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リアムはエマの方をまったく顧みる様子もなく、私の背を押す。あまりにゲームの主人公への態度が冷ややかなので、気になって聞いてしまった。
「お兄様が店員を呼んだとかどうとか言っていましたけど、先程の女性と何かありましたの?」
様子を見て知っていましたなんて言えないので、本来なら気になって当たり前の話を、当たり障りがない感じで聞く。リアムがエマにどんな印象を持ったのかを、知りたかったのもある。
リアムはまるでどうでもいいことのように、私に簡潔に説明してくれた。
「棚の糸を床に落としていたようだったから、店員を呼んだ。それだけだ。」
「それだけにしては随分とお兄様に感謝しているようでしたわね。それに、お兄様とお近づきになりたい様子でしたわ、彼女。」
あまりに明らかな、エマの好意の発露。
頬に手を当て不思議そうな様子を装ってさりげなくエマに対する印象を聞こうとすれば、リアムは眉間にシワを寄せて忌々しそうに息を吐いた。
「礼儀のない者は嫌いだ。」
そう言うリアムに、私は苦笑した。
馬車で連れてこられたこの店は富豪以上の家格の人がよく利用する店で、品揃えは豊富だが値段が高い。平民は敷居が高くて立ち寄れないらしい。その分、立ち入る客はほぼ地位の高い者ということになるので、他の客との振る舞いには気を使わないといけない。
前提として貴族は高位の貴族『から』話しかけられなければ、下位の者は容易に上位の貴族に話しかけられる立場ではない。
公爵家は王族に次ぐ家格。
たとえ店にいたのが公爵家の人間だなんてわからなかったとしても、家格が上位か下位かもわからない相手に、何も考えずに話しかけるのは愚か者の所業だ。
リアムは、その慣習をエマが守らなかったから、礼儀がないと言っているのだ。
ただ私が苦笑したのは、1周目のことを思い出したからだ。
ゲームの攻略相手であるキャラクター達は、地位にとらわれずに話しかけてくるエマに好感を持っていた。だから今回もエマは許されると思ったのだろう。
それが逆にリアムの好感度をあげる妨げになるのは、なんとも皮肉な話だ。
私はそこで、少し不思議に思ったことがあった。
なぜ、糸を落としたエマをリアムが手伝わなかったのか、だ。
そもそも刺繍は貴族女性の嗜みで、男性貴族が手芸用品店に立ち寄ることは、よほどの用事がないとありえないことなのだ。
そこを、まさにゲームに人間の意思さえ支配されて、イベントが行われるように動かされているように、リアムは手芸用品店に訪れた。
だとしたら………。
「女性が落とした糸を拾うのを手伝おうとは……思わなかったのですか?」
そのままゲームの流れに沿うなら、ゲーム通りにエマとの出会いイベントが起こって然るべきなのだ。
私の質問にリアムは、何を言っているんだと言いたげに片眉を吊り上げた。
「なぜ俺が?それに、マリーがいつ帰ってくるかわからないのに、そんなことしていられないだろう。それより、人が多いから部屋を用意させないか?」
そう言ってリアムは他の客にぶつかりそうになった私の肩を寄せた。
エマのことなど、まったく気にもとめていないようだった。
急に客が増えて、肘が触れそうな距離に人がいる。リアムは少し先にいた店員を見つけて呼びつけると、自分の身分を明かして個室を準備するよう告げた。
そんなリアムを見ながら、私は別の考えに囚われていた。
もし私がいなかったら、エマを手伝おうとしましたか?
ゲームに体を支配されるがごとく、プログラム通りに。
ありえないとわかっていても、嫌な答えが返ってくるんじゃないかと思って、私はリアムに聞くことができなかった。
リアムがエマと仲良くなるのは嫌だ、と思ってしまった。
人混みで壁ができ、私の身長では壁の向こうにいるであろうエマの姿は、もう見えなくなっていた。
「オーランド公爵家の方に当店をご利用いただき、大変ありがたく思います。どうぞごゆるりと、品物をご覧ください。」
店の応接室に私とリアムは案内され、目の前のテーブルにはたくさんの30㎝四方の刺繍箱が置かれていた。
予め刺繍箱が目当てだと言っていたので、店にあるすべての在庫を用意したようだった。
店長は深々と礼をすると、応接室のソファに座る私とリアムを残して出ていく。
置かれた刺繍箱の中に見覚えのある物があって、私は苦々しく笑った。
ごてごてと金飾りのついた趣味の悪い刺繍箱だ。1周目でマリーが愛用していたものが目の前にあって、つい懐かしい思いにかられた。
刺繍箱は茶色の革張りのもの、グレーの布張りのもの、今着ているドレスのように表面に小花の刺繍がされている可愛らしいもの等、色んな物がありすぎて目移りしてしまった。
参考までに、私はリアムに質問した。
「お兄様、私に似合う刺繍箱はどれだと思います?」
まるでどのドレスが似合います?みたいに聞かれて、リアムは面食らったようだった。
「マリーに……似合う…刺繍箱……。」
随分と時間はかかったが、リアムは1つの刺繍箱を指差した。




