第七十五話
本日もよろしくお願いします。
魔王コージュから、彼が神の使いだと知らされたスプライト。
そんな馬鹿げたカミングアウトをすぐに信じられるはずもなく、彼女は唖然として黙り込んでしまう。
「魔王なのに神の使徒とか、矛盾してないかと思……いや、この世界の者からすれば使徒も魔王も概念すら存在しない上に、勇者とか魔王の常識も無いのか。だったら混乱のしようが無いな」
「……コ、コージュ様? いったい何の話を……?」
「ともかく、そういう前提があってな。そこで本題なのだが、件の魔法陣の効果というものが、そもそも……」
「ちょ、ちょっと待っていただけませんか⁉ ほ、本題も何も、まだ何も呑み込めていないものでして……」
こんな状況でもマイペースに話を進めようとする魔王に、スプライトが慌てて待ったをかけた。
それもそのはず、神の使いなどというとんでもない秘密をサラッと流して話の本題とやらに進む魔王の方がおかしいのである。自分の正体は本題にはなり得ないとでも言いたいのか。
そしてスプライトの待ったを受けた魔王は、徐々に輝きを増しつつある魔法陣にチラリと視線を向けてから再びスプライトと目を合わせる。
「……ゆっくりと呑み込め、いくらでも待ってやる――――と言ってやりたいところだが、あまり時間が無い。すまんが、その辺の話は世界が滅びなかったら後で詳しく説明するというのでは駄目か?」
「よ、よいわけが無いで…………い、いえ、仕方ありませんね。あなたほどの方がそこまで急ぐということは、きっと本当にマズい何かがあるのですものね?」
「話が早くて助かるよ。まあ、とにかく俺は神に通じる存在だと頭の隅に入れておいてくれればいい」
「……はい。神様がいて、通じている……そういうことにしておきましょう。全く理解も納得もできてはいませんけれども」
未だ困惑してはいるものの、スプライトは無理矢理に自分へと言い聞かせて魔王の話を先に進める許可を下す。
普段の凛とした彼女ならば表面上は平静を保てたかもしれないが、今は二人きりなのと世界の滅亡などという虚言か事実か判断に困ることを突き付けられた状況下で、脇が甘くなっているようであった。
だが一段と活性を増す魔法陣の光に急く魔王は、それもお構いなしという感じで話を切り出した。
「先に謝っておこう。今回の件は、俺がその件を秘密にせざるを得なかったことが原因なのだ。だからお前は悪くない」
「はあ? そうなのですか……? 今は秘密にしなくてもよろしいので?」
「緊急事態だからな。そこを説明せんと話が進められんのだ、仕方ない」
イマイチ話の先が読めず首を傾げるスプライトに、魔王は続けて説明を行う。
「それで、ここから本題だ。お前のこの魔法陣の術式だが、これは……この島の大地に眠る者たちの無念を晴らすもので間違いないな?」
そう指摘され、スプライトは一瞬驚いた表情を浮かべた後でコクリと頷いた。
「はい。もう全てお分かりなのでしょうが……私は長い年月、この島の事態を嘆き続けてきました。島流しという愚かな文化も差別も、どうにか止めさせられないかと模索し続けて来たのです」
「……」
「ですが、私がいくら純血種に近しい存在であっても人々の心を変えることは叶いませんでした。それどころか、私が唯一無二の血と強大な力を持つことが露見すればきっと祀り上げられ、歪な身分制度によって下位の者たちへの迫害はさらに増すことが予想されましたから。今の権力と立場を得てからは、むしろほとんど何も成し遂げられずにただ指を咥えて百数十年を過ごしておりましたわ」
「……」
その話を聞きながら、コージュは彼女の味わってきた苦しみを思い浮かべてギリリと奥歯を噛み締めていた。
これまで水の国のアルティナから聞き出せた内容や、スプライトがたまに油断して心に思い浮かべることのあった過去の映像からも、彼女が日々それに心を砕いていたことや自らの立場との葛藤に苦しんでいたことが分かっていたからだ。
むしろ、彼女が裏で暗躍し続けてきたからこそ、この程度で済んでいたとも言える。樹少年の前世でかつて行われていた魔女狩りのように、最悪の場合は五種混血を炙り出して根絶やしにしなければという危険思想にまで発展していた可能性さえあった。
それなのに、五種混血が判明したら島流し……程度で済んだのは、間違いなく彼女が自棄にならず、百数十年もの長き間に渡り水の国の影の頂点に鎮座し続けてくれたからなのだ。
彼女自身の中では無駄な百数十年だったのかもしれないが、間違いなくそれによって生き長らえた命も存在する。もしも彼女が危険を冒して行動し、その立場から引きずり降ろされでもしていたら、事態はもっと最悪だったかもしれないのだから。
魔王はその結論に達していたからこそ、自責の念に囚われたスプライトの悔しさや苦しみを嘆き、共感していた。
「……お前はよくやったと、俺は思うぞ。その苦労も後悔も嘆きも、俺は後から知ることしかできなかったがな」
