第六十話
本日もよろしくお願いします。
「……来たな」
「うわ、本当に戦争……って感じですね」
魔王が帰島してから数日後。
その日、三度となる大広間での全員集合がなされ、彼らの目の前には巨大なスクリーンが用意されていた。
それは魔王が空間魔法で開いた、遥か遠方の地を映し出すチャンネル。
そこでは今まさに、イシュディア魔王国の領土である“元・死の大地”へ向けて出港せんと、遠く離れた光の国の港にて、光と水の国の同盟軍が準備を進めている最中であった。
「――最終調整を終えた弓術部隊、魔法銃撃部隊、間もなく到着します。その一団が乗り込めば、全人員の乗船が完了となります」
「よし! ではそいつらが乗り込み次第、すぐに出港だ! 最後の荷となる魔法砲台の弾の積み込み、急いで終わらせろ!」
「――宣戦布告の準備はできているか⁉ 今一度確認しておけ!」
「我が光の国の主張は「あそこは何年も前からうちの国が実質管理していたのに、なにを勝手に住んでいるのだ! 即刻退去して明け渡せ!」という内容だぞ!」
「――水の国としては「あの島が住めるようになったのは、光の国の同盟国であるうちの国が長年コツコツと手入れをして来たからなのに、あいつらは無断で勝手に住みついてしまった! よって、同盟国である光の国とともに警告する! 退去に応じない場合は実力行使に出ることになるぞ!」というものだ! 忘れるなよ⁉」
画面越しに伝わってくるその身勝手過ぎる言い分に、魔王島の住人たちは皆デジャヴを感じて呆れ返っていた。
「……な?」
「……うん。本当にこんなこと言うんですね」
それは、先日国づくりについての話し合いで集まった際、何故国を興すのかを説明する中で魔王が皆に言った例え話そのものであった。
魔王が言ったのとほとんど違わぬ文言に、流石の仲間たちも緊張感を忘れて呆れ返るしかない。彼の言った通り、それが人間の性だと身に染みて分かったのだ。
「ですが、かなりの数であることには違いありませんよ? 大丈夫ですか?」
「誰の心配をしているのだ? 万能の魔王だぞ、俺は」
「……杞憂でしたね。それで、どうなされるおつもりで?」
「ちょっと行って来る。お前たちはここで見ていてくれ」
「「「……へっ?」」」
まるで近所に買い物にでも出かけるテンションで、魔王はスクリーンの横に別の空間魔法を展開して移動を開始する。
小国一つと大国二つの戦争になりかけているというのに、彼はその身一つで単身戦地に赴いてしまったのだ。
「……なんだか、演劇の舞台でも観覧しているみたいだねぇ?」
「ほんと、ここぞって時の緊張感に欠ける王様よね。出会った頃からマイペースが過ぎるというか……」
「それがいいところだけど、戦争の危機感が皆無っていいんですかね? 僕たち、何か大切なものを失ってない?」
「ほらほら、少し静かにしてください? そろそろ始まりますよ?」
本当に娯楽を楽しむかのような緩やかな空気の中、アクアのかけ声で皆の視線がスクリーンに集中する。この日のために前もって空間を弄って繋げてあったため、スクリーンも魔王自身の転移も楽々なのであった。
高度な空間魔法も、彼にかかれば朝飯前。魔法を中心に師事しているエルフのユクたちにとっては、その光景は彼女の目玉が飛び出て部屋中をドリフトして回ってもまだ足りないくらいに、信じ難いものなのだが。
「あっ⁉ コージュ様だ!」
「上空から、ゆっくり船に近付いて行くよ? いきなり火球とかで全滅かな?」
「そんな物騒なことしないでしょ? あの人たちを船ごと纏めて町に投げ飛ばすとかじゃない?」
「もしくは町ごと全部持ち上げて、元に戻してほしかったらこの戦争やめろって脅すとか?」
「……」
そんな子どもたちの無邪気な未来予想だったが、アクアたち大人組も「そんなわけないでしょ」とは言えずに苦悶していた。彼ならば、どれもこれも実行できてしまいそうだからである。
だが幸いにもその予想は裏切られ、魔王はそのまま船団のすぐ近くまでゆっくりと降下して行った。
「やあやあ、我こそは魔王コージュなーり。彼のイシュディア魔王国の初代国王にして、万能の魔王であるぞよ? 控えおろー」
「「「……」」」
「「「……」」」
「「「……」」」
「……おや?」
魔王、盛大にスベり倒すの巻。
しかもその様子は魔王島の仲間たちへと中継され、確実に皆の記憶に深く刻まれるというオマケつきである。
だが、魔王は一切動じていない。
