第二十七話
「――――着いたぞ、アクア殿。ここだ」
「…………う、そ……でしょ……?」
島に戻り、魔王コージュの腕から降ろされると、アクアは呆気に取られてポカンとしていた。
それもそのはず、目の前に広がっていたのは想像とは全く違う光景だったのだから。
一瞬、彼が自分を揶揄ったのかとも思ったが、飛んで来た方向から考えてもそこは死の大地と呼ばれる島以外、あり得ないと分かっていた。
頭脳明晰なアクアだからこそ、そのことを誰よりも理解できてしまっていたのだ。
「乗り心地は如何だったかな、アクア殿?」
「……その件につきましては、乙女の柔肌に無許可で勝手に触った責任をしっかりと取ってもらうとして……そんなことより今はこっちでしょう? これ、どういうことですか? もちろん説明していただけるんですよね?」
「そんなことよりって。いやまあ、説明するが……」
その物言いに、意外と余裕があるなと感心する魔王ではあったが、責任を取るという部分が冗談なのか本気なのかは判断に困る。
そして、ここに来て漸く自分がしでかしていた行為に気付き、黒歴史足り得る気障な振る舞いとセクハラ紛いの行いの数々に悶え始めていた。
もちろん、スキルでポーカーフェイスは保っていたが。
「いや、実はだな……」
「ちょーーっと待ったぁ!! その役目は私の仕事よぉぉ!!」
「お帰りなさいませ、魔王コージュ様」
「……ただいま、イエノロ。それとユイも」
すると、そこに猛ダッシュで駆け寄って来たユイが、魔王の説明に待ったをかける。
そしてイエノロも追随して登場し、淡々と帰還の言葉を口にする。
その遥か後方からは、それぞれにマイペースな速度で近付いてくる皆の姿も。
降り立ったのが屋敷のすぐ傍だったから、窓からでも見ていた誰かが早々に皆に声をかけたのだろう。
「えっと……?」
「ああ、すまんなアクア殿。まずは紹介させてもらおう。この者たちが俺の仲間であり、この国の国民になる予定の子どもたちだ。五種混血や元・奴隷の者もいるが、差別せず接してもらえると助かる」
「ワラルー獣人のユイです! えっと、アクアさん? よろしくお願いします」
「……私も五種混血だから差別なんてしませんが、もう何が何やら」
「では、まずは私が説明させていただきますね?」
今回も、魔王に任せては混乱するだけだと思ったのだろう。
ユイは彼を押し退けてアクアの前に立つと、早速いつもの調子で最初の状況説明に勤しみ始めた。
魔王コージュにとっては毎度納得のいかない部分もあるだろうが、実際に混乱を招いているのだから仕方があるまい。
「――――というわけで、ここは元々死の大地と呼ばれていた場所なんです。今はこんな感じですけどね」
「……ありがとうございます。分かり易い説明で、理解することができました」
「段々早くなってないか? お前、ほんと凄いな」
「……ハァ、ハァ。やっと追い付いた……」
そこで、あっという間に説明を終えたユイの下へタマが追い付き、その後ろからも残りのメンバーが次々とやって来る。
到着した順に皆、アクアとも挨拶を交わし始めるが、マイペースに歩いて来た者たちと違って急いだタマだけは皮肉なことに、息を整えるのを待って最後に挨拶する羽目に。
そんな彼を憐れむ魔王の前で、アクアも心の底から驚いた表情で皆を見つめていた。
「……子どもが、こんなにも沢山……?」
「どうだ? 驚いたであろう?」
「……ええ、それはもう。魔王様、貴方様はいったい……?」
「アクア殿も今からここに加わるのだ。固いのは抜きにして、俺のことも気軽にコージュとでも呼んでくれ」
頭の中で次々と湧き出す疑問に混乱するアクアに対し、魔王はいつも以上に軽い雰囲気で彼女に歓迎の意を示す。
まだお試し期間中なのだから、彼女はここで見聞きしたことを他国に話す可能性もあるというのに、その軽さにはアクアも呆れるしかなかった。
「……い、色々と問いただしたいところではありますが、とりあえず……私のこともアクアと呼んでくださいませ、コージュ様。皆さんも、これからよろしくお願いいたします」
「「「よろしくお願いしまーす」」」
まだ困惑しつつも精一杯取り繕って、平静に振舞うアクア。
元気良く挨拶をする幼い子どもたちや礼儀正しい姿勢で接する者たちの姿に、まだ緊張は解けないながらも、そんな彼女の笑顔が少し柔らかさを増す。
これまでの行き場を失った面々と違い、他の国に行くという選択肢も一応残されている彼女ではあるが、そんな彼女も皆は変わらず受け入れてくれるようであった。
「……そっか、ここが死の大地……」
「うん?」
