第八話
「……う、ん……?」
――――少年が目を覚ますと、眠る前とはうって変わって、周囲は真っ暗になっていた。
ほとんど何も見えない中で、ぼんやりと月明かりに照らされ隣で眠る二人の少女の輪郭だけが、薄っすらと少年の目に映る。
二人とも横たわってはいたが、スヤスヤと穏やかな寝息を立てて眠っており、少年もそれで生きていると分かって安心することができた。
すると次に彼は、寝惚けた頭で現状を思い出そうと周囲を見渡す。
海を漂流していた苦い記憶はすぐに思い出せたが、明らかに今いるのは海の上では無さそうであった。
そうしているうちに段々と記憶が戻り始め、同時に誰かの声が少年の耳に入る。
「三個体中、一個体の覚醒を確認。残り二個体はまだ眠っております」
「もう少し小声で話せ。起こしてしまうだろ?」
「かしこまりました。以後、音量調節に配慮します」
「よお、しっかり眠れたか? 俺が誰だか分かるか?」
その声を聞き、少年は酷くホッとする。
実は眠りに就く前の夢のような出来事は本当に夢であり、現実は目覚めても薄汚れた馬小屋の中なのではないか。あるいはまだ海の上で舟に揺られており、先の悪夢のような出来事が正夢となって、直後に舟ごと怪物に食われるのではないか。咄嗟に、そんなことを思い浮かべてしまっていたのだ。
「……魔王様? 良かった、夢じゃなかったんですね? 僕たち、本当に悪夢から解放されたんですね?」
「お前の言う悪夢というのが、生まれてからこれまでの人生のことなのか、それとも海で怪物に食われそうになっていたことなのかは分からんが? 少なくとも、俺とともに島に降り立った時からはずっと、お前たちは全てから解放されて自由であると言えるぞ?」
「良かった……本当に、良かった……」
「ほら、涙を拭け。長時間眠っていたのだから、寝起きに泣き過ぎると脱水を起こすぞ?」
姿もはっきり見えない魔王コージュからそう言われ、少年はふと今がいつなのかが気になった。
眠る前は陽が高くあったから、日暮れの直後なのか。それとも、すでに真夜中近いのか。
それを確かめようと、彼は魔王コージュに質問をする。
「えっと、魔王様? 今っていつ頃なんですか?」
「む? 時間帯のことなら、もうすぐ夜明けだぞ?」
「えっ!?」
だが返って来た答えは、予想外のものであった。
驚くのも無理はなく、眠ったのが昼頃だとすると、彼は無防備に十数時間も眠っていたことになるのだから。
「ああ、すまん。疲れが溜まっているようだったから、眠りの魔法をかけさせてもらったのだ。勝手にして悪かったが、そのおかげで快調であろう?」
「……そう言われてみれば、すっごく調子がいい感じです。魔王様、そんなことまでできるんですね?」
「大体なんでもできるぞ? 一瞬で疲労回復させることもできたが、それもあまりに不自然だからな? 眠る方が生物としては本来の姿で自然だろ」
「何から何までありがとうございます」
「よいよい。気にするな」
少年の態度は、眠る前とは違って太々しさがなく、丁寧なものであった。
だがしかし、魔王コージュに警戒心を抱いているとか怯えているとかいうわけではなく、いたって自然な感じだったのだ。
まだまだ全てを委ねられるとまではいかないだろうが、少なくとも「勝手に魔法をかけた」と言われても動揺しない程度に信用してくれているのは確かなのだから。まだ、たった一日の付き合いだというのに。
だから、魔王コージュもそんな少年を心地良く感じながら話をすることができていた。
「……ん……むぅ……?」
「さらに一個体が覚醒しかかっております。強制的に覚醒させますか?」
「要らん。自然に起きるまで待ってやれ」
「かしこまりました」
「……ふぁ~……あ? あれ、ここは……?」
寝惚けた様子で、少年と同じように状況を把握しようと周囲を見回す少女に、少年が声をかける。
「起きた? 目覚めたばっかだから思い出せなくて混乱するよね」
「……あッ!? そうだ、さっきのってまさか……夢!?」
「違うぞ? 俺もちゃんといるし、お前は現実で解放されて自由だ」
「……よかったぁ」
そう安堵して、少年と同じように魔王コージュの声を喜ぶ少女。
そんな二人の声にも反応を示さず、もう一人の少女は未だスヤスヤと眠っていた。
「……そっちのは、死んではおらんようだが……なかなか図太いようだな。まあ疲れていただろうし、まだ眠っていてもいいが」
「強制的に覚醒させることも可能……」
「要らんて! それより、もうそろそろ夜明けだ。陽が昇れば嫌でも目覚めるだろ?」
