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生まれ変わったら死んでました〜怠惰なゾンビは隠者になりたい〜  作者: かんた
第1章 ゾンビになった日
12/49

閑話 人類みな麺類


 ケロックが目覚めてからおよそ1ヶ月。

 クロムハーツ家の長男大復活騒動は完璧に鳴りを潜め、父であるファランもいつも通り出張任務に戻るようになった。

 母と妹との3人暮らし、それが生前から続くケロックの日常である。



 そんなある日の正午のこと。小さな食卓に、兄妹にとって見慣れないものが並んだ。



「……おかーさん、これなーに?」


「見ての通りパスタよ、フニちゃん」


「え〜? 絶対ウソだよー」



 訝しげに母を見上げるフニランの前には、豆のソースを乗せたパスタの皿が置かれている。

 彼女がいつもと違うと感じるのは、そのパスタがフォークに絡まないほどの極太になっていたからだ。


 本当にこれはパスタなのか? そんな娘の疑問にも、ルナリアは優しく答えてくれた。



「たまには乾燥じゃなくて、自分で生パスタを作ってみたかったの。どう? 初めてにしてはいい感じじゃない?」



 そう言って胸を張る母の姿を、2人はジト目で見上げていた。


 ケロックが生まれたこの国ではパスタの産業が盛んであり、乾燥技術も進んでいる。保存食として優秀な乾燥パスタは、国単位の特産品として注目が集まるほどだ。

 一般に流通し、国民であれば安価で手に入る食材である。それなのになぜ彼女は、わざわざ粉から作るという手間をかけたのか?


 幼いフニランにとっては、見たことのない形のパスタだった。ケロックも前世の記憶を引っ張り出したが、1cmを超える極太のロングパスタなんて知らない。フォークに巻けない時点で論外である。

 


「まあいいや! いただきまーす!!」



 考えるのが苦手なフニランは、さっさと切り替えた。パスタの一本にフォークを突き立て、音をたてて一気に頬張り、もぐもぐと咀嚼を始める。

 味覚を取り戻していないくせに、妹を毒見役に見立てた我らがクズ兄ケロック。その様子を確認した後、目の前の推定パスタを恐る恐る口に入れる。



 そのまま噛み切ろうとして、彼の脳内に激震が走った。




(コイツ……硬いっ!)


『なんですかこの硬度と弾性は!?』




 ゴムのような食感に、スキル【天の声】も驚愕と困惑を隠せない。

 1人と1スキルは戦慄し、再び隣のフニランに視線を移した。


 哀れフニラン。噛み切らずに丸々一本頬張ったことで、このパスタの異常な特性に気づくのが遅れてしまったようだ。味が悪くないが故に一度口にしたものを吐き出すこともできず、苦々しい顔をしながらゴムゴムぶちぶちと咀嚼し続けていた。

 なんという咬合力、なんという精神力。ケロックは口からパスタを生やし、たくましい妹を呆然と見守るしかなかった。



 そんな家庭の食卓を、ルナリアはニコニコと見守っている。どこにでもあるような家族の風景のように。



















 アゴの筋肉を酷使しながらも極太ゴムパスタを完食したケロックは、食休みもせずそのまま外出することにした。

 フニランは食べるのに疲れたのか、椅子の上でぐったりしていた。最近はケロックにべったりだったが、この状態の妹を連れ回すのはさすがに酷だろう。決して邪魔だから置いていくのではない。

 湧き上がる渇望の赴くままに小銭を握り締め、訪ねたのは近所の粉屋さんだ。


 その国の主食がパスタということは、流通する小麦も『デュラム』と呼ばれる硬質小麦が主流なはずだ。

 普通の小麦よりもグルテンと呼ばれるたんぱく質が多く、ビタミンやミネラルなどの栄養価も高い。パスタにすればコシが強くぷりぷりとした食感が楽しめる。こねたものを焼けば、皮はパリッと中はもっちりな小麦本来の甘さ引き立つパンが出来上がるだろう。


