きっかけは理不尽から
「……森?」
気がつくとルイは、森の中にいた。
湿った起伏の激しい土地に苔むした岩が並び、その間を細く清流が通る。針葉樹の巨木が天を衝くように立ち並び、枝葉が陽光を遮る。それなのに森の中は以上に明るく、まるで草木や苔の全てが光を全方位に反射させているかのようだ。
小川のせせらぎ、風のそよぎ、草木のざわめき、小鳥のさえずり。その光の下では色んな物音が、水の底で鳴るような不思議な響き方をしていた。
人間どころか、大きな獣の気配もほとんどない。ルイの知る世界に、こんな場所など存在しないはずだった。
「不思議と落ち着く場所ねー」
ふいに響いた声に振り返ると、そこに母であるオルディナの姿があった。青色の髪が一際輝いているが、決して浮いたりはしない。それぐらいこの景色には、全てを飲み込もうとする力があった。
「お母様……そしたらここは、夢?」
オルディナは既に亡くなっており、死に際の記憶のみがルイの意識下で生きている。それ故にここが現実世界ではない事を、ルイは自ずと理解する事になった。
そして同時に、現実の出来事を思い出す。
ルイは覚えている。現実で敵に踏み込まれ、聖なる光に焼かれて白煙に包まれるケロックの姿を。絶望的だったあの光景を。
目の前で守りたいものが壊される光景は、ケロックの性悪なコピーがオルディナのイメージを侵していく様子と被っていた。にも関わらず、その時のルイは動けなかったのだ。
自分が動くと、周囲が壊れる、自分が壊れる、何もかもが台無しになる。たったこれだけの違いが、足を竦ませ手を震わせて呼吸を忘れさせていた。
目の焦点が合わず、視界が小刻みにズレていく。
そして、意識を手放したいと無意識が懇願する一瞬、ケロックの輪郭がピタリと重なった瞬間に、ルイはこの夢の世界に飛ばされたのだ。
「……ボクはまた、現実から逃げた、のか」
「ルイちゃんがそうなっても仕方ないと思うけど、今回は違うよ。ここはケロック君の夢の中」
「ケロックの?」
「ええ、彼の“いちばん古い記憶”」
地面にへたり込むルイに、オルディナはゆったりと近づき、しゃがんで目を合わせてきた。
「最終段階とか言いつつも、あの子は今とーっても忙しそう。だから代わりに迎えに来たの。ケロック君が私の封印を解いたから、ルイちゃんとケロック君とのパスを繋げられるようになったんだねー」
「……!! お母様、ケロックが! 先生とフニも、屋敷のみんなが危ないんだ!!!」
「慌てない慌てない。忘れちゃったかな? ここは現実の12倍で時間が流れるんだよ?」
血走った目で縋るように懇願する娘を、オルディナは優しく諭しながら、目線をしっかりと合わせる。
「落ち着いて、ルイちゃん。記憶でしかない私に頼んでもダメ。あなたがみんなを守るの」
「ボクが?」
「そう。今まで無力だったとしても、動けなかったとしても、これからがそうだとは限らない。実際ケロック君はルイちゃんに賭けてるみたいだから」
それについては何となくわかっていた。内乱の可能性が出たタイミングでルイの治療を完遂させると言われ、それが現状の打開策になり得ると示唆された事は、漠然と理解していたはずだった。
それでも、つい先ほどの自らの失態を思い返すと、到底信じる事が出来ない。
「待ってよ……確かにボクはケロックのそばにいると誓った。ボクの全てを捧げると約束した。だけどそれもこれも全部“夢”の世界の話で……」
「ルイちゃん」
「お母様のために拳を振るったのも、『ボクの身体が万全なら』って言う想定の下だよね? ゆっくり治していくならともかく、『今のボク』じゃ無理だよ……」
「ルイ」
「今ならまだケロックも無事みたいだし、現実に戻って神官長に頭を下げれば……ボクの身ひとつで全ておさまる可能性が」
「『自分が壊したり傷つけたりして来たし、これからもそうなるなら、何もせず居なくなった方がいい』? 」
ふっ と。
それまで優しく声をかけていた母の顔から、表情が消える。
その口から、よく知る少年の声が発せられ、責めるような口調で言葉が紡がれる。
「あんたが憧れる父親は、そんな卑怯者が尊敬する程度の男なのか? 自分の卑屈さを盾に逃げるようなヤツには、誰かに憧れる資格なんて無いんだよ。自領の民を守る英雄の背中を汚すんじゃねえ」
「……そのセリフって」
さっきまで言い訳をするかのようなルイの態度は一変し、驚愕に目が見開かれたまま硬直する。
なぜならそのセリフと声は、かつてルイがオルディナと再会を果たす直前に叩きつけられた、ケロックの別人格【性悪コピック】のものだったからだ。
オルディナは「ふう」と一息ついて、元の表情豊かな母の顔に戻っていく。そうして出来た娘の意識の空白を見逃さず、今度はこっちの番とばかりに話を続ける。
「この世界で具現化すると、こういう再現も出来るようになるみたい。ケロック君が言ってた『管理者権限』に近いものかしら?
良い?ルイちゃん。よく聞いて。確かにここは夢の世界。でも、ここで話した事は“妄想”なんかじゃない。全て“現実”の話だよ」
決して捲し立てるような事はせず、あくまで諭すように語りかける。今なら割り込まれるような事もないし、理解させるために必要な手順の踏み方だ。
「私があなたを産んで、ここにいる。
あの人が戦いに赴く。
使用人や兵たちがそれに付き従う。
ルシルとフニちゃんが、傷ついてでも守ろうとする。
ケロック君が、無防備になっても治そうとしている。
ルイ……これはみんなの“賭け”なの。
そんな中で、あなたがさっき言ってたような、誰も望まない浅はかな“賭け”が本当に出来る?