「かしこまりました」
そんな掛け合いをする二人の声にも反応せず、少女はなおもスヤスヤと眠り続けていた。
すると間もなく、魔王コージュの言った通り、空に薄っすらと明るさが灯り始める。
「おお、この世界で初の夜明け……もとい、この場所で初めての日の出だな! めでたいから、これにちなんで国名を名乗る際には“日出国”にでもしようか!」
転生後初の日の出にテンションが上がり、そんな前世ネタを口にする魔王コージュ。
だが誰にも分かってもらえるはずもなく、返って来たのは彼が思い描いたのとは違う答えであった。
「どちらかというと、魔王コージュ様の偉大さを表す国名を推奨します」
「なら、“コージュ様最強国”だね!」
「センス!? いや国名とか冗談だから、それ以上俺の名を辱めんでくれ」
「……寝起きでイマイチついて行けてないんだけど。でもそれならいっそ、シンプルに“コージュ国”でいいんじゃない?」
「だからセンス!? もういいわ、それより日の出だぞ、ほら!」
自分の名前を推された恥ずかしさもあったのか、皆の気を逸らそうと彼は大袈裟に日の出を指差してみせた。
現在は島の中央から東寄りの地点にいるため、遮るものも無く水平線までハッキリと見えている。
島を覆う結界の向こう側にある属性マナとて、混ざり合わなければほぼ無色透明なため、上空以外は見通しが良く日の出の方角の空も今はクリアであった。
「……」
「……」
そうして段々と明るくなる空に、景色に、無言で目を奪われる少年と少女。
「……?」
「……?」
だが、それは美しさに見とれているのではなく、どちらかというと自分の目を疑っているようであった。
その理由を知っている魔王コージュは、してやったりという表情で笑みをこぼす。
「……ん?」
「……んむむ?」
「ククッ、どうかしたのか? 素晴らしい景色だとは思わんか?」
陽の光に照らされ、徐々に明らかになる島の様子。
それを見て驚く二人に、魔王コージュは意地悪にもそんな問いかけをする。
「……あれ? やっぱり僕たちって死んだ? 天国にいる?」
「……こ、ここって死の大地……よね? 昨日と同じ……」
「……フフフ、フハハハハハ! ナイスリアクションだな、二人とも! そうやって驚いてくれると、俺も頑張った甲斐があるというものだ!」
「う、嘘でしょ!? まさかこれ、魔王様がやったの!?」
「ひ、一晩で!? 僕たち、実は何年も眠ってたとかじゃなく!?」
「それはもう頑張りましたとも! お前たちの驚く顔が見たくてな! どうだ、凄いだろ!?」
ドヤ顔で大声ではしゃぐ魔王と、驚愕で同じく大声を上げる子どもたち二人。
そうなれば当然、もう一人とて眠っていられるはずもない。
「…………う、むぅ……?」
ちょうど差し込んだ陽の光と大声で、遂に最後の少女も目を覚ましてしまう。
ぼやけた目を擦って、朝日に照らされた景色をハッキリさせようとする少女。
するとその瞳に映った光景に、少女はまだ寝惚けた頭で見たままを口に出した。
「…………わぁ! 綺麗な草原の夢だ~……」
少女の――――三人の前には、サバンナのような美しい草原が広がっていた。
死の大地だった場所は、今や草木の点在する美しい景色に変わっていたのだ。
「嘘でしょ!? あり得ない!!」
「何がどうなってるの!?」
「言ったであろう、なんでもできるとな。ワハハハハ」
「「限度がありますよ!?」」
「……あれ? これって夢……じゃないの?」
子どもたちが混乱するさまに、流石にそろそろ申し訳ないと思ったのか。
魔王コージュも我に返り、しっかりと説明をしてあげることにした。
「いやな、お前たちが眠った後で死んだ土壌の改善をしたのだがな? どうせならある程度の植物もあった方がいいかと思って、ちょいと各国にひとっ飛びしてきたのだ。それで、そこで採取してきたものを更に複製して植えてみたのだよ。集めてきた堆肥も撒いてからな?」
そんな話にポカンとする子どもたちを置き去りに、魔王コージュは腕を組んでウンウンと頷き、話の続きを口に出す。
「そしたら、お前たちがそれを見て驚いてくれる姿を想像したら……なんだか楽しくなってきてな? 最初は木一本だったのが二本に、草一束が二束に、花一輪が二輪に、そのうち二が三に、三が四、五、六、七、八……たくさん、となってな? もう止まらなくなってしまって……」
「な、な……「なってな?」じゃ、ありませんよ!? 今、もの凄いことさらりと言ってますからね!?」
