36
私は公爵家でベッドに横になったはずだった。けれど気づけば、見覚えのあるパーティー会場にいた。
天井から吊るされた豪奢なシャンデリア。輝くほど磨かれた床。
めいめい着飾った若人が、私を遠巻きに見ている。その顔は汚れたものを見るような蔑んだ目付きをしていた。
そして突如として目の前に、3人の人物が現れた。エマ、アクセル、リアムだ。エマを庇うようにアクセルとリアムが立ちふさがり、周囲の若人と同じ表情をしたかと思えば、こちらを睨み付けた。まるで、あの卒業パーティーを再現しているみたいだった。
「マリー、エマに謝罪しろ。頭を床に擦り付けてな!」
アクセルは意地悪い笑みを浮かべると、マリーにつかつかと歩みより、その身体を突き飛ばした。バランスを崩して転び、尻餅をついたところで、リアムがその姿を見下ろして舌打ちする。
「マリー、お前を妹なんて思いたくはない。目の前から消えろ。」
口を開いて何かを言おうとしても、舌が空回りして声にならず苦しみ喘ぐような息だけが漏れる。
必死に声をあげようと喉を押さえると、アクセルとリアムを押し退けたエマが、一度見たことのある蠱惑的な笑みを浮かべた。
「2周目が、楽しみ!」
その言葉が反響し、文字が映像として浮き上がり私の視界に焼き付く。
「いや!!」
どうにか払い除けようと顔の前に必死に手を出す。やっと絞り出せた声はか細い。
その時、遠くの方で誰かが私を呼ぶ声がした。
「………様」
次第その声が大きくなる。
「マリー様!!」
「はい!!」
呼ぶ声の方に手を伸ばせば、その手をしっかりと握りしめる感触があり、私はハッと目を開けた。
「マリー様……大丈夫ですか?」
私を心配そうに覗き込むソフィアの顔が、先程までの出来事が夢であったことをわからせてくれた。握られた手にすがるように握り返すと、ゆっくりと身体を起こした。
「ごめんなさい、夢を見ていたの。嫌な夢。」
網膜に焼き付いた言葉。改めて忘れていたエマのことを、この世界がゲームの中であったことを、思い出した。
エマは明確に『2周目』のことを口にしていた。
これは想像でしかないけれど、エマはもしかしたら、2周目にならないと攻略できない相手を狙っていたりするんじゃないだろうか。
そうなると、該当するのは2人しかいない。
2周目からでないと攻略できない相手。
第1王子、ライアン・アンテレード。
マリーの兄、リアム・オーランド。
一体、どちらが狙い?狙いがわかれば避けようはある。幽閉に繋がらないようにする為には、なるべく関わらないようにするしかない。
私が思案していると、握っていた手から力が抜けていたのか、ソフィアにその手を引かれた。
「そんなに、嫌な夢だったのですか?」
私が静かになったので、よほど思い悩む夢だと思われたらしい。
まあ、あながち間違いでもないのだけれど。
心配そうな顔を浮かべるソフィアに、安心させるように笑顔を返す。
「大丈夫よ。疲れてたみたい。」
公爵家であてがわれた部屋のベッドは、隠れ家にあったベッドよりも思いの外、スプリングが柔らかい。
慣れぬ場所での生活に対してのストレスや、疲れもあったのかもしれない。
マリーの記憶の上ではわかりきっていたことでも、この身体がこの生活に慣れるのには時間がかかる。頭でわかっていても、身体がまだついていっていないのだ。
「目覚めのお茶をお持ちしましたが、お飲みになられますか?」
カーテンが開け放たれた大きな窓から、さんさんと明るい日差しが差し込んでいた。
よほど気を揉んで疲れていたのか、寝たと思ったらあっという間に朝になっていたようだ。
「いただくわ。ありがとう。」
ソフィアがいるだけで、なんとなくほっとする。隠れ家だけでの関係だと思っていたけれど、公爵家に彼女がついてきてくれて、こんなに安心することはない。信用できる人が少ない中で、心強い味方だ。
紅茶を注がれたカップをベッド上で渡され、溢さないように飲み干すと、心が温まってほっとした。
私が好きだといった銘柄のお茶だった。公爵家でも飲めるように手配してくれたらしい。
私が空になったカップを渡すと、ソフィアは改まったように背筋をピンの伸ばし、私に頭を下げた。
「おめでとうございます、マリー様。」
ソフィアの上げた顔は、満面の笑顔だった。
「おめでとう?あ、公爵家に引き取られてマリー・オーランドになったから??」
ソフィアの言葉の意味がはかりかねて、頭に疑問符が浮かぶ。私の戸惑いに気づいたようだけれど、なぜかソフィアも不思議そうな顔をしていた。
「いえ、それもありますけど……。」
奥歯に物が挟まったような物言いに、更に疑問符が浮かぶ。
私が首をかしげると、ソフィアは何かを察したように笑顔を浮かべた。
「何でもありません。忘れてください。」
「え、何?どういうこと??」
それから私が何度聞いても、ソフィアはその件に関しては一切答えてくれなかった。
この言葉の意味がわかるのは8年後になることなど、この時の私には知るよしもなかった。