「……な、な、何者……だ?」
「だーかーらー、お前たちが今から攻め込もうとしているイシュディア魔王国の国王だと言っておろうに。全員耳が遠いのか?」
「……ば、馬鹿な⁉ 俺たちが攻め入ろうとしていることは最重要機密のはずでは⁉ だ、誰が密告したのだ! 何故バレた⁉」
「いや、普通に俺が察知したのだが? こんなザルで大掛かりな準備してたら、そりゃバレるだろ。万能の魔王の力を舐め過ぎじゃないかな? かな?」
何かの真似か、挑発めいた語尾で話す魔王に、ピタリと止まっていた同盟軍の者たちがざわめき出して混乱を来たす。
所詮、できたばかりの小国を落とす簡単なお仕事だと軽く見ていたのだろう。想定外の事態に、ほとんどの者たちが目の前の現実を受け入れられず、ただフリーズするしかなくなっていた。
「……え、え、ええいッ! か、かか、かきゃれェ!」
「ほ、砲弾! じゅ、準備ぃ!」
「け、剣を持てェ! じゅ、銃撃部隊、構えぃ‼」
すると突如、大慌てで号令をかけ始める部隊長と、中隊長らしき男たち。
だが急にそんなことを言われても、最後の荷物の積み込み作業中だった隊員たちは丸腰同然であった。強いて言えば、手元にある砲弾による攻撃なら準備を急げば可能になるだろうが、宙に浮く個人相手に船の大砲で狙い撃つなど現実的では無かろう。
この世界では六つの国が均衡を保つ今の形になってから、国家間での大きな戦争など行われていなかった。だから、各国とも常に想定と軍事演習は欠かさずにいただろうが、いざ本番となればこの通りである。
そんなグダグダ過ぎる光景に、魔王は拍子抜けしてガックリと肩を落とす。
「……ハァ。もう少しマシな者がいると思っていたのだがなあ? これでは、見ている仲間たちも暇で眠ってしまうぞ?」
「仲間ァ⁉ 敵増援のもよう! 至急、戦闘態勢ィィ‼ 敵襲ーーッ‼」
「遅っ! これが本当の敵襲だったら、既に雌雄が決していたな」
「全部隊かかれェ‼ 目にもの見せてやれェ‼」
興奮し、全力で叫び続ける部隊長らしき男たち。そして、その状況判断のなっていない号令によって、混乱を極めて瓦解する隊員たちと現場。
最早、魔王が何もしなくても自滅しそうな勢いですらある。これが奇襲作戦だったなら、前代未聞の大成功だったろうに。
そもそも部隊員が揃っても並んでもいないのに「かかれ!」と命令するものだから、隊員たちは船内にある武器を取りに行く途中で魔王に挑まざるを得なくなっており、中には素手でファイティングポーズを取る者までいる始末だ。
こうなってくると滅茶苦茶を通り越して、最早喜劇やコメディ、お笑いのコントの方が近い。
「……俺、帰ってもいいかな? もう半年くらいみっちり訓練してから、改めて出陣して来たらいいんじゃない?」
「逃げる気か⁉ 逃がすなァ! 弓隊、銃撃部隊、狙ってェェ……撃てェ‼」
「あ、馬鹿っ⁉」
「「「ヒイィ⁉」」」
「「「ギャアァ⁉」」」
すると突然、陸地側に現れた一団から遠距離攻撃が放たれる。到着が遅れていたという部隊が、今になってタイミング悪く現れたのだろう。
だが、あまりの指揮系統の無様さに、まさかの魔王が後れを取ってしまう。呆れ過ぎるあまり、万能の魔王としたことが完全に油断していたのだ。
何が起きたかというと、部隊長が船の真上あたりにいた魔王に、魔法の弓と銃で攻撃しようと命令を下したのだ。そうなれば、標的から外れたり逸れたりした攻撃の一部は、その下にある船にも降り注ぐことになる。
当然そこにいた者たちは、その流れ弾に被弾することに。まさかの、魔王が後れを取り、相手方にケガ人を出してしまう事態であった。
「う、嘘だろ……? 俺が何もしてないのに、死人が出かねん……だと?」
「何をしておる⁉ 馬鹿者どもが! 相手は一人! 未だ無傷とは何事か!」
「いや、馬鹿はお前だ! いくらなんでも無能が過ぎるだろが! 敵味方の位置取りくらい計算しろ! せめて船上から退避させてから撃て!」
そんな魔王のツッコミに、何故か現場の隊員たちがウンウンと頷いていた。どうやら無能男を無能だと思っているのは、あちら側も一緒だったようだ。
だが、そんなことをしている間にも被害は広がる一方である。魔王は咄嗟に結界を張り、流れ弾が船上ではなく海上に落ちるようにと配慮してやった。
「な、なんで俺がこんなことまで……」
「ぐわああぁぁ! 足がァァ⁉ 腕がァァ‼」
「え、衛生兵ーーッ! 衛生兵ーーッ‼」
