第二十六話
本日もよろしくお願いします。
「……おや?」
樹人のシュロとララが島にやって来て、数日後のこと。
世界中に張り巡らされた魔王コージュの探知センサーが、遠く離れたとある地にまた新たな反応を捉える。
「またか。まったく、飽きもせず次々と……って、あれ?」
だが、その遠方の地で起きている光景に、魔王は首を傾げることになった。
「どうされましたか、魔王コージュ様?」
「ああ、イエノロ。なんか様子が変でさ、いつもとは雰囲気が違うんだよね」
「魔王コージュ様、素が出ております」
「おっと、いかんいかん。イエノロしかいない時だと油断して、ついつい」
仲間も増えた今となっては、彼が前世の素を出せる相手は善神とイエノロだけである。
そのせいか、常に魔王っぽい振る舞いをしようと意識している反動もあって、たまに気が緩むとそのようなことも起きてしまうのだった。誰も彼にそう演じてと頼んではいないのだが。
イエノロにだけ特別に気を許しているというわけでも無いが、それは例えるなら、上京した人間が同郷の者と話すと方言が出るようなものなのか。
「うーん……とりあえず行ってみるしかないか? イエノロ、島の守りを頼むぞ。先回ララを連れて来る時に、また例の遠見の気配らしきものがあったからな。今回は以前よりさらに一瞬だったから、逆探知はおろか大まかな方向くらいしか掴めなかったが、一応警戒は必要だからな」
「かしこまりました」
「どれ、今回はそれほど急ぎではないし、子どもたちには俺が伝えてから行く。子どもではないが、シュロとララにもな」
「了解しました」
相変わらず淡々と業務連絡を済ませると、魔王コージュは子どもたちの下へと飛ぶ。とは言っても、彼ら彼女らは散らばって自由に行動しているので、実際に言伝をするのは全員にでは無い。
今回に限って言えば、ほとんどの者が纏まって行動していたため、ベルとアリア以外には順調に伝えることができ、残る二人も一緒に飛行していたので出がけに上空で伝えられたのだが。
もしこれがもっとバラバラに散っていたなら、年長者のルシアや中心となって年少者の面倒を見てくれているタマやユイたち、それに要領のいいベル辺りにだけ言伝してさっさと出立していただろう。それ以前に伝言すらしなかった可能性さえある。
それでも今回伝言してからの出発にしたのは、皆が運よく纏まっていたことが理由なのではなく、その漂流者の事情がいつもとは違っていたからに他ならない。
……
……
「……なあ、あんた? ちょっと聞いてもいいか?」
「…………奇遇ね? 私も貴方に聞きたいことがあるわ」
水の国の、少し沖合の海上にて。
その二人は、なかなかに衝撃的な出会い方をしていた。
なにせ海の上で、人目を忍んで密行中の漂流者と、突然宙に浮いて現れた魔王とが出会ったのだから。しかも驚いて叫ぶでもなく、互いに冷静かつ淡々とした様子で。
ちなみに、この場合は密航ではなく密行である。何故なら彼女は、どこかの船に忍び込んで密航していたわけではなく、単独で島流しの際に使われるような小舟で国外脱出を図っていたからだ。
「……では、そちらから先に質問してくれ」
「あら? ありがとう……ございます。では率直に聞きますが、貴方何者? どうしてこんな海の上で宙に浮いていらっしゃるの?」
今にも沈みそうなボロ舟の上でありながら、その女性は落ち着いた雰囲気で上品に、驚いた表情をして質問を投げかけた。
だが本心から驚いているというより、形式的に場に適した表情を作っている感じである。
「……その質問には、完全には答えられんな。少なくとも今はまだ。とりあえず、俺は魔王コージュという者だ。よろしく」
「これはご丁寧に。魔王……という称号はよく分かりませんが、よろしくお願いします。それで、そちらの聞きたいことは?」