 しかし、ケロックには前世の記憶がある。

 先ほど口にしたあの太さ、“コシ”という食感の概念。味覚がないはずの彼を突き動かしたのは、『うどん』という食べ物との類似点だ。





「こん、にちわ」


「いらっしゃ……おっなんだなんだ、ルナリアちゃんとこのケロ坊じゃねえか。もう1人で出歩けるのか?」



 ぽっちゃり系がチャームポイントと自負する粉屋の店主、ブラン・グレース。ルナリアの美貌にメロメロな、村の中年オヤジの1人である。彼女の息子であるケロックのことも気にかけてくれる気の良い男で、彼なりに体調を気遣っているようだ。



「そうそう聞いてくれよケロ坊! お前の母ちゃんが昨日ウチに来て、大袋で粉を買っていったんだ! ガントルの野郎めが手回し製麺機を貢いだんだとよ! あんの助平、既婚者のクセしてオレのルナリアちゃんの気を引こうたぁ太え野郎だ!!」



 鼻息を荒くして聞いてもいないことをベラベラと(まく)し立てるブラン。(はす)向かいに住む鍛冶屋のガントルに対抗心を燃やしているようだが、彼も妻子持ちなのでとやかく言う資格はない。



(て言うか全員既婚者だよね? この三角関係は子供にしていい話じゃなくない?)


『いくらルナリアが美人で夫がほぼ不在だったとしても、みなさん良い大人ですからね。気に入られようとは思っても、本気で関係を持とうとは思わないでしょう』



 人口数百人規模の裕福な村だが、ルナリアは男女問わず中高年たちのアイドルだし、家族にメロメロなのも周知されている。村八分になってまで手を出そうなんて考える輩はいないのだ。



「……っと悪い悪い、おつかいに来たんだろ?」


「小麦、粉……」


「良いって良いって、無理にしゃべんなよ病み上がりなんだから。昨日の今日だけど、同じので良いか?」



 音魔法で声を出せるようになったとは言え、全体的に動きが緩慢(かんまん)なケロックでは、上手く舌が回らないようだ。店主はそんな彼の(つたな)い言葉を遮り商品を出そうとするが、それでは目的のものは手に入らない。怠惰な主人公の頑張りどころである。



「ちがう。小麦粉、教えて」


「ん? なんだケロ坊、作りたいもんでもあんのか」


「別のパスタ、作ってみる」


「かーっ、相変わらず勉強熱心だなぁ! ウチのヤン坊なんか『冒険者になる!』とか言って棒っきればかり振り回して、少しも店の仕事を覚えようとしねえ! 勉強すんならどこ行ったっていいが、少しはケロ坊を見習って欲しいぜ! ったくよぉ!」



 棚の商品を物色しながら悪態をつくブラン。声を荒げないと愚痴を吐けない体質らしい。

 ちなみに(くだん)のヤンくんはケロックより一つ年上の男の子であり、『生前のケロック』のことを嫌う近所の悪ガキたちのリーダーだ。父であるブランが本人の前でもこうして引き合いに出し、劣等感を煽っていた可能性も捨てきれない。

 もちろん現状ほぼ引きこもりな『今のケロック』には関係ないため、こうしてブランの勧める小麦粉を品定めしている。


 パスタ用のデュラム粉がこの国の主流とは言え、栽培の基本的な条件はどの小麦も共通している。ケロックの前には、前世の記憶とも合致する3種類の小麦粉が並んだ。



「いつもパスタに使われてんのがこれ。んで、パンとかピザが『強力粉』だな。ここまではパスタにできると思うぜ」


「こっち、は?」


「そりゃ『薄力粉』だよ。何にでも使えるけどパスタにゃ向かねえな。目が(こま)っけえし、(やわ)っこくてベタつくからよくこねないと、茹でる時にふやけるぞ?」



 強力粉はデュラム粉ほどではないが、比較的グルテンの含有量が多い。コシを優先するなら良いかもしれないが、うどん特有の柔らかさを出すのは難しいだろう。

 薄力粉は目が非常に細かく、グルテンの含有量が少ないのが特徴だ。ダマにならないためにふるいにかける手間と、コシを作るために多くこねる労力を考えると、ブランの言う通りパスタどころか、あらゆる麺類に不向きなのが理解できる。