「……あ、あれ? 亡くなったおじいちゃん? もしもし、オレオレ。今から、そっちに……」
「マジで死にそうなやつがいるじゃねーか⁉ ち、治療、治療……」
自軍から攻撃され、敵方に治療されるという混沌な現場である。
恐らく、スクリーンで見ている仲間たちもさぞや混乱しているに違いない。当の魔王本人ですら混乱しているのだから。
「……っ! い、いい加減にせんかああぁぁ‼」
そんな状況に我慢できなくなったのか、魔王は遂に力尽くで状況を打開する。
一気にオーラを放ち、その威圧によって一旦全ての者の動きを封じ込めたのだ。
カタカタと震えながら、一瞬で明確な恐怖の象徴となった魔王を見つめる無数の視線に、彼は不快さを感じつつもそれを維持することに努めた。すぐに解除してしまうと、錯乱した者によってまた被害が出かねないからだ。
やがて誰もが恐怖によって沈黙した頃を見計らい、魔王はその威圧を解く。
「……やっと落ち着いたようだな。では、改めてコミュニケーションといこうか」
「「「ひっ……!」」」
「そうだな……そこのお前は少し話ができそうだ。お前にしよう」
「……わ、わたしか……?」
そう言って魔王コージュが話しかけたのは、光の国の部隊にいた一人の男であった。その男は鎧兜に身を包む兵士ではなく、やけに上品な修道士のような服装をしていた。
コージュが彼を選んだのは、彼が自分の信じる神に心酔しているおかげで、他の者に比べると平常心を保てていたからだ。もちろん、それが最大の理由というわけでは無いのだが。
それに彼は二種混血であり、代表者として申し分ない。だから、魔王は地に降り立ち、彼の肩を優しく叩いてみせた。
「誰でもいいのだがな。それで、お前たちは何故俺の国を揺るがそうとする? 確か宣戦布告の文面があっただろ、それでいいから言ってみろ」
「え? それは、その……」
「うん? ド忘れしたか? どれ、思い出せるように手を貸してやろう」
その瞬間、彼の肩に触れていた魔王の手から、怪しい光が放たれる。
すると――――
「――――そ、そうだ! あ……あそこは何年も前からうちの国が実質管理して長年コツコツと手入れしてきたのに、なにを勝手に攻め入っているのだ! 今回の戦争によって、我が国固有の領土である島の資源に多大な損害が発生した! その全ては命令を無視して独断専行したそちらの国の責任である! よって同盟は無効となり、そちらには賠償責任が……」
「ああ、違う違う。それはお前たちが島を攻め落とした後、水の国に宣告するはずだった文言だろ? 落ち着け、深呼吸してからゆっくり話せ」
「あ、失礼しました。ええと…………あ、あれ……?」
「クックックッ……本当に救いようの無い愚か者たちだな。だが安心しろ、相手方の水の国も同じような文面を考えていたようだし、お互い様というやつだ」
「「「……」」」
「「「……」」」
その瞬間、その場で何かが壊れた気がした。
男が言い間違えるよう意識と精神を誘導し、その上で声を魔法で拡張したのは魔王の仕業なのだが、準備されていた文言に彼は一切関与していない。
魔王自身も、まさかここまで上手くいくとは思っていなかったようである。
静まり返った重苦しい空気の中で、憤怒と殺意だけが水面下で膨らんで行くのが分かる。だが、互いが互いを同盟相手としておきながら両者ともに裏切る前提だったのだから、本当に救いようがないと言えよう。
もしも彼らの想定通りに事が起こっていた場合、この戦争は全世界を巻き込んでの絶望的な大戦に発展していたことは想像に難くない。
そうして最大限、互いの殺気が高まったところで――――
「さてさて皆の衆。お互い似た者同士で、とても仲良くできそうなお相手だと再認識してもらえたようでなによりだ。ここらで一つ、俺からのプレゼントを受け取ってもらえないかな?」
――――そんな皮肉めいた言い回しで、彼はまたマイペースに発言する。
折角互いに潰し合ってくれそうだったというのに、その敵意を自分に向かせるような愚策である。わざわざ全員に声が届くよう、再び魔法で声を拡張してまで。
魔王は同盟を崩壊させはしても、殺し合いまでさせたかったわけじゃないのだろうと、島の仲間たちならば理解してくれたに違いない。
だが、この場に冷静に物事を考えられる他国の者が存在していたら、彼のその言動は意図が分からず理解に苦しむものだったはずだ。