「それはもちろん、あんたがこんなところにいる理由さ」
彼女の仮面に合わせるように、魔王もニコリと作り笑顔を浮かべて質問をした。
どちらも穏やかではあるが、場の空気は乾いてピリついている。
互いに、できる限り相手のことを探りたいのだろう。
だが状況が状況だけに、ゆっくりお茶でもしながら……ともいかないのだ。
「……私は、あんたではなく――――アクアと申します。一応は密行中なので、あまり大きな声を出さないでいただけるとありがたいのですが?」
「それは失礼した、アクア殿。ではお詫びと言ってはなんだが、その舟ごとアクア殿の姿を消して差し上げよう」
「……はい?」
それでも、彼はいつも通りの彼である。
初対面でも構わずチート能力を披露し、驚く彼女を尻目にあっさりと透明化の魔法によって、彼女の密行をより完全なものにしてみせたのだ。
「信じるか信じないかはあんた……ではなくアクア殿次第だが、すでに舟ごと姿は消えているぞ? これで大手を振って密行できるな」
「心底ひとを馬鹿にした質の悪い冗談……かとも思いましたが、そんな感じではないですね? まさか本当なのですか? そんな高度な魔法を、見ず知らずの私のために?」
「まあ、さっきのままではゆっくりと話もできそうになかったのでな。大したことでは無いから、初対面であんた呼ばわりした詫びとして受け取ってくれ」
「透明化は相当高度な魔法のはずなのに、それを大したことない……ですか? 随分と面白い御方ですね」
アクアと名乗ったその女性は、とんでもないことを言い出した魔王コージュを訝し気に凝視する。
だが少しするとその表情を緩め、彼に向かってきちんと姿勢を正した上で、真剣な表情をして頭を下げた。
「では、ご厚意に心よりの感謝を。私の国外脱出に助力していただきありがとうございます。改めまして、私は亜人の混血でアクアと申します」
「……俺が言うのもアレだが、そんなに簡単に信じていいのか? 俺が出まかせを言っているだけかもしれんだろ?」
「もちろん完全に信じたわけではありませんが……ここでそんなくだらない嘘を吐いても仕方ないでしょう? なので貴方が真っ当な人間という可能性に賭け、この場はひとまず信じることにしました。それに実際、私の周囲を取り囲むマナが変化しているので、その透明化のお話は本当のことなのでしょう」
「……なに? その変化が分かるのか? 凄いな、確かにその通りだが……」
繊細なマナの変化に気付いてみせたアクアに、今度は魔王が本気で驚かされる。
透明化によるマナ変化など、余程の才覚でも無ければ普通は気付けるものではないからだ。
「ではお礼の意味も兼ねまして、ご質問に答えさせていただきます。私がこの場にいる……水の国から国外脱出しようとしている理由ですが、実にくだらないことです。直接は関係も無い貴族連中の権力争いが原因で、私の住まう地区がとばっちりを受けそうだったもので。これまでも幾度もあったことで、いい加減嫌気が差したので逃げ出して来た次第でございます。下手をすれば命にもかかわることですから、行動に移すなら早い方がいいかと思いまして」
「ふむ? 貴族の家柄を捨ててまで、他国に行こうとしていたのか? そんなことをせんでも引っ越して場所を移せば良かったのではないか?」
「いえ私は、その……軽蔑されるかもしれませんが、五種混血というものに分類される存在でして。私自身は平民以下の存在なのですが、これまで上手く平民に紛れ込んで生活しておりました。ですが、そこを統治する権力者たちがいざこざを……」
「――――待て。五種混血だと?」
そこで魔王は性急に話を遮り、彼女に待ったをかけた。
彼女の口から出たそのワードに、居ても立っても居られなくなったのだ。
「ああ、やっぱり軽蔑されますよね? まあ、無理もありませんが……」
