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悪役令嬢。
それは、乙女ゲームにおいて、ヒロインとヒーローをくっつけるスパイスである。様々な困難を乗り越え絆を確かめ合う2人には、なくてはならない障害の1つ。
たいていの悪役令嬢は、高い地位と美貌を持ち合わせているが、性格が悪いというおまけがつく。
そんな令嬢として生きることになったならば、貴女はどうしますか?
クリスタルガラスで、王冠を模して造られたシャンデリアの灯りが、鏡のごとく磨かれた床を照らす。その光が、大広間を更に荘厳なものにさせる。
通常ならば、大広間には楽団の生演奏がゆるやかに流れ、きらびやかな衣装をまとった若人達の会話をもりたてる…………はずであった。
「マリー・オーランド、そなたとの婚約を解消する!その理由はそなた自身がよくわかっているであろう?」
1人の男が1人の女を指差し、睨み付けた。周囲に聞かせるような、わざとらしい大声。
男は傍らに、儚げという言葉が相応しい線の細い別の女性を添わせている。
剣呑な空気を察して、宴に参加している者は、言葉を発した男を起点として『円』を描くようにその場から退き、場の中心となっている3人の様子を伺っていた。
興味深げに視線をやる者、面白い戯曲でも見るようにほくそ笑む者、ただただこの場の状況を憂う者。
ひそひそと囁き合う声は3人の耳にも聞こえていたが、男にとっては晴れ舞台ともいえるこの状況を盛り上げる序曲にすぎない。
囁きがざわめきに変わっていくと、男は己の存在を誇示するかのように、腰に手を当ててふんぞり返った。ただ、その視線は目の前に居る1人の女から動くことはない。
その当の本人でありマリーと呼ばれた私は、男の鋭い眼光に気圧されていた。
私は決してマリーという名前ではない。そして、私をマリーと呼んだ男と婚約していた覚えも、ましてやなぜこのような壮麗な大広間にいるのかすらわかっていない。
ただなぜだか、この場に既視感があるように思えて仕方がないのは事実だった。目の前の男の顔も、その後ろに隠れながら固唾を呑んで見守る女の顔も。そして、マリー・オーランドという名前にも。
どちら様ですか?
空気を壊すとわかってはいたが、そんな質問を投げ掛けようとして出来なかった。口を開こうにも開かない。一挙手一投足動くことが許されない。一切の身動きが出来ないのだ。
「言っている意味がわかりかねますわ。」
代わりに勝手に己の口が音を発し、勝手に腕が腕組みをした。本来の自分の声色とは違う、少し高く柔らかな少女の声。
それはまるで自分が人形の中に入り込み、操り人形のように無理やり動かされているような感覚。見たくもないVRを、無理やり体験させられているような感覚。気持ちが悪い。
私はなぜかマリーという人物の中にいて、マリーという人物の体験を自分のことのように体感しているようだった。
ただ普通のVRと違うのは、マリーの気持ちが私の中に流れ込んでくること。マリーと私自身が1つになっているような感覚。マリーの思いが手に取るようにわかるのだ。
マリーのその声は不快感を示していたが、不安げな声色も秘めていた。男の言葉に表情を変えずに淡々としているようだが、その内心は狂おしい想いでいっぱいだった。
愛しい婚約者が別の女性を守るように立ちふさがっているのが、悔しくてつらくてたまらない。ただその立場とプライドが、その苦しさを表に出すことを許さず、組んだ腕に僅かに爪を食い込ませる。
2人の姿を直視したくなくて、マリーは床に視線をやった。
美しく磨きあげられた床に、マリーの姿が映っている。マリーの動きに伴って、私も床に映ったマリーの姿を視界にいれた。
マリー・オーランド………?
私は床に映ったマリーの姿が、脳裏に焼き付いた。その姿と名前が一致したことで、やっとその事実に気づき、思い出したのだ。
なぜ、その名前と、目の前にいる2人の顔に既視感があるのか。
これは、私が生前プレイしていたゲームだ。
そして、私こと新垣真理は、この世には既にいないことを。