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第七十六話

本日もよろしくお願いします。



 魔法陣の中心に生まれ出でたもの。


 ()()は、あたかも小さなブラックホールのようであり。

 真っ暗で、黒く、そして……(おぞ)ましい。


 ひと際大きく脈動した魔法陣は、それを排出しようと最後の力を振り絞ると、やがて役目を終えて消え去って行く。

 眩い閃光に包まれた島の一角には、静寂と土煙。そしてなにやら小さな小さな塊だけが残されていた。


「……」

「……」


 それを見守るのは、島の救世主と讃えられた王。そしてその最愛の者。

 つまりは魔王コージュとアクア……今はスプライトと呼ぶべきか。


「……今さらだが、アレをなんとかしてくれないかと頼むのはOKなのか?」



 否、そこにはもう一人の影があった。

 それは存在感が希薄で、普段から島に常駐しているにもかかわらず、皆から認知されることの少ない男。


 だが――――



『……うーん、それはちょっと無理かなあ? 怪物種(モンスター)たちの件は俺たち神の責任だから手を貸したんだけど、()()は完全に下界(そっち)の出来事だから。もし地上が滅びる寸前までになったら手を差し伸べる可能性はあるけど、現段階で俺たち神々が助け舟を出すのは期待しないでほしいかな?』


 そこにいたのは、輝かしいまでのオーラを宿した者。

 それでいて何処にも存在していないかのような感覚を周囲の者へと齎し、だがやはり絶対的な畏怖の念を抱かせる不可思議な存在。


「……そう言われる気はしていたよ。ここまで何の忠告も無しだったからな」


『まあ、頑張ってみてよ。サービスで結界の外側に漏れ出る衝撃波くらいはイエノロに止めさせるからさ?』


「それは心強い。なんなら俺にも強化(バフ)のサービスくらいあってもいいのだぞ?」


『応援してるから、無事に終わったらまた声かけてよね♪ バイバーイ』


 そんな軽いセリフを残し、その者は再び希薄な存在へと変貌を遂げた。

 姿かたちは何も変わっていないというのに、先ほどまでの気配(オーラ)は微塵も無い。


「……あの、コージュ様?」


「ああ、すまん。こっちの話だ、気にせんでくれ」


 この場には自分たちしかいないのだから、(コージュ)が話しかけてくるとしたら自分のはずだ。そう思って返事をしようとしたはずなのに、会話はどうしてか既に終わっていた。