「……ありがとうございます。そのお言葉で少しだけ救われますわ。ですが、現実に何も変えられなかったことは事実ですので」
そう話すと、スプライトは小さく息を吐き、再び話の続きを始める。
「それでですね、私は思い立ちました。せめて、島に流されて息絶えた者たちの無念だけでも晴らし、せめて、魂だけでも成仏させてさしあげたいと」
「……」
「ゆえに、ここ二十年ほどはそういう関連の研究に没頭しておりました。幸いにも私の思想に共感してくれる上に、有能でもあるアルティナという子にも巡り会えましたし。彼女に表立っての国の舵取りや執務を任せられましたから、おかげでこうして魔法陣の完成まで漕ぎ付けることができたのです」
そうしてアルティナの存在を誇らしげに語ってみせたスプライトは、両手を大きく広げて自らの研究の集大成である魔法陣を改めて魔王に披露した。
「……だから、なおさら分からないんですよ。私が長き時を費やし、アルティナの力添えでここまで至った究極の魔法陣。それが……どうして世界の破滅へと繋がるというのです?」
「うむ。そこが俺の謝罪した理由でもあるのだが……お前の魔法陣は、この地に眠る死者の魂の無念を晴らし、成仏させるためのものだよな?」
そう改めて確認した魔王に対し、スプライトは少しクドさを感じたように顔をしかめ、ゆっくりと答えてみせた。
「そうですわ。この究極の魔法陣の力によって、死者の抱く負の念は吸収され魂は浄化され、死者たちは安らかに成仏するのです。そしてこの魔法陣が召喚陣なのは、その負の念を集めて仮の肉体に宿して召喚することで、行き場を失った負の念が悪影響を及ぼすことも防げるというわけでして」
「……あとは、その召喚された存在に幸福を感じさせ、時間をかけて負の念を晴らしてやればめでたしめでたしというわけだな?」
「そうです。私が保護して献身的に尽くせば、それも可能でしょうから。そうして無事に負の念が消え去ったら、その頃には再びこの島に蓄積しているであろう負の念を同じ術式で集める。それを繰り返しながらゆっくりとでも世界を変えることができたなら、いつの日か私の想いは果たされることでしょう」
「……」
「とは言え、現実には貴方様が島を救世してしまいましたからね。折角長年かけて作り上げたこの究極の術式も、今回限りで不要になりますね。前準備として一度術式を編んでから、自分の魂に保管する呪法とか駆使しましたから、それなりに大変だったのですよ? フフッ」
その頃を懐かしむように天を仰ぎ見たスプライトだったが、すると突然コージュは両の掌を合わせて頭を下げ、ハッキリと謝罪の姿勢を見せた。
「本当に申し訳なかった。その苦労も計画も俺は読み取ってはいたのだが、島が平和になったことで考え直したと勘違いしていたのだ。万が一にも実行に移したとしても俺の能力なら察知して対処可能だし、思考を読み取っているのだから事前に気付けると過信し切っていた。だから……全面的に俺が悪い!」
「さっきから謝罪や思わせぶりな話ばかりで、さっぱり話の意図がわかりませんわ。こうなればハッキリと仰ってくださいませ。心の準備はできておりますので」
「……」
その言葉に、魔王は覚悟を決めたのか一度息を吸ってから口を開いた。
「……いやあ、実はな? この島に眠っていた死者たちなのだが……怨念やら未練やらの有る無しにかかわらず、全て俺が既に成仏させてしまったのだよ。きれいさっぱりとな」
「…………はい?」
「だから、この魔法陣の効果対象は存在しないのだ。そんなこと普通ならば不可能だろう。お前の術式も、直接死者を成仏させられるわけではなくて、未練や怨念を吸収することで魂自身が成仏するよう促すものだからな。実際に成仏するまでには、かなりの年月を費やしたことだろう」
「……」
「だがしかし、そこが俺が神の使いだから可能……という話に繋がっていてな? まあ、なんだ…………そういうわけだ」
「…………えぇー……?」
そんな意味不明な話に、スプライトは驚愕と呆れの混じり合ったような微妙な表情をする。
あまりの衝撃からか、叫ぶことも怒ることも忘れ、彼女の口からは小さくか細い声だけが漏れ出していた。
そしてスプライトは半分放心状態のまま、魔法陣と魔王コージュへと交互に目をやり、それから同じように小さく声を漏らす。
「…………えぇー……」
「い、いやあ、本当にすまん。こうなるくらいなら、いっそのことお前にだけはカミングアウトしておけば良かったと後悔しているよ。ほ、ほら、何度か墓地に一緒に行って墓参りしただろう? あの墓が実は慰霊碑のようなものでな? 全ての成仏した者たちがあの世で幸せに暮らし、もしくは幸せな来世へと転生を果たせるようにと……」
「……」
「神の使いなどと、そう易々と打ち明けていいものでも無いのでな。あれが精一杯、俺からのサインだったのだ。お前に考え直してもらって、ゆくゆくは一緒に世界を導いていこうという……」