 つまりケロックは、これらの中間にあたる小麦粉を求めているのだ。


(どっちでも作れなくはないけど、どうせ食べるならちゃんとしたやつが良い)


『強力粉と薄力粉を半々で混ぜれば良いと思いますが』


(仕方ないか……)



 なぜそこまでこだわるのかはケロック自身もわかっていないが、望むものはここにないようだ。


 代用品で妥協しようとしたその時である。



「そういやぁ、一応こんなのもあるぞ」



 どん。と目の前に置かれた、もう一つの袋。



「薄力粉と強力粉の間ぐらいの硬さの粉だ。ちょっとこだわったパン屋とか料理屋ぐらいしか使わない代物だから、普段は表には出してねえんだが……」


「買います」


「マジかおい」



 ブランの粉袋を掴む手にケロックの手が添えられ、その冷たさと俊敏さに戦慄した。瞳孔が開ききってる事にも気付いた彼は『本当にコイツ、のんびり屋のケロ坊? てか人間?』とか思ったらしい。

 瞳孔が開いてるのは興奮したからだし、素早い動きもゾンビらしくないからセーフなはず。たぶん。



▼テレレッテレー! ケロックは『中力粉』をゲットした!

















 ケロックが次に向かったのは、少し離れた場所にある魚屋だ。


 海から離れた土地にあるこの村では、海産物は少しお高い食品である。なので基本的には、干し魚や瓶詰めなどの保存食が並んでいる。

 しかしこの店は、独自の仕入れルートと最先端の設備が整っており、新鮮さを保つための小さい魔動力冷凍庫が設置されているため、そこそこ新鮮な魚介類も売られているのだ。



「……らっしゃい」



 細身ながら筋骨たくましい白髪の店主が、椅子に座ったまま出迎える。

 かつて漁師だったとされるムンチャゴ老人は、夏だろうが冬だろうがひんやりした店内にこうしてガニ股で座っている。ほぼ無言で背筋を伸ばし腕を組むその姿は、頑固な仕事人と言った居住まいだ。実際に誰かに怒鳴ったりすることはないが、夏場に涼を取ろうと冷やかしに来るクソ客を「魚が腐る」とだけ言って店の外に放り出す様子も確認されている。

 ケロックがゾンビとなって目覚めてから初めて顔を合わせるが、老人は先の一言以外何も話さない。もしかしたら生前に一度か二度なりとも訪ねて、顔を覚えられているのかもしれない。下手な事をしたら自分も放り出されるかもしれないと、ケロックは身震いした。


 店内に窓はなく、どうやってか温度と湿度が低めに調整されている。キロ単位はありそうなサイズのタラの塩漬け干しが吊るされ、酢と香辛料で瓶詰めされたニシンなど、所狭しと並んでいる。

 そんなケロックの目的は、ズバリ『出汁(だし)』である。


 一応この世界にも『フュメ』と呼ばれる白身魚のアラを使った出汁が存在する。野菜やハーブと一緒に弱火で煮込み続けることで、澄んだスープと淡白かつ複雑な味わいを楽しむことができる。うどんのために現環境で取れる理想的な調理法と言えるだろう。

 しかし、そんなものでは誤魔化されない。複雑なスープも良いが、シンプルあっさりな和風だしじゃなけりゃ意味がないと、ケロックは思っていた。



(さすがに海藻を食べる文化はないか。昆布出汁あったら食べてみたかった)


『食感を求めて粉を厳選するまでならまだわかります。味覚もないのにどこから湧いてくるんですかそのパッションは』


(自分でもわからないけど、勢いでいかないと消えちゃう気がするのがもったいない。今から乾物作るとかも論外)


『さすがに文化圏が違いすぎます。諦めた方がいいのでは』


(仕方ないか……)