「た、確かに私たちを助けてくれた時も、空は飛んでたけども! 各国で採取ってどういうこと!? そもそも採取って何!?」
「……くぅぅ、おなかすいた……」
そんな空気の中で、一番最後に目覚めた少女が緊張感のない声で空腹を訴える。
その毒気の無さに、場の全員が脱力させられてしまった。
「……あ、あなた、よくこの状況でそんなこと言えるわねぇ?」
「フフフ、腹が減るのは生きている証拠であるぞ? まあ、戸惑うのは無理もない。折角だから飯でも食いながら続きを話すとしよう」
「「ごはんまであるの!?」」
「わーい、ごはん~♪」
先に目覚めた二人の驚きようとは裏腹に、もう一人はのんきなものであった。
だが魔王コージュは戸惑う二人に構わず、各国で同じように複製して空間魔法で保管していた食料品を、結界の応用で作ったテーブルに並べ始める。
「イエノロ、お前も食べるか?」
「人形は食事が不要です。摂取自体は可能です」
「なら食え。その体の維持とは別に、味覚を楽しんでおくがよい」
「了解しました」
昨日までは一切の生物が生息不可能な場所だったというのに。
今やこの島には魔王コージュが運んだ草木が点在し、子どもたちの喜ぶ声までもが溢れる場所になっていた。まだ放心気味の二人もいるが。
その光景はまるで、草原でキャンプを楽しむ親子か兄弟姉妹のようで。
昨日まで劣等種と呼ばれて死の訪れに怯えていたはずの三人は、もはや死など脳裏に浮かべる暇も無いほどの驚きと興奮に満たされつつあったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……じゃあ、その《コピー》ってやつで、どんなものでも生み出せるってわけ?」
「いや、どんなものでも……ではない。必ず当人か持ち主の許可が必要なのだ。だから、意外と使い勝手は悪いぞ?」
「……当人って、何ですか?」
「例えばあそこに見える木なら、元の木に話しかけて複製させてもらうのだ。一度コピーすればあとは何度でも自由だが、種の多様性維持のためにも何本かに話しかけて協力してもらったのだぞ? 全て同じクローンでは色々と問題があってな」
「木に話しかける!? またあり得ないことをサラッと……」
そうして食事を摂りながら会話を重ねていくうちに、魔王コージュの昨夜の冒険譚の一部が明らかにされる。
彼の持つ《全知全能スキル》を使った人知を超えた技能、その名も《複製》が大活躍した話が。
「今食べている肉も野菜も、動物や植物たちに頼み込んで肉体の一部をコピーさせてもらったのだ。偽善かもしれんが、誰の命も奪うことなく生きられる夢のようなスキルだと思わんか?」
「思わんかって言われても……ちょっと常軌を逸し過ぎてて、そんなすぐには呑み込めないわよ」
「……飲み込めない? ノドに詰まった? ウチの水、あげようか?」
「いや、そっちじゃなくて。……はぁ、あなたはのんきねぇ?」
そんな状況でものんびりとマイペースに食事する女の子に、もう一人が呆れた顔で溜め息を吐く。
その状況を見て、魔王コージュはあることに漸く気付く。
「そういえば、今更だが名前をまだ聞いていなかったな。お前たち、名はあるのか?」
「え? あ、そういえばまだ名乗っていなかったわね。魔王コージュ様の名前は聞いてたのに」
「昨日はドタバタだったもんね? えっと……じゃあ僕から自己紹介してもいい?」
「あい~♪」
そう言って、まずは少年から自己紹介が始まることに。
普通なら最初にするものなのだが、昨日はまだ転生したての魔王と疲れ切った子どもたちだったため、どちらもうっかりしていたのだろう。
そうして、リスのような外見のその少年が口を開いた。
「僕は獣人、栗鼠族のタマです。よく、猫人族の人みたいな名前だって言われますけど本名です。家名は知りません、孤児なので。改めてよろしくお願いします、魔王様、みんな」
そんな丁寧な自己紹介に、魔王コージュがパチパチと拍手をして讃える。
すると二人の少女も続いて拍手し、少年は照れくさそうに鼻を掻いて俯いた。
「本当に猫……猫人族のような名前だな? タマ、とは」
「よく言われます」
「だが可愛くもあり、同時に凛々しくもある良い名だ。お前にピッタリだと思うぞ、タマ?」
「きょ、きょきょ、恐縮、です……」
そうしてベタ褒めされた少年――――改めタマが赤面したところで、続いて少女の一人が自己紹介を始める。
「じゃあ、次は私ね。私は小型のカンガルーの獣人で、名前はユイよ。私も孤児で、孤児院育ち。よろしくー」
「小型のカンガルー? ワラビーとかワラルーってことか?」