 つい数秒前までこの世のものとは思えない神々しい()()()を目の当たりにして言葉を失っていた気もするのだが、今はその記憶も朧気で、何も感じられない。


 スプライトはそんな不思議な感覚を覚えながらも、決して魔法陣のあった場所からは目を話すことなく彼に話しかけていた。


「さて、そろそろ始まるようだ。ここからは会話している余裕も無いかもしれん。どうしてもこの場に居続けるつもりなら、絶対にその場から動くなよ?」


「は、はい。承知いたしました」


 それは、魔王コージュとて同じであった。

 目を逸らさないのではなく、逸らした瞬間に取り返しの付かない事態が起きる可能性があるから逸らせないのだ。


 未だ真っ暗な塊に動きは無いが、先刻からずっと悍ましい威圧感だけはひしひしと伝わってきているのだから。


「無駄と分かっていても、結界……もっと増やしておけばよかったかな」


 そんな魔王の呟きと同時に、()()が動き始めた。


 ボコボコと膨張しはじめた塊を核にして、上下左右に暗闇が伸びていく。

 火口から流れ出した溶岩に似た黒い流動体が、まるで十字架のような形に変化し、その形で膨張を止めた。


 すると動きは止まったが、()()は段々と密度を増すように色合いを濃くし、まるで真っ黒いオブジェのようにそこに鎮座する。

 そのまま島の一部となって、永遠に在るかのような静けさで。



〈RUUUUUUUYUUUUUUUUXUUUUU!!〉



 だが突如として響き渡った異音に、魔王もスプライトも一瞬にして凍り付く。

 それは声のようで声ではなく、音のようで音でもなかった。もちろん言語でも、意味を持つ何かでもない。


 まるで空間がひび割れる衝撃が、直接脳へと入ってきたかのような。

 あまりの悍ましさに、スプライトは崩れてその場へとへたり込んでしまう。早くも「動くな」というコージュとの約束を守れずに。


 だが、今はそんなことを言っている余裕など無かった。


「悪い冗談か、夢だったらどれだけ良かったかな……」


 そんな魔王の願いを嘲笑うかのように、()()の下半分が左右に割れ、再び形を変えはじめる。

 それと同時に上方も形を徐々に変え、十字架のようなフォルムだった()()は、やがて人の形に近付いていく。



〈KEEEEEPPPPPPEEEEEEEXEEEEE……〉



 遍く生命に絶望を齎す異音を垂れ流し、遂にソレは小さな子どものような姿へと変貌を遂げる。

 真っ黒い体に、腕と足の形を模した部品(パーツ)を取り繕い、一番上に暗い球体を乗せただけの、人型の紛い物。


 子どもの姿をした……悪夢そのもの。



〈FAAAAATHAAAAAAAXAAAA……〉



 ソレを直視したら、普通の人は発狂してもおかしくなかっただろう。


 幸運だったのは、この場にいる魔王は普通とはかけ離れていて、スプライトも常人を超越した存在だったことだ。

 そのスプライトも今はただ震えて俯き、それを直視していなかった。だから平常とはかけ離れた精神状態ではあっても、狂うには至っていない。


 そんな二人の存在を見つめるためなのだろうか。

 次の瞬間、ブラックホールのような頭部にまるで眼のような小球体が二つ出現し、コージュたちのいる方へと向けられる。


「……クッ‼ これ……ほどか……‼」


 派手な動きなど全く無い。

 だというのに、コージュは顔を青褪めさせて冷や汗を流す。


 その二つの小球体から放たれた視線に似たものだけで、万能の魔王たる彼ですら戦慄するほどの威圧感があった。

 それが彼女に届けば、最悪の場合は心停止すらあり得るかもしれない。だからこそ魔王は自身の身を(てい)して彼女の前に立ち塞がり、ソレの視線から彼女を隠していたのだ。


「…………なあ? 会話は可能か? そう睨み付けず、少し俺たちと話でもしてみないか?」


 精一杯の虚勢を張り、そんな提案を発してみた魔王だったが、ソレからは何の返事もない。

 それどころか意味を理解している様子もなく。ソレは直立したまま立ち尽くし、微かな反応さえ見せなかった。


 体の表面は、境目が分からないほどに暗く歪み。

 纏う気配(オーラ)は、距離感さえ錯覚するほどの威圧感で満ちていた。


 すると次の瞬間、ソレが永遠にも思えるほどの鈍重さで、一歩踏み出す。


「……よお? これがお前好みの対人距離(パーソナルスペース)か?」


 だが、ソレの姿はいつの間にか魔王の目前まで迫っていた。


 ソレの一歩は、ほんの数十センチ程度だった。にもかかわらず、この星を一周してきたかと錯覚するほどに膨大な運動エネルギーを秘めていた。

 事実、ソレが本気ならば千里の距離をも刹那のうちに踏破可能であった。


 万能の力をフル稼働させていてなお、魔王にはその動きが辛うじて見える程度。

 そのカラクリは単純で、()()()という解明可能なただの技術であった。そこに籠められたエネルギーが、尋常ではないくらい膨大だというだけの話で。


 ソレの持つ膨大なエネルギーならば、本当に刹那の時で世界中を駆け回ることも余裕で、つまりは世界の全てを瞬時に蹂躙し尽くすことすら容易いこと。

 生まれたばかりでそんなとんでもない技能を繰り出せることからして馬鹿げていて、とんでもないチート能力を極める魔王コージュですら、こんな状況でなければ呆れて溜め息を吐いていただろう。


