第二話
「…………魔王? 今、魔王になるとか言いました?」
『そうだね、魔王。君の想像通りの魔王で合ってる』
「…………魔王、ですか? RPGとかでボスキャラの? 魔王?」
『そうです。その魔王』
――――異世界転生。
そんなご褒美をもらえると分かり、歓喜に沸き立ち……かけた少年――――彼の名は、高神樹。
だが彼は一転して、目の前の神が告げた<魔王>という言葉に混乱して固まることになった。
彼の生きていた地球という星の日本という国では、最近流行りなのかラノベでも漫画でもゲームでも、あるいはそれ以外にも、よく“異世界転生モノ”というジャンルが取り上げられてはいた。
転生したら冒険者だったり、あるいはモンスターだったり、最強だったり最弱だったり、チートの有り無しや、同性かあるいは転性もしてTSか……など、様々な可能性に満ち溢れた世界。
そんな空想でしかなかった異世界転生が、現実に叶うかもしれない。
それを聞いた樹少年が最初に思い浮かべたのは、オーソドックスな転生後にいきなり俺TUEEEEで異世界生活を満喫したり、逆にチートを持たされてレベル1から徐々にだが規格外な成長を遂げるパターンだった。
それ以外にも女の子になって悪役令嬢とか、いきなり死にかけてそこから這い上がる成り上がりや復讐モノなども思い浮かびはしたが、転生を為す神が目の前の『善神』なのだと気付いてその可能性は意識的に排除しつつあった。
……だというのに、あろうことかその神から〈魔王〉へ転生してくれと告げられたからには、彼は混乱せざるを得まい。
善の神からは最も程遠いと言えそうな、悪逆非道が付きものの〈魔王〉への転生なのだから、彼がフリーズするのは当然の結果である。
『いや、悪の魔王じゃないからね? 俺はまだ<魔王>としか言ってないよ?』
「……ハハハ、そう……ですよね? 魔王とはいっても、単に種族の代表としての魔王だっていますもんね? ビックリした、魔王っていうから俺はまた、異世界で好き勝手暴れろとか、魔物の王として国を興せとでも言うのかと思っ……」
『ああ、それはやってほしいね』
「なんでだよ!?」
『いや、魔物の王じゃないし、暴れろっていうんじゃないんだけどね? ある場所でもって思うがままに行動してほしいんだけど、それってつまりは周囲の国々を無視して、好き勝手に土地を占領することになるから国を興すのと大して変わらないんだよねえ』
善神はまたも、あっけらかんとそんな話をする。
だがそれを聞かされた樹少年の方はというと、話の内容に想像が追い付かず、呆然として溜め息を吐くしかなくなっていた。
彼はまだ17歳という年齢であり、日本でいえば未成年なのだ。社会に出た経験さえほとんど無く、政治家一族でもない一般人の彼を捉まえて国を興せとは、かなり無茶が過ぎるのではなかろうか。
どこかの創作物に出て来るような超人高校生でもなければ、若くして国造りを研究する変わり者のオタク高校生ですらない彼に。善神は今、土地を占領して国を興せと言ったのだ。
その話しぶりではどうも他国とて存在しているようだし、ならば当然ながら侵略や戦争もあり得るだろうに。
「……えっと、因みになんですけど……」
『あ、君が想像しているような「元の世界に生き返る」ってのは無理。それだと運命変わっちゃうし、そもそもそうできるならここまで呼んだ意味も無いでしょ?』
「ですよねー。と……いうか、今さらですけど……俺の心の声って読まれてます?」
『まあ、これでも神だからね。そのぐらいはお安い御用さ』
「……お安くしてほしくないんですけど…………ハァ」
一種の逃避とも取れるような可能性を口にし、樹少年はさっきまでとは打って変わって憂鬱そうに溜め息を吐いていた。
さっきまでは異世界転生に心躍らせていたというのに、酷い落差である。
「……まあ、善の神様というからには、悪い結果にならないようにしてくれるんでしょうけど……」
『それはもちろん。でも本当にゴメンね、家族ともお別れさせてあげられなくて。友達とか助けた女の子とも少しくらい話をさせてあげたいところなんだけど、世界のルールでそういうのはできなくてさ?』
「……ああ、それなら大丈夫ですよ。友達らしい友達もいなかったし、両親はすでに他界してて親戚に居候してましたから。おじさんおばさんは俺にも良くしてくれる人たちだったから恩返しができたらベストでしたけど……それでもやっぱり本当の親とは違いますから、その辺は気にしないでください。助けた女の子なんて顔も見てないから、割とどうでもいいです」
そんな冷たくも取れるセリフを聞き、今度は善神の方が小さな溜め息を吐く。
それが少年の強がりや諦めなどが入り混じって出された答えだとは分かるのだが、それ以上に善神には彼に対して思う節があったのだ。
『……君が人知れず行ってた善行とか、自分の立場を悪くしてまでクラスメイトを救った件とか、そういうのも俺は知ってるんだよ? もちろん君の考えや性格もね。だから、神である俺の前ではそんな強がらなくても……』
「……っ!? プ、プライバシーは無いんですね、俺の。でも戻れないなら、本当にそれはそれでいいですよ。駄々こねても仕方ありませんし、ちょうど地球って場所にも飽きてたところなんで」
『……そっか、分かったよ。たった17年で飽きるのはどうかと思うけど、それなら……そろそろ転生してもらうための準備でも始めようかな?』
それ以上の詮索は彼にとって辛いだけと思ったのか、善神はその話題を切り上げ、転生の話を進めることにした。
そういった話をするのはこれから先、彼の信用をもっと得てからでも遅くはないのだから。
「……それで? 転生するのが異世界ってところまでは聞きましたけど、その世界のこととか詳しく教えてもらえますか?」