その時、気が緩んでアクアがポツリと呟いた言葉に、魔王コージュは何か不思議な感覚を覚えた。
それはこの場所が安全だと分かり、安堵の感情が漏れた……とも取れる一方で、彼女の心の奥底にある何らかの思いが無意識に籠められていたようにも感じられたのだ。
魔王コージュはそこから、彼女にもこれまでに色々と辛いことがあったのだろうなと察し、ならば今日からの新たな生活では良い思い出を増やしていってほしいなと願うのであった。
「どうだ、アクア殿……いや、アクア? 気に入りそうかな?」
「……はい、あまりに良いところで驚いています。お試しとは言いましたが、これなら永住しても良さそうですね」
「大変嬉しいことだが、それはまだ時期尚早ではないか? 即決でもいいが、せめて島内を案内してから決めてもらっても遅くないぞ?」
「それもそうですね。では、お言葉に甘え……」
と、その時。
アクアは気の緩みと疲れからか、不意に足をもつれさせてバランスを崩してしまう。
「あっ……!」
残念なことに彼女は片腕が無いため、咄嗟に腕を着いて体を支えることができず、そのままでは体を地面に打ち付ける他なかった。
近くにいた魔王コージュがすぐに気付いて支えてくれたため、今回は事なきを得たのだが。
「おっと、大丈夫か?」
「……す、すみません。恥ずかしながら、少し気が緩んでしまいました」
「旅の疲れもあったのだろう。片腕も無いことだし……っと、少し無神経な言動だったな。失礼した」
「いいえ、お気になさらずに。失くしたのは昔の話ですので」
「……そうか。ところでアクア?」
未だその腕に抱えられたままで名前を呼ばれ、アクアは少しドキッとしてしまう。
ここまでずっと抱きかかえられて飛んで来たとはいえ、そう簡単に慣れるものでもない。表立っては出さないが、彼女の鼓動は確実に速くなっていた。
「は、はい、何でしょう?」
精一杯の作り笑顔で取り繕う彼女に対し、魔王は彼女を支えていた手を離すと少し距離を取り、身を屈めて彼女と視線を合わせるようにしてから言葉を発した。
「アクアは、血統というものに拘りはあるか?」
「血統、ですか? それはどういう……」
そこまで聞きかけ、アクアは彼の質問の意図を察してハッとなる。
それはこの島の住人が、劣った血統とされる五種混血や奴隷ばかりだからだと即座に理解したのだ。
先ほども差別しないでと頼まれたばかりだが、彼は改めてそこに念を押したいのだろうと簡単に予想も付く。
どうしてこのタイミングなのかは謎だったが、彼女はあっさりとその返事を口にしてみせた。
「……私は、そのようなものには拘りません。どんな血統であっても問題にはしませんわ」
「そ、そうか? だが、純血や二種混血と五種混血では全く違うだろう?」
「いえ、そんなことはありません。二種だろうが三種だろうが五種だろうが、どれであっても皆……同じ人間ですので。私は心からそう思います」
「……では、七種混血ではどうだ?」
そんな予期せぬ質問に、アクアは一瞬困惑した顔を見せる。
何故か彼の後ろで「アチャー」という表情をしているタマやユイのことは気になったが、そもそも存在しないものについて問われたところでいくら悩んでも仕方がない。
その問いは自分の信念を確認するためのテストだろうと当たりをつけ、ならばと彼女は先ほどと何ら変わらぬ返答を口にした。
「……仮にそんな血統が存在していたとしても、私は喜んで受け入れます。それで拒絶する意味が分かりません」
「本当か? 社交辞令的なものではなく、本音が聞きたいのだが?」
「これは私の本音です。嘘偽りなく、そう思っております」
「……そうか、分かった。答えてくれてありがとう」
その問答にどんな意味があるのか分からなかったが、彼の穏やかな表情を見る限り今の答えで間違ってはいないようだと、アクアは内心ホッとする。
先ほどユイから受けた説明から考察するに、恐らく彼は子どもたちに負の感情をもって接してほしくないと考えて、彼女にそんな質問をしたのだろう。
それは、彼なりの最終確認のようなものだったのかもしれない。
「では、俺から贈り物を贈らせてもらおう。そのまま動かないでいてくれ」
「えっ?」
すると次の瞬間、魔王コージュはアクアの欠損した腕の付け根に指先を触れさせ、目を閉じて力を込め始めた。
段々と淡い光が彼女の腕の付け根から発せられ、やがてそれは目を覆わざるを得ないほどの輝きに変わり、その場の全員が何が起きているのか分からないまま光が収まるのを待つしかなくなっていた。
やがてそれは収束していったのだが、皆が目を開けると、そこには予想だにしていなかったものが出現していた。
