第五話
本日もよろしくお願いします。
魔王コージュとイエノロが向かった先、周りに何もない海の真っただ中に浮かぶその小舟には、三人の子どもの姿があった。
だがそれは、子どもたちだけで船旅を楽しんでいるわけでも、流されてしまって陸地に戻ろうと足掻いているわけでもない。
残酷なことだが彼・彼女らに帰るべき場所は無く、目的地があるとすれば……それは、魔王コージュですら耐え難い苦しみを味わったあの場所なのであった。
「……チッ。なんだあれは? あんな怪物のいる海に船を流したというのか? そこを乗り越えても辿り着く先は死地とは……本当に反吐が出るな、この世界は」
そう呟いて顔をしかめた魔王コージュに、イエノロが冷淡な声で事実だけを告げる。
「あれは海棲の怪物種です。約28秒後に、あの舟ごと人族の三個体を捕食するものと予想されます」
「あまり猶予は無いか。なら、さっさと救い出してしまうとしよう。行くぞ!」
「了解しました」
イエノロが告げた通り、三人の子どもが乗る小舟には海の底から浮上して向かって来るものがあった。
もちろん魔王コージュにも分かってはいたのだが、ともかく“怪物種”と呼ばれたそれが無慈悲にも、子どもたちをエサにしようと接近していたのだ。
それにいち早く気付いたからこそ魔王コージュは、島の上空から三人の下を目指して高速で飛行したわけだが。そんなことは《全知全能スキル》によって惑星エルミンパスの隅々まで“見る”ことのできる、魔王コージュにしかできないことであった。
「……やはり、遠視に比べると“探知”はまだ慣れんな。海中の存在がどういうものなのか、その詳細まではよく分からん。海中も遠視で見通せればいいものを」
「人間の視覚的感覚に近いため、“千里眼”は適応が早かったと推測されます。“探知”は感覚的には反響定位に近い感知能力のため、魔王コージュ様がイルカやコウモリなどであれば順応が早かったものと推測されます。海中は“探知”でなければ難しいかと」
「ハッハッハッ、俺はイルカでもコウモリでも無いので残念だな! 探知の訓練は後回しだ! さて、準備はいいか? しくじるなよ?」
「了解しました」
イエノロの扱いにもだいぶ慣れ、魔王コージュはそんな雑談を済ませてから目標へと改めて集中する。
それまで“千里眼”で捉えていた目標の舟が、遂に肉眼でも確認できる距離まで近付いて来たからだ。
そこからはあっという間であった。
魔王コージュとイエノロは急降下を開始し、手早く三人を回収すると再び空へと急上昇して、影響のない高度で静止して眼下に小舟を見下ろす。
突然抱え上げられて空に浮かんだ子どもたちからすれば、何が起こったのかすらまだ把握できていなかったに違いない。
だが現実は無情で待ってなどくれない。数秒後には海面が大きく膨らみ、巨大な口を開けた何者かが無人となった舟にかぶりつき、バキバキと音を立てて咀嚼しながら再び海底へと戻って行く。
「…………え? は?」
「…………な……えっ?」
「……う、うそ、でしょ……?」
魔王コージュとイエノロに抱えられたまま、三人の子どもたちは唖然としてその光景を見届けていた。
すると、もしあのまま舟に乗っていたら……なんて想像が付いたのか、それとも自分たちが信じられないほど上空を飛んでいると気付いてしまったからなのか、すぐに三人とも真っ青な顔でブルブルと震え出し、海面に向けて下半身から「雨」を降らせ始める。
「むっ? すまんな、怖い思いをさせてしまったか。次からこういう場合は、先に眠らせてやった方が精神的に良さそうだな」
「同意します。排泄物による肌のかぶれや衣類へのシミが懸念されるため、そちらは早急に洗浄することを提案いたします」
「そういうことは心の声を使え、イエノロ。幼体といえども女の子なのだ、恥をかかせるでない」
「失礼いたしました。以後、配慮するよう再設定いたします」
そんな会話が聞こえていたとしても、三人のうち二人の小さな女の子には恥ずかしがる余裕も無かっただろう。当然、残りの男の子にも。
三人の子どもたちにはここまでの漂流生活も当然あり、そのせいで消耗や疲労も溜まっていた。
その上、このような異常事態に晒されているのだ。余裕などあるはずが無い。
「さて、お前たちにも結界を張っておかんとな。どれ、ついでに結界を応用して問題も解決してやるとするか」
「「「……えっ?」」」
そんな三人の戸惑いは気にせず、魔王コージュはマイペースに魔法を発動させて結界で三人を包み込むと、続けて同じ魔法でもって何やら作り始める。