「詳しいわね、魔王様? 私は見た感じだとワラルー獣人なんだけど、親がいない上にどうもハーフかなにかみたいで、正確には分からないのよ。まあ長尾驢人族でも小袋鼠人族でも、大きさが違うだけだからどれでもいいんだけどさ?」
「……ふむ。俺のスキルによる鑑定では、ワラルーと出たぞ? どうやらハーフではなくクォーターで、祖父の一人が猿人族だったようだな」
「分かっちゃった!? ど、どどど、どういう…………って、もうなんでもありでいいか、この魔王様は。今更だよねー」
「分かってよかったではないか。よかったのだから、その呆れた顔を止めてくれ、ユイ?」
親を失って永遠に分かるはずのなかった少女の出生も、魔王のスキルにかかればこの通りである。
そんな少女――――改めユイが溜め息を吐いていると、最後の一人が食事の手を止めて口を開いた。
「魔王様、ごちそうさまでした」
「おう、腹は膨れたか?」
「うん、ありがと。ウチはハルピア族のアリア、亜人です。よろしくお願いします」
「マ、マイペースねぇ? 舟で一緒の時は、もっと緊張感があったと思ってたけど……」
「今は緊張する必要無いもん。元々ウチはこんな感じで、よく揶揄われてた」
「そうか。よろしくな、アリア」
「はい~♪」
最後の少女――――改めアリアが挨拶を終えると、ちょうど朝食の時間は終了となる。
三人とも長旅による飢餓で空腹も限界だったはずだが、朝食は万能の魔王が用意したにしては意外と質素なものであった。
だがそれは魔王コージュの計算であり、別に意地悪などではない。急に栄養豊富な食事を大量に摂って胃腸にダメージを与えないようにと、魔王コージュが配慮したのだ。
子どもたちはもっと食べたかったかもしれないが、一日何度か食事を摂らせるからという魔王コージュの説明で子どもたちも渋々ながらそれに納得していた。
食べたい盛りの上に長く漂流していた子どもたちには少し酷かもしれないが、徐々に慣らさなければ苦しい思いをするのは子どもたちなのだ。
三人は幸いにも魔王の言葉を信用してくれたようで、誰も文句は言わずに提供された食事にただ感謝する。
――――因みに亜人と獣人の違いはというと、獣人は数多存在する亜人の種族の中の一種であり、亜人の中で一番旺盛な繁殖力から最も数が多い。
それゆえ獣人だけは亜人と名乗らないことが、この世界では当たり前になっていた。だからアリアだけは亜人のハルピア種だが、残る二人は獣人種と名乗ったのだ。
身の内に宿る六つの属性、その血統の種数から分類された様々な亜人が暮らす惑星エルミンパス。
なかなかに複雑でややこしいものである。
「……ねぇ、魔王様?」
「コージュでよいぞ? なんだ、タマ?」
そうして食事を終えて後片付けをしていると、不意にタマが魔王に声をかけた。
それに反応した魔王コージュが返答して名前を呼ぶと、タマはモジモジとして表情を緩める。
「……えへへ、名前呼んでもらうの嬉しいね。じゃあコージュ様、あっちの木とか草とか少し見て来てもいい?」
「もちろんいいぞ。この島の中なら全てスキルで見えているし、島の端と端にいても分かるのだ。万が一危険があれば俺が飛んで行くから安心しろ。昨日も言ったがお前たちはもう自由なのだ。食事や相談がある時は集合してもらいたいが、それ以外なら俺に確認せんでも好きにしていていい」
「わーい、やった! なら、行ってきまーす!」
「あ! なら私も行ってみたい! コージュ様、行ってきます!」
「ああ、ユイも気を付けてな。また次の食事の時に声をかけるぞ」
「……ユ、ユイって呼んでもらっちゃった。エヘ、エヘヘヘヘ♪」
そう言って二人を送り出す魔王コージュ。
名前を呼ばれた二人も大層嬉しそうであったが、呼んだ魔王の方も顔をふやけさせた二人にメロメロであった。
仲間とは言ったけれど。
そういう部分では親子か兄弟姉妹のようであり、魔王コージュも父性愛とでも呼べるような感情を抱き始めていた。
「さて、それではこれから何をし……」
「……魔王様。コージュ……様?」
「おっ? なんだ、アリアも一緒に遊んで来てもいい、の……だ、ぞ……?」
ふと背後から声をかけられて、最後の一人も同じように名前を呼んであげた魔王コージュ。
その脳裏には、名前を呼ばれた彼女はどんな反応をし、どんな顔で喜ぶのか。ただそれだけが浮かんでいた。
だが――――
「……いったい何をしているのだ? アリア……」
「……」
――――そこには服を脱ぎ捨て裸になって佇む少女の姿があった。
どうしてか、覚悟を決めた表情をして。