「一つ、お前たちにレクチャーしてやろう」
しかしながら、もしそんな者がいたとしても、すぐに理解することにはなる。
何故魔王が、両国を潰し合わせるなどという戦略を必要としないのかを。
「各国に眠る伝説の竜たち、それらは各属性に向いた住処というものを持っていてな。炎竜なら火山の中、氷竜なら地底湖の奥深く、地竜なら地下の岩盤の下、嵐竜なら消えることの無い大竜巻の渦の中……といった具合にな」
突然されたそんな話に、誰もが首を傾げるしかなかった。伝説の竜の実在を知るのは、それらを味方につけている魔王島の仲間たちと、一部の国の王や側近クラスだけなのだ。
だから、彼が何故そんな話を始めたのか分かる者はこの場にはいない。そして、これから起ころうとしていることを想像できた者も。
「では、問題だ。この地――お前たちのいる光の国、そこに眠るとされる光竜は? いったい、何処に住処を構えていると思う?」
そんな問いかけに、呆気にとられる者がほとんどであった。
真面目に考え始めた者たちはいたが、誰にも答えなど分かるはずがない。
「では、そこの者。答えてみろ」
「はっ⁉ わ、わたしですか⁉ え、ええと……洞窟の、中……とか?」
「残念。光の竜なのだから、当然光を好む。洞窟の暗闇には住まんよ。では、そっちのお前は?」
「え? ええと……や、山の天辺……とか?」
「確かに遮るものの無い、光に満ち溢れた場所だな。いい線だが……残念、違う」
両者の関係は今や、まるで教師と生徒のようである。
だがそれも、先ほどの威圧によって本能的に敵わないと知ってしまったがゆえ。逆らうことなどできず、今は彼に従って隙を窺うしかない。
「では大ヒントだ。実は光というのは波打っていてな、それを理解した上で巧く扱うと、光学迷彩と言って姿を消したりすることもできる。こんな風にな」
そう言って、一瞬だけ自らの姿を消してみせた魔王コージュ。
その光景に兵士たちがざわつくが、またすぐに彼は姿を現す。
「……さて、理解が早い者は青褪めた顔をしていて分かりやすいな。そろそろファイナルアンサーの時間だぞ?」
そう言って、再び姿を消しては現れるを繰り返す魔王。その姿に、徐々に絶望の波紋が兵士たちの間に広がっていく。
最早先ほどまでのように、互いに殺意を向け合う余裕など最早微塵も無い。
まだ答えの分からぬ者、そもそも真面目に考えていない者は別だが。
答えの分かった者は……一歩、また一歩とジリジリと後退を始めていた。
「……時間切れだ。では答え合わせといこう。俺からの叡智のお裾分けだ、喜んでくれると嬉しいのだが……」
そう言って、魔王は再び姿を消してみせる。
そして次の瞬間、彼はさっきまでと同じように再び姿を現してみせた。
――――たった一つだけ、先ほどまでと違う点。
それは、今回現れたのは彼一人では無かったことである。
「……フム、コウシテ顕現スルノモ久方ブリダナ」
「ああ、この前俺と会って話したのも異層の側だったものな。まったく、ある意味六竜の中で一番見付けやすいのが、この光竜だというのに。腑抜けばかりで呆れてしまうわ」
「ソウ言ッテヤルナ。光在ル所ドコデモ住処トスル我ヲ、ピンポイントデ探セル探知能力ナド其方シカ持ッテイナイダロウテ」
「それもそうか。居場所が分かればイージーだが、確かに光の国の全領土内と考えるとベリーハードかもしれんな。すまんすまん、俺が間違って……」
「「「「「ぎゃああああぁぁぁぁ‼」」」」」
のんきに光竜と会話する魔王とは打って変わって、兵士たちは一目散にその場から逃げ惑う。それはそうだろう。突然目の前に、山のように巨大な竜が姿を現したのだから。
「光在る所どこでも。あるいは、目の前のここ……が正解だ。もっと正確に言うなら、こいつの実体は物理法則的に少しズレた異層に存在していて、その上で光学迷彩を……」
「「「ひいいぃ!」」」
「「「助けてェ‼」」」
「「「神様ァ‼」」」
「……おっと、そっちには行かない方がいいぞ? と言っても、もう聞こえていないようだな。ククク」
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、魔王が意味深な言葉を呟くが……それに耳を傾ける余裕のある者など、もういない。
そんな彼の横で佇む光竜の巨体は、ゆらりと陽炎のように揺れたかと思うと、まるで幻であったかのように霧散して……忽然と消え去ったのであった。




