2-35 はじまりのおわり
「目がぁ、目がぁああああっ!!」
「何やってんの!?」
絶体絶命の状況から一転、王家直属のヒンソ正騎士団を全滅させ、団長のワンダ・ワンヒットを降した2人。
しかし、ルイが振り返った背後では、ケロックが顔面から黒煙と悲鳴をあげていた。【魃魔眼】の自傷ダメージにより、眼球に直接火傷を負ってしまったのである。
「わかっててやったでしょ! この非常時になんでこんなマネを!」
「カッコ良さそうだし……使ってみたくて……」
「このおふざけゾンビ! いっぺん死んじゃえ!!」
「もう死んでるぅ……」
痛みに慣れているし再生するとはいえ、眼球を直接燃やすような痛みに耐えられるはずがない。自業自得である。
ルイも心配するべきか呆れるべきか迷っているようで、これでは精一杯の叱責と罵詈雑言を浴びせているつもりらしい。育ちの良さがうかがえる。
「しょうがないなもう……ほら、立てる?」
「おんぶ……」
「本当に変わったね、君」
ルイから見て以前までのケロックなら、こんなに声色や表情がコロコロ変わることはなかったように思える。
しかし、包帯と傷まみれの自分の手を取った時も。
自暴自棄になった自分に未来を示してくれた時も。
絶体絶命の状況に颯爽と現れた時も。
真剣な表情。
呆けたような反応。
土下座する姿。
照れ隠しの会話。
瀕死の重態。
カッコつけたような振る舞い。
そして、今。
振り返ると、今まで見てきたケロックの様子のどれもが、自身の感情を大きく揺さぶり、全て愛おしく思えてならなかった。
「ハイ、乗って」
「……自分から要求しといてなんだけど、マジ?」
「嫌なら引きずるけど。ていうか、おんぶは今さらでしょ」
ケロックからすれば視覚が無くても他の感覚で補えるので、ほんの冗談だったのが叶ってしまいキョトンとしている。血涙が怖い。
ルイがケロックを改めて背負ってみると、魂の共有が切れた影響だろうか、やけに重く感じてしまった。あの肉体以外の全てが重なり合った時の多幸感を思い返し、少し物足りない気持ちにもなっているようだ。
しかし、やり過ぎると今以上に反動が来るかもしれない上に、抜け出せなくなる可能性も捨て切れない。
実に危険である。その結果が具体的にどうなるとか全く想像出来ないが、とにかく精神衛生上よろしくない気がする。
そんな悶々とした気持ちを抱えながら立ちあがろうとした時。
_____なぜ、気がつけなかったのだろうか。
ルイの目線の先、2m先の地面に、傷一つない高級な靴とローブの裾が見える。
戦場では無くなったとはいえ、戦いを生業とする者とはかけ離れた足元。『王城勤めの文官』と言う表現か最も当てはまるかもしれない。
ルイの全身から、嫌な汗がブワッと吹き出す。
こうして目の当たりにしないと察知出来ない存在感に、言いようのない悍ましさが込み上げてくる。
ルイの背におぶさっていたケロックの、スキル【五感】として研ぎ澄まされた感覚器官ですらも、この瞬間に至るまで全く気づくことが出来なかった。
目が潰れ、聴覚に集中した今だからわかる。
目の前の男に、呼吸がない。心音がない。足音と衣擦れ以外の生き物としての反応を感じ取れない。
そのわずかに感じ取れる動作音すらも、直前まで一切無かった。肌で感じる空気の流れでも、その姿を捉えたのは、今この瞬間である。
つまり、この足の持ち主は、生きた人間ではない。
そして、なんの前触れもなく、忽然と姿をあらわした。
まるで、ルイを救出するために立ち塞がった時のケロックのように。
かろうじて反応したにも関わらず、これら一瞬の硬直により、2人は足元に小さな何が投げ込まれるのを許してしまう。
無造作に転がったのは、小さな水晶玉だ。ケロックの目が見えていたのなら、中で渦巻く光の様子に見覚えがあっただろう。
ルイの目から見てそれは、光と呼ぶにはあまりに澱んだ、極彩色に渦巻く汚泥のような輝きに見えた。
この世界の血管や神経を、剥き出しにしたかのような悍ましさだった。
「____さて、終わりにしましょうか」
胃薬を噛む音が鳴り響く。
『警告。スキル【第六感】の提案により、神具『次元門:小』の起動から最適な生存ルートを算出します』
『個体名:ケロック・クロムハーツ単体の生存率………………82%強。
個体名:ルイジアナ・トッカータ・アイゼンヴァルド単体の生存率………………46%強。
前項、両者ペアの生存率………………3.2%弱』
現実の時間を超越した速度で、送られる情報の渦。半秒にも満たないこの間でさえも、水晶と同じ色のドームが展開するには充分な時間だった。
今ケロックとルイは、村一つを飲み込み消滅させ、巨大なクレーターの惨劇を生み出した、あの光の半球の中にいる。
ケロックは、迷わなかった。
ノータイムでスキル【幽煉憑依】を発動。再び“思念体”となった【怠ック】を切り離し、【重力魔法】による重量軽減をルイにかける。
ルイは状況を理解する前に【怠ック】に肉体の制御を奪われ、無意識に大地を蹴飛ばし跳躍した。
軽くなった身体は初速で最高速度を超え、斜め上空に投げ出される____ケロックを置いて。
ケロックは、ドームの発生源である水晶玉『次元門:小』を掴み、【創造魔法】による術式の書き換えを試みていた。
【超高速脳内会議】を経由する余裕もなく、【天の声】のサポートを受けながら強引に押さえ込もうとする。
物理的に軽くなったとはいえ、慣性と空気抵抗により空中で失速していくルイは、まだ半球から脱してはいない。
ルイはわけもわからないまま、上下が反転していく視界の中に、ケロックの姿を捉えた。
ケロックが隣にいない。あそこにいる。
どんな事があっても、離れてはいけないはずのパートナーが……表情も見えないぐらい、遠く、遠く、遠く。
(ボクは……なぜここにいる?)