そんなに私たちの事が信じられない?」
この問いかけに、ルイは答えられない。
どれだけ理性で決断しようとも、どうしようもなく厳しい“現実”が、彼女の衝動を揺さぶるからだ。
諦めるか否か、どちらも事態を収束させる100%の保証はない。だからこそ、どちらも最悪を想定した場合に、なるべくダメージの少ない方を選びたくなってしまう。そこに明るい未来はないというのに。
オルディナは、それでも構わないとばかりに話を続ける。
「ここでどれだけあなたを諭そうとしたところで、きっと変わらないんでしょう。当然よね、理不尽には専守防衛が基本だもの。
どれだけ生き方とか理念とか決めたところで、現実に直面した時そのように動けるかはわからない。同じ条件で立ち向かうなんてありえないものね。
さーて! ここで問題です! 『他人を変える事は出来ない。自分から変わるしかない』。その前提で私があなたに出来る事。あなたの不安を払拭し考え方を変える魔法。それはなんでしょう?」
突然おどけるように片目を閉じ、人差し指を立てる母の姿に、ルイは困惑を隠せない。そんな反応すらも見越していたかのように、オルディナは再び優しく目を合わせて、自分から答えを言った。
「それは、味方を出し抜く罠と、時間稼ぎだよ」
『個体名:ルイジアナの治療の確立に成功しました。すぐに施術を開始します』
「……へっ?」
周囲の草木が、岩が、光が、粉々に分解され、連なってルイに向かっていく。
よく見るとそれは、無数の文字の羅列だった。
指先から手首に、肘に肩に胸に。
爪先から足に、膝に腰に腹に。
脳天から額に、目鼻口に首元に。
光の文字が螺旋状に絡みつき、次々と染み込んでいく。
言葉にならない膨大な情報の渦に、無理矢理作り変えられる感覚に、身体が歓喜と悲鳴をあげていく。
「何これ何これ何これ何これっ!!??」
「嘘ついてごめんねー。この景色、全部魔法陣の塊で出来てるんだってー」
「これ全部ボクの中に入るの!!?」
自然な風景として成立するほど膨大で綿密な魔法陣の塊が、全てルイの中に刻み込まれていく。全く想像していなかった事態に、ルイはまともな反応をする事が出来ない。
しかし、オルディナが娘に贈る理不尽は、この程度で済まなかった。
「ついでにそれ〜っ」
なんと、オルディナがかけ声とともに腕を振り上げると、今度は彼女の身体が指先から分解され、魔法陣の羅列に変わっていったのだ。
「えっ待って、お母様まで?何で?何で?」
「私もお願いしてサポートスキルにしてもらうよー、【天の声】さんの下位互換だけどねー」
「嘘でしょ本当に何してんの!!??」
「私の可愛い可愛いルイジアナ。少なくとも大人になるまでは一緒にいたいから、これからもよろしくねー?」
「うわぁああああお母様のバカァあああああケロックのアホぉおおおおおお!!!!!!」
『スキル【硬化】のトレースに成功しました。
スキル【身体強化】と【怪力】を【硬化】と共に統合します。
…………統合に成功。スキル【金剛力】を入手しました。
称号【竜の因子】が【鋼竜の因子】に進化しました。
派生スキル【竜気変換】と【硬化伝播】を入手しました』
『スキル【再生】のトレースに成功しました。
スキル【竜気変換】を【再生】と統合します。
…………統合に成功。スキル【竜闘気】を入手しました。
称号【鋼竜の因子】が【鋼竜戦士】に進化しました。
派生スキル【竜人化】を入手しました』
『称号【鋼竜戦士】と【七美徳:忍耐】【勇者の卵】の実績を基に申請を開始します。
…………申請が受理。称号【勇者の卵】が【不屈の勇者】に進化しました。』
『メモリーデータ“オルディナ・ドラグニカ・アイゼンヴァルト”をスキルに変換。
スキル【竜巫女の声:オルディナ】のトレースに成功しました。
ただ今より個体名:ルイジアナは、スキル【天の声】の管理対象から外れます』
『ハイハーイ!【天の声】さんありがとー!! ケロック君にもお礼言っといてねー!!!
それじゃあルイ? 最後の質問だよ? 素直な気持ちで答えてね?』
「……あーもう! 言いたい事いっぱいあるけど、とりあえず何!!!」
『あなたの願いは?』
頭の中で響く母の声に、ルイは様々な感情を押し殺し、質問の内容のみを自らの中で噛み締めた。
生まれた時から理不尽の連続。現実とは理想の上書き。思った通りにいかなくて当たり前。
今もこの無茶振りに答えなければならない。自分の意志ってなんなんだ。通せないなら、なんのために存在するんだ。
どれだけ運命に無視されようと、絶対曲げてやるものか。徹底的に反抗してやる。いつか絶対貫いてやる。
そんな思いの丈を乗せて、言葉を紡いでいく。
「誓いでもない。方針でもない。でも、ボクの手で叶えたいボクの願い。
本人がなんと言おうと、周囲がなんと言おうと、世界が敵に回ろうとも。
_____ケロックのとなりに立つのは、ボクだ」
『称号に【七美徳:信念】が追加されたよ。もうあなたの信念が折れる事はない。頑張ってね!』
「_____あ、起きた?」
次に目を覚ました時、ルイの目に映ったのは、のんきな顔をしたケロックの姿。
こっちの悩みも想いも全部無視する、新たな理不尽の権化である。
自分は、こんなヤツの隣にいる事を望んだのだ。
「……てぇい!!!」
「ぶむぎゅっ!!??」
とりあえず吹っ飛ばない程度に殴っておいた。