「いや、そうではなく……その姿、俺には純血種にさえ見えるのだが? アクア殿は純血のウンディーネだろ?」
ハッキリとそう言い放った魔王コージュの言葉に、当のアクアはキョトンとした顔をして、それからすぐに堪え切れず笑い声をこぼした。
「クッ……アハハハハッ! そんな過大な評価をいただけるのはとても嬉しいのですが、純血種という存在は数百年も前に消え去ってますよ? ご存知でしょう? 確かに先祖返りというやつで、見た目はそのように見えなくもないのでしょうが……」
それもそのはず、彼女の外見はまさにゲームなどでお馴染みの、水の精霊ウンディーネそのものだったからだ。
片腕こそ失っているのだが、全身が青く透き通った肌であり、琥珀色の美しい瞳を兼ね備えた神秘的な外見は、本当に精霊を連想させる美麗なものである。
だからこそ彼女も、魔王コージュが自分の外見からウンディーネという伝説級の存在を想起したのだと、すぐさま察することができた。
「……確かに、鑑定結果では五種混血ということになるな」
「あら? 鑑定までできるのですか? 本当に多彩な御方ですね」
透明化の一件で早くも耐性を身に着けたのか、然程驚く様子もなく淡々と彼を褒めちぎったアクア。
すると、彼女は視線を落として少し考え込む仕草をし、それから真剣な眼差しで魔王を真っ直ぐ見つめた。
「……有能で器の大きい貴方様に、折り入ってお願い致したいことがございます。どうか、お話だけでも聞いていただくことはできませんでしょうか?」
「急に改まってどうしたのだ? 出会ったばかりの仲ではあるが、遠慮せず何でも言ってくれ。これも何かの縁だ」
「……ありがとうございます。では、どうか私めを国外脱出が成功するまでの間、見守ってはいただけないでしょうか? もしくは、貴方様の知る中で真っ当と思える土地があれば、そこまで連れて行っていただくことは叶いませんでしょうか? 厚かましく無理なお願い事とは存じておりますが、この先私はあてもなく彷徨うしかないため、何卒……」
「……クククッ」
初対面で、しかも小さいながら借りを作ったばかりの相手に、恥知らずとも言える一方的な嘆願である。
それを弁えながらも一か八かの覚悟で懇願したアクアではあったが、お相手の魔王の反応は彼女の想像したものとは全く違っていた。
当然断られるか、罵声を浴びせられるか、奇跡的に渋々了解してもらえるか。
そのくらいの予想だったのだろうが、何故だか彼は嬉しそうに笑ったのだ。
「……あの、魔王コージュ……様?」
「クックックッ、ハーッハッハッハッ! それなら最高に素晴らしい場所がある。アクア殿さえ良ければ、試しに行ってみる気はないか?」
「え?」
「お試しでも構わん。どうせ全てを捨てて一から始めようとしているなら、うってつけの土地であるぞ? どうだ、いい話ではないか?」
そう説かれ、アクアは尤もだと感じていた。
国外脱出を図った身であれば、何処であろうとゼロから……もとい一からやり直すことに大きな違いなど生まれないのだから。
であれば、お試しで彼が連れて行ってくれるオススメの場所というのを見て、それから改めて考えられるのは実に都合のいい話である。
恩知らずなことだが、厚意に甘えてその地に居座り、追い出されるまで他の候補地について熟考するという手も無くはない。少なくともこうして海の上にいるよりは安全でかつ快適な可能性は高いだろう。
「……その話、何か貴方様にメリットは?」
「仲間が増える、といったところかな? それでどうするのだ?」
「……本当にお試しでいいのですよね? 後から去りたいと申し上げても、ペナルティの……」
「ペナルティなどは一切無い。安心してくれ」
一方で、そう言い切る魔王コージュに、アクアは怪しさしか感じ取れなかった。