繋がりが深い相手ほど抵抗値が下がる【幽煉憑依】は、ある意味“裏切りのための能力”と言えるだろう。
今のルイを責めるものは、誰もいない。
________ばつん。
「_____遅かったっスね、ベント先輩」
王城の地下深く。王侯貴族の中でも一部のものしか知らない、緊急用の【転移門】の魔法陣がある部屋。。
魔力光とともにそこから現れたのは、ベントレール・クラバルカ。宰相の副官として国に従事する、中央政府の若きホープである。
「すみませんね、お待たせして。私には全てを見届ける義務がありましたから」
「なるほど、首尾はどっスか?」
「やはりというか、壊滅しましたね。“君の”ヒンソ正騎士団は。おかげで巻き込むしかありませんでしたよ」
そう報告するベントレールを待ち受けていたのは、あの時、逃走用の【転移門】をこの場所に繋いだヒンソ正騎士団の副団長、カルア・ミルヒレーチェ。
十代後半とも取れる幼なさを残す褐色肌の青年は、申し訳なさそうに目を細めて首をかしげていた。
「しゃーないっスよ。相手が未熟、ワンダ団長がいくら剣の達人とはいえ、王宮剣術で『魔王』と『勇者』に叶うわけ無いじゃないっスか。団員達も足止めとブラフが出来ただけマシじゃないっスか」
「油断は出来ませんよ。私が避難する直前、あのゾンビの少年が『次元門:小』に飛びつくのが見えましたから。見ただけでアレが何なのか察したのでしょう」
「ひゃあ、鋭いっスね!」
「まあ一度発動すれば、器である水晶玉を壊しても無意味ですし、あの場で出来る事があるとは思えません。騎士団ごと“消滅”は免れないでしょう」
淡々とした説明をするベントレールと、飄々とした態度のカルア。涼しい顔でとんでもない会話を繰り広げる2人の青年は、古い知己のような関係性である事が窺える。
「……………ベントレール、お前、息子に何をした?」
ベントレールの“消滅”というワードに反応したのだろうか。
後ろ手に縛られた状態で壁際に座らされているのは、両脚が欠損した騎士ファラン・クロムハーツ。
もはや『斥候王』と呼ばれた面影はなく、失意と絶望に晒され摩耗した精神は、彼の黒髪を白く染めあげるのに充分なダメージを与えていた。
「……ええ、やりましたよ。哀れなファラン・クロムハーツ。
あなたは息子であるケロック君を守れなかったんです。ルナリアの時と同じように」
「……ッ!! お前ぇっ!!!」
「怒る元気が出てきましたか、それは重畳」
「お前が憎いのはオレだけだろうがっ!! なぜ関係ない妻と息子を巻き込んだ!! ルナリアはお前にとっても_____ 」
「どうでもいいんですよ、今となっては」
表情ひとつ変えず放たれた言葉に、ファランの叫びが中断される。
「確かに私は、あなたへの復讐に取り憑かれていました。例え何があろうともやり遂げてやる___そう思って生きて来たし、ここまで漕ぎつけたのです。
そのために必要な事は何だってやった。そしてついに…………“復讐と両立出来る使命”を請け負ったのです」
ベントレールの口から出てくる内容に、ファランは驚愕を隠す事ができない。言ってる事は何一つ理解出来ないが、彼の口ぶりではファランヘの復讐が『使命とやらのついで』のように聞こえるのだ。
「怒りや憎しみの感情が大きいほど、それを代償に力を得られる。“そういう契約”でしたからね。
運良くあなただけ生き残ってしまったようですが、その状態も、ある意味最高の復讐だったのでしょう。すっかり溜飲が下がってしまったみたいです。だから『どうでもいい』」
違和感が止まらない。
瞬きがない。呼吸がない。抑揚がない。息継ぎを忘れたかのように長く喋り、温度を感じさせない笑みを浮かべている。
歴戦の斥候職であるファランの本能が、あらゆる情報を見落とす事を許さなかったり
「お前、人間をやめたのか……?」
「ゾンビの父であるあなたが言いますか? いや、だからこそわかるのでしょうね」
ベントレールはそう呟くと、その身に纏った衣服の襟をずらしてみせる。
「____これが答えですよ、ファラン」
そう語りかける彼の胸。胸骨の真ん中やや下あたりに、ぽっかりと真っ暗な穴が空いていた。
胃薬を噛む音が響く。