「……これは? 魔法の……義手?」
そこには――――アクアの欠損した腕の場所には、本物と寸分違わぬスラリと美しく伸びた腕があったのだ。
あまりの出来映えに、本当の腕が生えて来たかと錯覚するほどである。
「す、凄い……! 思う通りに動きます、これ」
「すごーい! 本物みたーい!」
「流石、コージュ様」
「あ、ありがとうございます、コージュ様。こんな素晴らしい義手を与えていただいて……」
「いや、本物だぞ」
不意に聞こえた魔王の言葉に、子どもたちが本物みたいだと言ったことに対して答えたのかと思い、アクアはフォローのつもりで発言をする。
「フフッ。子どもたちも、そういう意味で言ったのではないと思いますよ? 私とて幻術の類いかと疑いそうになりましたが、仰る通りこれは紛れも無く本物の魔法の義手ですよね?」
「いや、そうではなく……それは本物だ」
「え? ええ、ですから、幻術ではないのですよね? 子どもたちも、それは分かっていて……」
「そうじゃなく、本物の腕だと言っている」
微妙に噛み合っていない会話に、アクアはもとより子どもたちも首を傾げることになった。
まるでそれは、彼がアクアの欠損した腕を再生させたと言っているようにも聞こえたからだ。
だが、それはあり得ないことだとこの場にいるほとんど全員が分かっていた。
だからこそ会話が噛み合っていなかったのだが。
「……それだと、この腕が本物の……義手ではない、本当の腕だと言っているように聞こえてしまいますよ?」
「そう言ってるのだが?」
「え? いや、それはあり得ませんよ? だって、欠損部位の完全再生なんて、最上位の魔法でも不可能なのですから。ねぇ?」
思わず子どもたちに問いかけてしまったアクアだったが、同意を求められた子どもたちも困惑が顔に現れているのが分かった。
彼ら彼女らが知る常識に照らし合わせても、それは絶対にあり得ないことだったからだ。
「そ、そうだよ、コージュ様? いくらコージュ様でも、それは流石に……」
「……だ、だよね? 失った体は戻らないって、それは私たちでも知ってる常識だもんね? ねぇ?」
「……ねぇ?」
確かに彼ら彼女らの言っていることは真実で、どんな魔法でも欠損部位の再生は叶わないというのはこの世の真理。それは全知全能の魔王であっても、抗うことのできない絶対のルールなのだ。
仮に神の力で生み出された特別製の魔法薬でもあれば話は別だが、そんなものはこの世には存在していないのだから。
だが――――彼は、不安そうに確認し合う仲間たちに向かって、首を横に振ってみせた。
「……確かに、魔法では絶対に不可能だな」
「……あはは。そう……です、よね……?」
「だが、裏技があってな? 俺にだけ可能な唯一無二の方法なのだが、俺の血肉を使うことで疑似的に再生させることが可能になるのだ。そんなわけだからして、その腕は俺からのプレゼントだ。アクア、受け取ってくれるか?」
「……あは、は……?」
そう言い放った魔王に、その場の全員が言葉を失い、開いた口が塞がらなくなってしまう。
その瞬間、彼はこの世の摂理すら変えてしまったのだから、当然であろう。
彼の体は神が調整を加えて生み出した特別製であり、その血肉からであれば世界のルールを超越した欠損部位の再生とて可能となる……という理屈なのだが、そんなものを彼以外が理解できるはずもなく。
最近は慣れ始めていたはずのタマやユイたちとて、これには絶句するしかない。
「……さ、流石、コージュ……様?」
「いや、いやいやいや、これは流石~とかで済ませていいことじゃなくない? コージュ様は神か何かなの?」
「……ち、違うぞ、人間だ。魔王だがれっきとした人間だとも。なあ、イエノロ?」
「はい。人間に分類されます」
「何言ってるの!? ちょっと待って、じゃあこれって本物の腕なの!? 私の腕、本当に再生したの!?」
「そうだと言っておるだろ? お前もしつこいな」
「お、お前って言った!? しつこいって言った!? あ、貴方が常識外れなのが悪いんでしょ!」
「なに!? 折角プレゼントしたのに悪いとはなんだ!」
あまりの出来事に、その場は暫し混沌に包まれる。
再生したばかりの美しく長い腕でポカポカと叩かれ、魔王コージュとアクアのどうしようもない口喧嘩が始まり、皆はそれを呆れ顔で眺めることに。
その平和すぎる光景に、なんだかこれから一段と楽しくなりそうだなとその場の誰もが思ったとか思わなかったとか。
ともかく、こうして完全体のアクアを加えた島の面々は、改めてとんでもない人物に拾われたなと実感することになったのであった。