「名付けて、“色付き結界製・天空風呂”だ! 心配せずとも決して落としたりはせん。到着までゆっくりと浸かるがよい」
「「「……えっ?」」」
突然そんなことを言い出した魔王コージュに、三人ともが余計に困惑の色を見せる。
だがそれにも構わず、魔王コージュは有言実行と言わんばかりに、空中に作り出した三つの箱状のものに子どもたちを放り込む。
「きゃあッ!?」
「ひいっ!?」
「うわぁ!?」
咄嗟にギュッと目を閉じて悲鳴を上げる子どもたちであったが、自分たちが落下していないと気付いたのだろう。
そーっと目を開けてみると、その色付きの箱状のものは自分たちが入っても落ちることなく、二人の男の傍を――――一緒に空を飛んでいた。
「……これ、は……?」
「五右衛門風呂だな。子どもといえどプライバシーは配慮せねばならんから、縦長の方が体全体を隠せると思ってな。どれ、湯を入れるぞ? すまないが、服は勝手に脱がさせてもらう」
「えっ!? やっ、ちょっ、待っ!?」
次から次へと事態は動く。抵抗も虚しく見えない力で半ば強引に全裸にされた三人がフリーズしていると、すぐに空中に現れた水球が飛んできて“五右衛門風呂”をいっぱいにする。
それは、水と火の魔法によって生み出された風呂の湯であった。
「……温かい?」
「……何これ? どうなってるの……?」
「湯加減はどうだ? 子ども向けに温めにしたつもりだが、暑過ぎないか?」
「「「……大丈夫、です……」」」
怒涛の展開で、ここまで落ち着ける暇など一瞬たりとも無かった子どもたちではあったが、その心地良さには流石に気も緩んでしまったようで。
色々とツッコミたいこともあるだろうが、今はとりあえずその快感に身を委ねるのだった。
「よしよし、成功だな。結界というのは、有害なものだけを跳ね退けるから便利であるな。どれ、それでは俺はこやつらの服でも洗うとするか。イエノロ、島への到着まであとどのくらいだ?」
「およそ十分ほどと推測されます。先ほどと同じスピードでしたら、もう少し早く……」
「いや、それではこの子らには刺激が強過ぎよう。帰りは急ぎではないのだから、このままゆっくりでよい」
「かしこまりました。その洗濯作業はお手伝いが必要ですか?」
「そうだな、お前も手持ち無沙汰であろう。では乾燥は任せるとしようか」
「了解しました。周囲の風圧と温度を調整して、最適な乾燥作業を行います」
子どもたちの保父か、あるいは世話係のような魔王。
見た目通りの執事になったかのようなイエノロ。
その二体こそが現状では世界最強なのだが、やっていることは銭湯と洗濯機と乾燥機の代わりである。
そんな奇怪過ぎる機械代わりの二人を眺めながら、三人の子どもたちは適温の湯の快楽に浸りながら思うのであった。
「……私たち、死んで天国に来たのか~」
「天国って、思ってたより変なところなんだね~」
「死んじゃったのは残念だけど、気持ちいいなぁ……」
「いや、死んでおらんのだが……?」
三人がそう思うのも当然である。
あまりに現実離れし過ぎている、こんな出来事の連続では。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――――そうして飛び続けることおよそ十数分後。
元いた島の適当な場所へと降り立った魔王コージュは、三人の入っている浴槽の底に小さな穴を開けて湯を抜き、そのまま結界の箱を拡張させることで簡易更衣室を作り出す。
そして乾かした衣服を渡して着替えさせ、それが終わると結界を消して三人の髪を乾かしてやった。
「……あれ? これって、夢……よね?」
「夢ではなく現実だぞ?」
「……死んで、天国に来たんじゃ……」
「生きているし、現実だ。この場所はお前たちが辿り着くはずだった島だぞ?」
「そ、そんな馬鹿な!?」
未だ目に映る光景が信じられず、三人とも現実逃避気味に小声で呟きを漏らしていた。
だが、この場所が本来の目的地であると聞いて、三人のうち少年が思わず大きな声を上げる。
「ここが“死の大地”!? 聞いてた通り、確かに草木の一本も無い不毛の土地だけど! でも、だったらどうして僕らは生きていられるの!?」
「……そうか、全て知った上で流されていたのか。てっきり何も知らず、偽りの希望でも抱かされているかと思っていたのだが」
「……ここが、死の大地……? 聞いてた話だと、生き物はあっという間に苦しんで死んでしまう場所だって……」
「俺が結界を張っているからな。この場所が死の大地と呼ばれる最大の原因は、六つの国から流れ込んでくる属性マナというものが交ざり合って毒物のようになっているからだ。今はもう、それは押し退けられて存在していないから大丈夫だ」