 それでも今はこんな状況だから、彼は呆れる代わりにソレに向けて気の抜けるような皮肉を言うので精一杯だったのだ。



〈……AAAAAAHHHHAAAAXAAA?〉



 するとほんの僅かだが、コージュとソレの間で意思疎通が為された気がした。

 言語は通じていなくとも、穏やかに語りかける魔王の姿に友好的な何かを感じたのか。ソレはにこやかに微笑んだ魔王を――――



「――――カハッ‼」



 ――――次の瞬間、魔王は自らが張った結界の際まで吹き飛ばされる。


 辛うじて踏ん張り、姿勢を維持した魔王の下へ、遅れて膨大な衝撃波と轟音が届けられた。

 この世界に来てから初めてのことかもしれない。彼の口からは膨大な量の血液が吐き出され、それは大地に落ちる前に衝撃波の圧力で彼方へと飛ばされて行った。


 吐血した程度では瞬時に回復可能な魔王だが、それでも守るべき彼女(アクア)の前から移動させられたことは不覚であった。

 とはいえ、先に攻撃するのも避けるのもあり得ないことで。先に攻撃すれば敵意と取られ、避ければ背後の彼女の体がバラバラになって死に絶えていたから。


「――――ちょっと空中散歩を楽しんで来る! 帰りは遅くなるかもしれんから、動けるようなら先に帰って休んでいてくれ!」


 だが、既に向こうが仕掛けた後ならば話は違う。

 その声がスプライトの耳に届いた時、彼女の目の前には既に彼の姿は無く。そして先ほどまで彼女の前に鎮座していた黒い影も同時に姿を消していた。


 目下の脅威から解放されたことで我に返ったのか、スプライトはハッとなって顔を上げ、周囲を見回した。

 だが、さっきまで魔法陣があった場所にも、彼女の背後にも、どこにも両者の姿は確認できない。そこで漸く彼女は魔王の残していった()()()()という言葉の意味を理解し、慌てて視線を頭上へと向けた。


「…………いた! コージュ様!」


 彼女の見上げた先で、大気が震えて空間が歪む現象が発生していた。


 スプライトの目では魔王の姿もソレの姿もハッキリと捉えることはできなかったが、その歪みこそが彼らのいる証なのだと察する。

 そして僅か数秒間だけ空を見上げた直後、彼女は自分がその場にいるだけで足手纏いだと悟り、即座に行動を開始する。


「すぐに離れなきゃ」


 あまりに次元の違う存在同士の衝突に、彼女は次の瞬間にでも自分がバラバラにされる恐怖に怯えていた。見えない何かが空から降り注ぎ、大地ごと自分を抉って絶命させるかもしれない……と。

 だが恐怖でその場から動けずにいて、最愛の人の迷惑になる方が耐え難かった。それにいくら彼らに劣るとはいえ、自分はこの世界において上位の存在、純血種の力を持つ者なのだ。そのプライドも手伝って、彼女は必死に自分を奮い立たせる。


 瞬時に判断を下し、きっと彼が稼いでくれているであろう僅かな時間で、結界の外を目指す。それくらいなら自分にも可能なはずだから。

 彼女は自身の力を過小評価も過大評価もせず、そう考えると同時に全力で走り出していた。



 ――――その頃、上空では。


 そんな彼女の存在など微塵も意識していないのか、ソレが飛び回る蚊でも叩こうとするように魔王に向かって動いていた。攻撃というより、じゃれ付いているだけのようにも見える。


