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わかってよかったこともある。
最初はただ仲間を作りたくて、ソフィアに自分のことを打ち明けただけだった。何も考えず自分のことしか考えずにした行動だったけど、結果として己の身もソフィアとグレッタの身も守れた形になった。
ただ、これからはもっと気を付けなければ、幽閉どころか途中退場もありえる。
私は大きく息を吸うと、両手を握りしめて拳を作り、気合いをいれた。
私がソフィアに案内されてダイニングルームに向かうと、先に公爵夫妻がテーブルについていた。長方形の長机の短い辺の位置に公爵がいて、公爵から左斜め前に公爵夫人が座っている。
私に気づくと談笑していた2人が話を止め、こちらに視線を向けた。
「おはよう、マリー。顔色は良さそうだな。」
「おはよう。よく眠れたかしら。」
「おはようございます……お父様、お母様。ゆっくりと休めました。ありがとうございます。」
公爵夫妻に声をかけられて挨拶を返すと共に、ためらいがちに『お父様、お母様』と呼ぶと、優しげに微笑みを浮かべるのが見えた。
本当に気持ちを込もった笑顔なのか、ただ笑っているように見せている笑顔なのか。
判断がつかず、いまいち信じきれず、どこかぎこちなさのある笑みを返す。
「おはようございます。」
その私の後ろから、ダイニングのドアを開けてリアムが現れた。
私は邪魔にならないように少し横に移動して、リアムに挨拶した。
「おはようございます…お兄様。」
なんとなく、呼称が言い慣れなくて呼ぶのが気恥ずかしい。
ぎこちなくはにかむと、リアムは少しの間の後に、
「ああ、おはよう、マリー。」
と挨拶を返してきた。口角の表情筋もわずかにあがった………ような気がする。
なんなんだろう、あの間は。
私がいることを忘れていた…とかで、いましがた思い出したみたいな間だった。
気にしないでおこうと気を取り直してテーブルに向かうと、家令のエドワードが椅子を引いてくれた。
席は公爵夫人の正面、私の席から左斜め前の位置に公爵が座っている。その私の隣の席にリアムが座る。私が座った席は、もともとリアムが座っていた場所なのだろう。
本来なら、貴族はテーブルにつく際、家の主人に近い場所ほど家の中で地位が高い人が座る。
私の席は格別な配慮なのがわかる。
ただ、公爵夫妻とリアムに囲まれて見られているようで、心中穏やかでいられない席であることは間違いない。
落ち着こう、いつも通りすれば大丈夫。
少し気負っている自分に言い聞かせ、食事に臨んだ。食事のマナーは、家庭教師にもソフィアやグレッタにも厳しくしつけられたのだ。
大丈夫………多分。
少しばかり肩に力が入るのを感じながら、ナイフとフォークを手に取った。
貴族の朝御飯は、実は夜ご飯のようにお肉や魚がふんだんにだされて、こってりで重いものが中心だったりする。
その分、野菜をとる量が少なくて、中世の貴族は病気になりやすかったと本で見た記憶がある。
ただ、現代日本で生きていた私としては、朝から重すぎると胃が痛くなる気がしてあまり食べる気がしなかったので、隠れ家では野菜を多めにしたメニューにしてもらっていた。
その為か、私のメニューは魚と野菜サラダなど、比較的軽めのメニューが用意されていた。
「まるで庶民のような食事だな。」
リアムは私の食事に視線をやると、自分の目の前にあるお肉ばかりの食事と見比べている。
思ったことをそのまま口にしただけなのだろうが、どこか含みがあるように感じてしまう。質素ともいえる私のメニューが気になるらしい。
「健康のためです。あまりお肉ばかり食べて太るのは避けたいですから。太ることは病気に繋がりますので。」
マリーの記憶では、公爵家にはいなかったとはいえ、パーティーやお茶会で出会う人は、わりと丸みを帯びたふくよかな人が多かった印象だった。
いくらゲームの中とはいえ、中世ヨーロッパのような世界観では、そこまで医療が発達しているようにも思えないし、あのゲームには魔法という概念も存在していなかったように思う。
魔法でパッと治す!なんて希望は持たない方がいい。
となると、必然的に自分の健康は自分で気を付けるしかない。肥満は注意しないと。
「太ることは病気に繋がる………確かにそうかもしれないわね。」
私の言葉に頷いて同意したのは、公爵夫人であるダニエラだった。
「私の叔母は私が小さな頃に亡くなったのだけれど、確かに丸々と太っていた印象があるわ。マリーが早くこの家に慣れるように、いつも食べていたというメニューを用意させたけれど、私もマリーのようなメニューにしようかしら。」
いつも肉や魚がたっぷりで野菜少なめのメニューを食べてきた貴族からしたら、私のメニューは庶民からしたら豪華ではあるけれど、十分粗食と感じるメニューだ。それを取り入られるとは、かなりの意識改革となるはずだ。
ただ、どの時代においても健康と美容は女性の大きな関心事だ。
その日から、公爵家の令嬢であるマリーが提案したということで、公爵夫人ダニエラ主体で野菜中心メニューが貴族の間で流行していくことになるが、それはまた別の話である。
閑話休題。
ナイフで魚を綺麗に切ろうとしたが、魚の皮がなかなか切れようとしない。
力任せになんとか切ろうとしたが、緊張で肩に力が入りすぎていたのだろう。
皿の上でナイフがすべり、カシャーンという大きな音と共に、ナイフが床に落ちてしまった。
途端、身体の血の気がひき、動悸が激しくなるのを感じた。
怒られる!失敗した!
咄嗟に目を閉じれば、自分の近くで、何かの金属が床に落ちる音が聞こえてきた。




