邪魔してしまってごめんなさいね。」
本当に申し訳なさそうに頬に手を当てて困った顔をして詫びる。
まだ公爵家に来て2日目です、なんて情報は教える気はないが。
ただチクりと言うのも忘れない。
「けれど狼を子犬と見誤る前に、今後は店を誰が利用しているかくらい確認した方がよろしくてよ?」
背中に黒いオーラを背負い悪い笑顔を見せると、侯爵は急に背筋をピンと伸ばしてこちらに深々と礼をした後、急にニマニマとゴマするように手もみして見せた。
「お、オーランド公爵様には大変お世話になっております。」
「知っているわ。モード侯爵が手掛けようとしている鉱山の事業に関して、お父様に投資をお願いしているところ……よね?」
「よ、よくご存知ですね!」
侯爵のあまりの変わりように、侯爵の後ろで動くこともできなかった2人は目を剥いているようだった。
ちなみにモード侯爵の事業にオーランド公爵が投資していたのは、1週目のマリーの知識だ。投資が大外れし、皆が揃っての夕食の時に公爵が随分とイライラしていた姿を覚えている。マリーは食事が終わったら、八つ当たりを避けて私室に逃げ込んでいた。
「お父様にも、よろしく伝えておきますわ。」
私がそう言うと侯爵は一瞬びくっとし、
「は、はは……。失礼します。」
明らかなそら笑いをした後にその場から去っていった。ドスドスと階段を降りる重みのある音が遠くなっていく。
胸に手を当ててほっと息をついていると、慌ててジェイが私に詰めよった。
「マリー様、危険な真似はやめてください!何のために従者の存在があるとおもっているのですか!」
迫るジェイの顔はめちゃくちゃ怖かった。さっきのモード侯爵の迫力とは雲泥の差だ。
まさに般若と言っても過言ではない。
「ごめんなさい……あそこは父の名前を出す方が丸く収まると思って。」
縮こまり上目使いをして、人差し指同士を合わせてツンツンしながらしどろもどろに答えると、ジェイは呆れとホッとしたのが混じったような大きなため息をついた。
「ともかく、この件は旦那様に報告させていただきます。」
「わかったわ……。」
シュンと項垂れてみせているが、結果的には万歳だ。ジェイから報告が行けば、オーランド公爵がモード侯爵の事業への投資を止めるきっかけになるかもしれないから。
ジェイの報告の後に、私からもモード侯爵がどのような態度で迫ってきたかあることないことだめ押しで言っておこうと思う。公爵家の財産を守る為に。ひいては公爵家で、安泰な生活を送るために。
私が侯爵への高飛車な態度から一変して小さくなったからか、落差が面白かったようでライアンが急にクスクスと笑いだした。
私が『え?』と顔をあげるとライアンは笑顔でこちらに近寄ってきて、深々と紳士の礼をした。
こちらとしてはいくら今は身分を隠していると言えど、王族に畏まられては体面が悪い。
「お久しぶりですね……マリー公爵令嬢。」
「お知り合いですか?」
ライアンの言葉に反応し、ジェイが確認するようにライアンを見た後にこちらを見てくる。
「昔、馬車で酔って体調を崩した時に、助けてもらったの。」
「馬車で酔うとは、よほどマリー様はお身体が虚弱だったのですね。」
ジェイはしみじみと言うと、心配そうにこちらを見る。
簡単にライアンに会った当時のことを説明したが、ジェイは公爵家で聞かされていた『マリーは産まれた時から身体が弱くて別荘で乳母と暮らしていた説』を本当に信じているようだった。
貴族なら乗り心地よいふわふわの座面、かつ振動も少ない馬車に乗っているので、市井の馬車の環境が劣悪なんてこと知りもしないだろう。
思い出しただけで若干、喉の奥が酸っぱいような気がする。
ジェイは上手いこと勘違いしてくれたようだが、ライアンとは市井の乗り合い馬車の乗降場で出会っている。普通は乗り合い馬車で行動する貴族なんていない。
ライアンもなぜあんな場に居たのか、ジェイに知られたくないだろう。私だってライアンに、なぜあんなところに公爵令嬢がいたのか知られたくはない。
ライアンと目が合うと、お互い何か言いたげにニコニコと微笑み返す。
余計なことはこれ以上言わないし、聞かない。藪をつついて蛇を出す必要なんてない。