 ソレにとっては彼女の決死の覚悟も無意味。それどころか、次の瞬間には気まぐれに彼女か世界のどちらかを消滅させてしまうかもしれないのだ。

 彼女の命も含め、全てがソレにとっては無価値で平等。それよりも目の前の玩具(コージュ)の方が今は興味深いのか。



 なんにせよ、彼女は幸運にも結界の外へと辿り着くことに成功した。

 ソレの意識に捉えられることなく、注意を向けられることなく。彼女はソレにとって無価値なままで未だ生き永らえることができていた。


「“……そこまで辿り着けば、ひとまずは安全だろう。というか、そこが駄目ならこの世界のどこでも等しく危険だろうからな”」


「“コ、コージュ様⁉ 会話する余裕があるのですか⁉”」


「“まあ、なんとかな。結界の中でこいつと二人きりなら、動きに慣れてきたこともあってさっきよりはまだ余裕があるのさ”」


 その言葉で、先ほどまでの彼が自分(スプライト)を守るため、どれほどの労力を費やしていたかを知る。

 きっと自分がさっさと帰ってさえいれば、彼は血を流すことも無かったのだろう。そんな事実に絶望しかけた彼女に、再び彼からテレパシーが届けられる。


「“勘違いするなよ? さっきの一撃を食らったのは、俺が敢えて様子見をしていたからだ。お前が居ようがいまいが、あれはどっちにせよ食らっていた。だからお前が気に病む必要など無いのだぞ?”」


 この期に及んで優しい気遣いをみせた最愛の存在に、スプライトは思わず目を潤ませて上空の彼から視線を外す。

 この期に及んで彼の方に気を遣わせるなど愚の骨頂だが、それでも純粋に嬉しく思ってしまったのだ。


 だがすぐに、スプライトは先ほどの光景を思い浮かべながら、なにか自分にできることは無いかと考えを巡らせる。

 そんなものが存在しないとしても、ならばせめてヒントが得られないかと恐る恐る上空を向き、闘いの真っ只中にいる彼に向けて質問を投げかけてみる。


「“コージュ様の御力でも、その者の攻撃は無効化できないのですか?”」


「“ああ、それは不可能だな。いくら万能の力があっても、こいつが放っているのは魔法やスキルではなく、ただの純粋なエネルギーなんだよ”」


「“えっ?”」


「“魔法障壁も物理障壁も、スキルの無効化も、全て無駄なのさ。純粋なエネルギーの波動ならば、どうやっても防げん。もしも相殺しようと同等量のエネルギーをぶつければ、生まれた衝撃波と爆発によって、あっという間にイシュディアは消滅する。ハッキリ言って打つ手無しだな”」


「“そ、そんな……”」


 帰ってきた答えは、さらに彼女の希望を打ち砕くものでしかなかった。

 魔法でのサポートも、スキルも無駄となれば……最早彼女にできることなど何も無い。かつては世界最強と思えていた自身の力とて、今は無力でしかない。


 そんな絶望で打ちひしがれる彼女を尻目に、上空ではなおも二つの存在がぶつかり続けていた。


 否、彼の言葉通りならぶつかってはいないのだろう。

 二つのエネルギーがぶつかると国が亡ぶなら、魔王コージュはそんな絶望的な状況の中であっても、上手くソレの力を逸らして耐えているのだ。





 そんな状況下にあっても、魔王は……彼は何故だか笑っていた。


 空の上にいる彼の顔は、神以外に見ることは叶わないが。その余裕は彼が開き直ったわけでも諦めたわけでもなく、しっかりと理由があってのことだった。


「……まったく、どんなものでも取っておくものだな。前世の世界の叡智“()()()()()()”とは、かくも偉大なり。これが無事に終わったら、是非ともこの世界にも流布して回ることにしようかな?」


 そんな独り言を呟くと、魔王は再びニヤリと笑ってソレを見つめる。


 その顔は、いつも彼が何かを企んでいる時の表情。

 そんな企みなどは露知らず、ソレは無防備に目の前の魔王をただただ破壊しようと暴れ続けていた。



 彼が敗れた瞬間、世界は滅びるかもしれない。その企みに、世界の運命がかかっているかもしれないというのに。

 それでも彼は、何故だか楽しそうに笑みを零すのであった。





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