 再び諦めそうになった瞬間、あからさまなため息を見て取った店主が声をかけてくる。



「冷やかしか、坊主。それとも何か探しとるんか」


「……ごめん、なさい」


「ごめんじゃわからん。言うてみい」


「あの、これ以外、干したさかな……」


「あるぞ」


「あるの!?」



 思わず普段出さない声量で聞き返してしまったケロックに背を向けて、奥から何かを引っ張り出してきた。

 それは大きな木の葉のような、30cmほどの魚の形をした何か。



「『エイボ』っちゅう魚を湯でさらして天日干しにしたものだ。東国生まれの弟子がたまに作って送ってくる」



 小さな口に楕円形の体。一見すると不細工なカツオのようだ。内臓などは取り除かれてるらしい。

 しかし、ケロックが驚いたのは魚の種類ではなく、その調理法だった。



(『煮干し』だ・・・・・)


『エイボとはおそらく、前世で開きなどに使われるバターフィッシュの近似種と思われます』



 思わぬところで運命の出会いを果たしたケロック。濁ったゾンビの目と、ミイラ化した魚の目が交差し、煌めく灰色の光のエフェクトが両者の間で舞っていた。いまいち感動できない光景である。



「おじいさ……ムンチャゴ、さん。これって」


「わしのつまみだし、仕入れに金をかけとらん。タダでいい」



 くすんでいるとは言え、目を輝かせる子供から金を取る気はないようだ。この店でしか売ってない貴重な食材なのに、なんと懐の広い男か。ルナリアのケツを追い続ける粉屋と鍛冶屋のダメ中年コンビとは雲泥の差である。


▼テレレッテレー! ケロックは『煮干し』をゲットした!
















「・・・・・あれ? 誰もいない」


『もう夕方ですからね。どこか出かけたのでは?』



 ケロックのゾンビな足にとって長い道のりだったのだろう。すでに日も暮れ始めていて、自宅には誰もいなかった。母娘2人でお買い物かピクニックにでも行ったのかも知れない。

 これ幸いとばかりに、ケロックは台所を占拠。今からここは悪しきゾンビ(しかも味覚なし)の実験場になるのだと、ケロックは脳内にカートゥーンなマッドサイエンティストを描く。


 冬も近い今は粉の温度が変わるため、人肌以下のぬるま湯を使用し、その一割に満たない量の塩を加えてよく溶かす。


 2倍量の中力粉に塩水を3分の2ほど加え、ダマにならないよう手早くかき混ぜる。全体的に馴染んできたら残りの塩水も入れて、生地がまとまるまでひっくり返しながらこねる。


 腕力が心もとないため、よく洗った新品のなめし革 (ファランがウキウキで買ってきたもの)に打ち粉をたくさん振って、それで生地を包み足で小刻みに踏む。平たくなったら三つ折りにし、また足で踏む。これを2〜3回繰り返す。


 湿らせたふきんと革で包み、30分ほど寝かす。また折り込み捏ねて、もう一度寝かせる。この間に煮干し出汁を取っておき、革は洗って元の場所にこっそり戻す。


 まな板に打ち粉を振り、体重をかけながら綿棒を巻きつけ、転がして伸ばす。5mmほどの均等な暑さに伸ばしたら再び打ち粉をし、折りたたんで同じ幅で切る。この間に別のお湯を沸かしておく。


 たっぷりのお湯に麺をほぐしながら入れ、弱火で10分ほど茹でる。麺が太くなり透明感が出てきたら、ザルに開けて、冷水で洗う。



『つゆはどうしますか?』


(醤油なんてないから、塩だけにしとこう。味わかんないけど、なんとなくで良いよね)



「ただいま〜……あら? 良い匂いね。もしかして、晩ごはん用意してくれたの?」



 どうぜゾンビだから死にはしないのだと、塩を一握りつかんだ瞬間、背後から母親の声が響いた。

 それに反応しケロックは振り返ったが、何やら様子がおかしい。


 玄関口でわずかに天井を見上げ、嗅ぎ慣れない香りを堪能するルナリア。その背にうずくまるのは、いつも元気なはずの妹フニランだ。

 疲れて眠っているにしては、ぐったりしすぎな気がする。よく見ると、上気した顔で薄目を開けて、こちらをじっと見ているのがわかる。

 思わず怪訝そうな顔をしていると、ルナリアがケロックの疑問に答えてくれた。



「フニちゃんたら熱出しちゃったのよ。お医者さんに見てもらったけど、ただの風邪だって。お薬飲ませたから大丈夫よ、心配しないで」



 そう説明した後、ルナリアは奥の部屋に娘を運んで行った。

 フニランは苦しさと無念さからぐずっているようで、ルナリアが必死に慰めているのが漏れ聞こえている。

 いつもケロックの後を着いて回っていたフニランが、今日に限って家で休んでたのは、極太スーパーハードなパスタの咀嚼に疲れていたからではなく、体調を崩していたからかも知れない。