あまりに自分にとって都合のいい話で、これは何かの罠か彼の企みで、彼の狙いは人攫いか厭らしいことなのではないかと思えてしまう。向かった先に仲間がいて、そこで手籠めにされる可能性もある。
……だが彼女の直感は、彼をいくら疑っても無駄だと告げていた。
彼からは邪念、悪意、下心といったものはおろか、不誠実さすら感じ得ないのだから。
だから、自分でも酷く浅はかだと思ってはいても、彼女は縦に頷いてしまう。
「……あまりに私に都合のいい話で、色々と疑ってはしまいますが。それでも今の私には選択肢などあって無いようなものです。その口車に乗せられてみましょうか」
「なに、悪いようにはしないさ。きっと驚いてもらえるはずだ」
「私を驚かせてどうするのです? 言っておきますが、上手く言い包めて何か厭らしいことをしようとしているのであれば……」
「あー、そういうのは無いな。子どもたちの教育にも悪いから、これから向かう場所ではその手の話は控えてくれよ?」
「……こ、子どもたち?」
その単語で連想されるのは、これから向かう先に孤児院など子どもの集まる何らかの施設があるか、彼が複数の子持ちの可能性なのだが。
それでも、どうにも驚くというワードとは結び付かず、彼女は首を傾げるしかできないのだった。
「――――それでは、承諾いただけたようなので、改めて自己紹介をさせてもらうとしよう。俺は魔王コージュ。かつて死の大地と呼ばれた地を統べ、そこに魔王国を建国すべく奔走している者だ。以後よろしく頼むぞ」
「…………へっ? 死の……大地?」
「それではレディ、暫し失礼する。乗り心地が悪かったら言ってくれ」
「え? あ、やっ!? ちょっ……!?」
魔王の宣言に耳を疑うアクアを、彼は構わず抱え上げて宙に舞い上がる。
突然のことに僅かに抵抗する素振りを見せたアクアだったが、海上で暴れるのは危険極まりないと英断を下したようで、顔を赤くしながらも結局は彼に身を任せることとなった。
だが、なにせ彼女がされたのは所謂お姫様だっこというものであり、初対面の相手からされるには些かハードル高めの行為なのだ。
魔王ならば舟ごと持ち上げたり、タマたちの時のように結界で包んで運ぶこともできたはずなのだが、大々的に魔王としての名乗りをあげた上に国名まで口にして舞い上がっていたのだろう。自分が何をしでかしているのか、如何に気障ったらしいことをしてしまっているのか気付かないまま、ご満悦で飛行速度をあげていくのだった。
「やっ、ちょっ、待って! そんな……死の大地なんかに行っちゃったら、私、死んじゃうっ! 貴方と違って私、普通の人間だからっ!」
「ハッハッハッ、普通の人間とな? だが俺も魔王だが、れっきとした人間だから安心しろ。一緒に行ったところでどちらも死にはせん」
「嘘っ! 無理無理、そんなとこ駄目! 行ったらみんな死ぬって聞いたもん! 私耐えられないっ!」
「……」
なんだかエッチぃことでもしてるみたいな会話だなと思いつつも、思わず素の部分が出てしまっている様子のアクアをおかしく感じながら、魔王は腕の中で震えるレディを落としてしまわぬようしっかりと抱え込んで空路を急ぐのであった。
島に着いた時の、彼女の驚く顔を楽しみにして。
――――そして、この時点では彼もまだ気付いていないのだが、実は彼女は魔王が願った通りの適性の持ち主だったりする。
水の扱いに長けた者たちが暮らす土地の出身である彼女との出会いは、先日自分で立てたフラグをバッチリ回収する出来事だったのだが、それに彼が気付くのはもう少し先の話。
なんにせよ、アクアを含めて二十一人となった仲間とともに、彼の異世界生活は新たな局面へと突入することになる。
それもまだ――――彼の知るところでは無いのだが。
今話は後で改稿するかもしれません。
内容は変わりませんが、自分の中で言い回しとかがしっくり来てない部分があるので。