『もちろんいいよ。それで……高神樹さん? あなたは〈魔王〉に転生すること自体はOKでいいのかな?』
「……まあ、いいですよそれで。本来なら死んで記憶を失って転生するところを、こうして特別扱いしてくれたわけでしょう? いち人間の俺がどうこう言える立場でもないですからね、生き死にとかの運命なんて。魔王というのはどうかと思いますが……」
『よし、それなら……ここから先の話は現地に着いてから話すことにしようか? その方が楽しいと思うし』
「……え?」
善神はそう話すとゆっくりと樹少年に近付き、そして彼に触れた。
すると、樹少年は何か温かいものに包まれたような感覚の中で、徐々に睡魔に襲われていく。
「ちょ、待っ……!? せめて、もう少し心の準備を……」
『大丈夫大丈夫。君も言ってた通り、悪いようにはしないから。俺を信じてよ?』
「そんな、信じられ……うあっ、急激に眠……く……?」
『それじゃあまた、現地……惑星「エルミンパス」でね!』
「……あ…………」
抗えないほどの眠気に、樹少年は再び意識を手放そうとしていた。
そんな中「エルミンパス」という異世界の名前だけが、辛うじて彼の耳に届く。
だが樹少年は、その新天地に思いを馳せる暇も無く微睡み、そして夢うつつの中で誰かに手を引かれるようにして転生を開始したのだった。
軽はずみにOKと口にしてしまったことへの若干の後悔と、それでも色褪せることのない新天地への大きな期待を胸に抱いて。
……これから先のことなど、ほとんど分からないまま。
ただ一つ分かっているのは、これから〈魔王〉になるということだけ。
そして、彼の魂はその世界へと落ちていく。
ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと――――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……う……?」
樹少年が次に目を覚ますと、そこは先ほどまでの世界ではなかった。
何もかもが違っていて、慣れるまでは目もまともに開けられないほど。
つまりは、この世界には地球と同じように太陽の光が射していた。
神の世界では感じなかった自分の息遣いが感じられ、胸の鼓動もやけに煩い。
そして、なんだか不快感が身に纏わりついているようであり、少し気持ち悪い。
「……ここ……が、惑星、エル……エルミン、パス……だっけ?」
――――エルミンパス。
その、貼る鎮痛消炎剤の類似品のような名が、彼が神から最後に聞いた言葉。
彼がこれから新たな人生を送る世界、その名称であった。
「……う、ん? この世界、何も……無い……?」
だが、そこには何も無かった。
先ほどまで彼がいた「不思議な場所」とはまた違い、今度は地面も空も確かに存在している。
彼が地球で見たのと同じように、地面と空が確かにあるのだ。
だがしかし、それ以外の何もかもが――――無い。
土色の大地には木も草も無く、当然ながら家や街並み、文明の欠片すら見当たらない。
そして空にはシャボン玉の膜のように薄っすらと虹色のうねりが見え、それが其処彼処に歪みを発生させていた。
彼は最初、その歪みが視覚的な要因として、今感じている気持ち悪さを生んでいるのかと思っていた。
しかし、一度目を閉じてみるとよく分かるのだが、彼が感じている不快感と気持ち悪さは目に映る光景が原因ではないようだった。
恐らくその歪みが、彼の体に直接的な何らかの影響を――――
『やあやあ、無事に転生出来たようだね! おめでとう!』
「おわっ!?」
――――そんなことを思索していた樹少年に、突然背後から声がかけられる。
彼が驚いて振り向くと、そこには見たことの無い姿の人物が綺麗な直立姿勢で立っていた。
『やあ、俺が誰だか分かるかい?』
「……えっと、善神……様?」
『正解。姿が違うのに、よく分かったね?』
「そりゃ分かるでしょう? この状況でこんなふうに話しかけてくるの、善神様しかあり得ませんから……」
そんな気の抜けるやり取りをし、樹少年は改めて目の前の人物をまじまじと観察する。
それはさっきまで彼が目にしていた善神の姿とは大きく違っていて、どちらかというと大人の男性のイメージが強かった。
それまでの善神はどこかまだ幼さを残した成人男性といった風貌だったのに対し、こちらは完全に大人の印象を受ける。
何よりその風体が特徴的であり、神というよりはむしろ――――
「……執事、さん?」
――――金持ちの家に仕えていそうな執事、そのものであった。
着ている服もそうなのだが、キッチリと整えられた髪も凛々しい顔つきも、まさに執事そのもの。
外見だけで執事ランキングを作ったなら、間違い無く彼が上位に食い込むことだろう。
『驚いた? この姿は、俺が下界で活動するための仮の体なんだよ。やっぱ、さっきまでとはイメージが違うよね?』
「……そうですね。でも、善神様も下界で一緒に過ごすんですか?」
『いや、君に説明するために一緒にいるだけさ。この体は俺が抜けた後もそのまま付き添うけどね』
「……はあ? よく分かりませんが、それならその説明とやらをお願いします。正直、気分が悪くて少しイライラして来ました」
『……そうだね。それじゃあ取り急ぎ、その体の使い方を教えてしまおうか』
「……その体?」
そんな善神の言葉で、彼は漸く自分の体の違和感に気付くことになる。
転生して今この瞬間までは、自らを取り巻く不快感に気を取られるあまり、全く意識していなかったのだ。
思い込みとは恐ろしいもので、それが自分の体であると信じて疑っていなかったのだ。
だが、実際は違っていた。
その体は――――
「……な、な、な…………なんじゃこりゃあーーーーっ!?」
――――彼の知らない、全く別の体になっていた。