10
迷ったあげく、封蝋を剥がしたあと、それをそのままグレッタに渡した。
「お願い、読んでくれる?」
私はまだ、この世界の文字に慣れていない。ソフィアに頼んで少しづつ習い始めたけど、前世の記憶が邪魔して思うようにすすまない。
たどたどしく読んで、内容を間違うよりはいい。
私が渡した手紙を受けとると、グレッタは中身をあけて私の隣りに膝を曲げて屈む。
そのまま見せるように広げて読んでくれた。
「『5歳の誕生日おめでとう。成長を喜ばしく思う。我が家に迎え入れる前に、教師を派遣することにする。準備してその日を待つように。また、よくよく勉学に励むように。』だそうです。」
「えーっと……家庭教師を派遣するってこと?でも、準備って?」
「我々の方にも、準備しておくべき物の詳細が書かれた手紙が来ております。来週にでもお出掛けして買い物をしに行きましょう。」
「出掛けられるってこと?!」
私は鬱々とした気持ちが晴れ、嬉しくて飛び上がった。その様子を、小さな子の成長を見守る母のような顔で微笑まれ、なんだか恥ずかしくて俯いた。ちなみにソフィアは、生暖かい目で私をみていた。
お出掛けの日、ワンピースの上に薄手のコートを着た。薄手のコートは少しぶかぶかで、袖の部分を折り返さないと着れなかった。
マリーのお母さんが小さい頃に着ていた物らしい。買い物に付き添うソフィアも、いつもの詰襟ワンピースの上、に足元まである少し大きめのコートを着ている。
「いってらっしゃいませ。」
玄関でグレッタに手を振ると、ソフィアのコートの内側に隠れた。
内側から、コートの隙間を少し開けて外をみる。
「行きますよ。」
ソフィアが小声で話しかけ、コートの中の私の頭辺りをそっと撫でる。
隠すために、外に出るところすらバレないようにしないといけないらしい。
実にめんどくさい。
ソフィアがゆっくりとした歩調で歩くので、私もそれに合わせて歩く。コートの中はなんだか蒸すし、息苦しい。
玄関ドアを開ける音がした。外からの風でソフィアのコートが裏返りそうになり、両手で掴んで押さえた。少し寒いような温いような風。春だ、と思った。
ソフィアの足が当たり、つんのめりそうになりながらも歩き続ける。コートの隙間から入る光が少し陰ったところで、ソフィアが止まった。
「もう良いですよ。」
ポンポンと頭の辺りを叩かれたのを合図に、ソフィアのコートの中から飛び出した。
コートがすれてくしゃくしゃになった髪を撫で付けていると、ソフィアが手直しを手伝ってくれた。
そこは、建物と建物の間の路地のようなところだった。
「今から乗り合い馬車に乗って、移動します。買い物をする店には、公爵家から話が通っているそうです。」
ソフィアの言葉にふんふんと素直に頷く。
馬車になんて乗ったことがないので、なんだかドキドキする。
「馬車に乗ったことないから、ちょっと楽しみ。」
「ご存知なんですね。」
ソフィアの言葉に、何を?と聞き返そうとしてやめた。ソフィアの言葉が何を指したのか気づいたからだ。
マリーは、外に出してもらえない。ほとんどを自分の部屋で過ごしているし、家の窓から見える通りからは馬車は見えない。
ただ家で過ごすことだけが世界のすべてなマリーでは、そもそも馬車というものを知るはずない。もちろんマリーの記憶として馬車に乗ったことはあるが、私自身が乗った訳じゃないので実感は伴わない。
「知識として知っているだけよ。」
そう返事すると、ソフィアはそれ以上何も聞かない。ソウイウコトが何度もあるので、ソフィアも慣れてきつつあるようだ。