「そんなサイン、分かるわけないでしょう? そういう問題ではありません」
「はい、仰る通りです」
弁解を図ろうとしたわけではないのだろうが、言い訳がましいことを始めた魔王をスプライトがピシャリと黙らせる。
彼女も既に混乱を通り越して夢見心地に近く、仮にも神の使いと名乗った魔王に対してもいつも通り容赦の無い対応であった。
「……って、あれ? でしたらこの魔法陣は存在意義が無くなりますので、死者の魂のサーチが終わり次第、消滅を……」
――――そう言って魔法陣に目を向け、彼女は漸く現状把握に至った。
何が問題なのか。
何故魔王がそんなに急いているのか。
どうして世界が滅ぶなどと大袈裟な虚言が発せられたのか。
未だ何も分かってなどいないのだが、それでも彼女にも分かることがたった一つだけ存在した。
「……どう……して……魔法陣が、さらに活性化しているのです?」
「……」
「コ、コージュ様? お、教えてください。どうして、対象のいないはずの魔法陣が、今でも消えずにさらなる活性化に至っているのです? なんで……どうして⁉」
「……落ち着いて聞くのだ、スプラ……アクアよ。お前の魔法陣は、何一つとして欠陥の無い完璧なものだったよ、間違いなく」
これまでにない狼狽ぶりをみせるスプライトを敢えてアクアと呼び、事の真相を説明しようとするコージュ。
突然仮の名前に戻されたことでハッとなり、スプライトはその視線を魔法陣から魔王の方へと移動させる。
「……ただ、お前の魔法陣は想定していなかっただけなのだ。この島にただの一体も、非業の死を遂げて未練を残す魂が……既に存在しないなどという、信じ難い状況をな」
「……え?」
「だから、そこに組み込まれていなかったのだよ。対象が一つも存在しなかった場合に、魔法陣が取るべき選択肢というものがな」
その言葉に、魔王の解説に、スプライトは戦慄に顔を歪めて自らが敷いた魔法陣に目を奪われた。
ここに来て初めて、彼女は自分が仕出かしてしまったことと自らの手を離れた魔法陣の存在に恐怖したのだ。
ここでやっと、彼女は知ることとなった。
どうして自分の敷いた召喚の魔法陣如きが世界を滅ぼせるというのか、その理由を。
「……この魔法陣は、術式に従って魔法の手を地中深くに伸ばしているような状態だ。目的の使者の魂を探し出すためにな」
そんな魔王の言葉に合わせるように、魔法陣は一気に輝きを強めていった。
怪しい光は強く、激しさを増し、やがて周囲の草木をも震わせ始める。
「その魔法の手は、目的を果たせないと知ると消滅せずにある行動を選択し始めたのだ。その時点でキャンセルすると大地に伸びた魔法の手が崩壊して星の重要部位を抉る可能性が高いから、流石に俺でも手出しできずにいたわけで」
その話の内容が届いているのかいないのか。
いずれにせよ、スプライトは既に茫然自失となって地面にへたり込んでしまっていた。事態の重さを実感してしまったがゆえに。
「その行動とは……目的の、対象捜索の完遂だ。この島の大地に存在しないなら、そこから繋がる世界中全ての大地まで範囲を広げてな」
もう彼女には、最愛の魔王の声すら絶望の物語にしか聞こえなくなっていた。
優秀な彼女には理解できたのだ。理解できてしまったのだ。
そんなことをすれば、いったい何が起こり得るのかという未来予想図が。
「……そこに眠る死者の魂は、きっと成仏できない理由を抱えていることだろう。今からでは俺がどれだけ急いだところで間に合いはしないさ。神にコンタクトを取って、成仏させようと説得を試みたところでな」
「……それ……では……?」
「世界に眠るそれらには、この島のように無念や未練だけではない負の念が無数に宿っているのだ。死してなお呆れ返るほど身勝手なもの、死してなお他者を嬲りたい犯したいという救いようのないもの、死してなお叶うはずもない無謀な妄想を抱くもの、果ては……神になりたいなどという大それた悪夢すら存在しているだろうな」
大地に刻まれた魔法陣は、遂に地面を、大地を揺らし始める。
そして収まりきらなくなったのか、紫色のエネルギーの奔流が漏れ出し、まるで雷のように周囲の空気を割いて小規模ながら雷鳴を轟かせた。
「そんな膨大な怨念、負の念が世界中の悪霊たちから集められたりしたら……召喚される存在には、どれほどの力が宿るのだろう」
魔法陣はコージュたちの周囲の地面にヒビを走らせながら、その中心へと一つの結晶を生み出そうとしていた。
それはコージュが語った話の通り、信じられないほど膨大な何かを宿す。
単純な力だけではない、何かを……。
「それこそ、世界を滅ぼせるだけの力が宿るかもしれないな。だから……」
そこまで語って、コージュは少し悲しそうな笑みをスプライトに向けた。
そしてクルリと踵を返すと、真剣な面持ちで魔法陣と彼女の間に立ち塞がり、その中心に生まれつつある存在に相対して構えるのであった。
「だから――――世界は滅ぶかもしれないと言ったのさ」