大したことじゃないとばかりにそう話す魔王コージュに、三人の疑惑の視線が一斉に集まる。
簡単に説明しているが、そんな離れ技を熟すことなど普通はできないのだから。
「……あの、ところであなたは……?」
「今さらだけど、さっきのことといい、この島のことといい、こんなことができるなんて……神様の御使い、天使様? それとも御伽噺に出て来る妖精さん?」
「お前、俺のこの姿を見てよく言えたな、天使とか妖精とか。遅くなったが、それではそろそろ自己紹介をするとしようか。俺は……〈魔王〉である」
子ども相手に名乗りを上げるのは流石に照れがあったのか。
一瞬躊躇した魔王コージュではあったが、覚悟を決めてその続きを口にする。
「……魔王コージュだ。これからこの“死の大地”を支配し、改良して地上の楽園とし、いずれはこの世界全てをも変える男……とでも宣言しておこうか?」
「「「……魔王?」」」
そんな魔王の名乗りにも、三人は首を傾げることしかできなかった。
何故なら、この世界に〈魔王〉の称号を持つ者などこれまで誰一人としていなかったのだから。
それどころか、善神が候補に挙げていた勇者も竜王も大魔法使いも、この世界の概念には存在しないのだった。
子どもたちのキョトンとした表情でそれを察した魔王コージュは、慌てて事態の収拾を図る。
「……あー、その、なんだ? 〈魔王〉というのは簡潔に説明すれば“最強の存在”という意味だ。イエノロ、この説明で合ってるか?」
「問題無いと思われます。魔族の頂点、魔獣の頂点、魔の国の王、魔法使いの究極系など、世界によって捉え方は違いますが、この世界の場合はその説明が最も分かりやすいかと。魔族や魔人に該当する者は存在していますが、その者たちが集団で行動しているわけではないため、仮にその頂点だと説明した場合には相当量の不備と矛盾が生じるものと推測されます」
「そうであるか。ならば、これからもそう説明するとしよう」
スキルによってイエノロに聞かずとも分かるのだが、自分一人のセンスで全て進めるのは不安だったのだろう。
魔王コージュは心の中で「イエノロにも活躍の場を与えるため」と言い訳をしながら、そんな会話を繰り広げていた。
「……その最強の存在が、どうして私たちを助けてくれたの? 食べるため?」
「ひいっ!?」
「食わん食わん」
「……痛めつけて弄ぶため? 殺すため?」
「ひいぃっ!?」
「弄ばんし殺さんわ。物騒なのから離れろ」
子どもたちのうち二人は、未だに感覚が麻痺でもしているのだろうか。
自分たちのことだというのに、食われるとか殺されるとかを平然と口にしていた。
だがもう一人は正常に怖がっているようで、二人の発言に悲鳴を上げる。
「お前も怖がらんでいい。お前たちが海の怪物に食われそうになっていたから、ただなんとなく助けただけだ。特に理由など無い。だいたい、甚振ったり食うならとっくにそうしてるだろ? だから安心しろ」
「……ほ、ほんと……? よかったぁ……」
そんな悪いイメージ満載の質問に、魔王コージュは正直な理由を教えてやった。
子どもの相手に慣れていないこともあり、あまり深くは考えずに。
「……でも僕たち、島流しにされてたんだよ? 魔王様?だって知ってるでしょ、どういう子どもがそういう目に遭うのか。どの国でも常識だし」
「町中でならともかく、島流しに遭ってるって時点でどういう人間か分かってたでしょ? 私たちを助けても何の得も無いわよ? だって、だって……」
しかし、ただ純粋に助けたいから助けたという魔王コージュの話に、子どもたちの表情は歪に曇る。
それは、自分たちの境遇が……存在がどういうものなのかを理解しているからであった。
そして、それを口にすることを躊躇う少女に代わり、さきほどまで怯えていたもう一人の少女がオドオドとしながら口を開く。
「ウ、ウチら、三人とも――――“五種混血”なの」
「……」
三人が島流しにされた最大の理由――――それは、劣等種だから。
それも、最も劣るとされる“五種混血”なのだ。
まるで犯罪者であるかのように、それだけを理由に子どもが島流しという重い罪を科される。
この世界には、そういう類いの酷い人種差別が横行しているのであった。
今後もこんな感じで、一週間以内に次話を投稿していきたいと思います。
タイミングはリアルの生活次第ですので、ご了承ください。
基本的に次回予告(次話は〇日後に投稿します等)はしませんので、よろしくお願いいたします。