『あなたと違って、生きている人間ですからね。風邪ぐらいは……どうかしましたか?』


(いや、このうどん、フニランも食べるんだよなぁ、と思って)



 うどんとは病人食にふさわしい料理である。その柔らかさにより、消化可能な糖質の割合が高く、回復するまでのエネルギー源として最適なのだ。

 味覚も嗅覚も感じないが、ルナリアの反応を見るに出汁を取ること自体は成功しているのだろう。このまま握り締めた塩をそのまま鍋にぶち込んで良いものか、本格的に悩むケロック。



『母親に味見をさせてみますか?』


(それだと結局僕が味付けをした後か、もしくは母さんに味付けをしてもらう事になる)


『ああ、彼女の昼の失態を考えると頼みにくいですね』



 なんせ、この世界で初めての和風だしなのだ。その味を知っているのは、味覚のないケロックだけである。


 じっと、鍋を見つめる。

 あんなにも欲していた、うどんという食べ物。ちゃんとしたうどんが食べれればいいと思ってたのは確かだが、ここまでこだわりを持って食材を揃えたのに、ここまで味覚が戻ることはなかった。

 しかし今彼の中で、欲する事の意味が大きく変わって来ている。



 ケロックは塩を握ってない方の手で(さじ)を掴み、澄んだ鍋の液体をすくう。

 湯気の立った薄い琥珀色の液体を、おそるおそる口に近づけ、そして________



















(・・・・・いたい)



 ぼんやりとした意識の中、フニランは自分の状態を確認する。

 寒気と火照りが同居するような感覚。頭と節々が痛み、鼻が通らず必然的に口呼吸に頼ってしまう。おかげで口の中が渇く。


 本当なら、ずっと兄のそばにいたかった。フニランが気づかない間に、“ここじゃないどこか”へ行ってしまうんじゃないかという恐怖心があった。

 それでも今みたいに動けなくなる時がある。周囲を正しく把握することが困難になる。フニランは自分の弱さを心底呪っていた。

 病院に連れてかれて、苦いおくすりを飲まされて、帰って来た時に薄ぼんやりとだが兄を見つけて、安心感と罪悪感が押し寄せてくる。



(あたまんなかぐちゃぐちゃで、どうにかなっちゃう・・・・・)



 ただでさえ霞んでいた薄暗い部屋の景色が、涙でさらにぼやけていく。胸の中が寂しさでいっぱいになる。


 そんな彼女の視界に影が割り込み、うなじのあたりにひんやりとした何かが差し込まれるのを感じた。



(つめたい・・・・・気持ち、いい・・・・・)



 優しく体を支えて起こす手の冷たさに反して、顔にふわっと温かい空気があたる。鼻が効かない今でも、ここまで近づけられたらわかる。



(いい、におい。なに? これ……)



 少しずつ覚醒していく意識を待たずに、ほどよく冷まされた何かが唇に押し当てられる。

 思わず咥えて、おぼつかない歯と舌の動きでゆっくり手繰り寄せる。昼食時の元気さはないが、それでも必死に、口の中に入れていく。


 すっ  と、わずかな歯応えで切れて、口の中を優しい弾力と豊かな香りが支配していく。生姜の刺激と、砂糖の甘み。汗をかいた体に塩味が染み渡る。

 こくりと、なめらかな喉越しを感じ取り、残った汁気も喉にしっかり流し込んで、また自分の口が催促を始める。そんな彼女を待っていたかのように、また程よい温度のそれが口づけをしてくれる。


 そんなことを夢中で繰り返すうちに、淀み、渦巻き、せめぎ合っていた胸の濁流は穏やかさを取り戻し、フニランの記憶からすっかり消え去っていた。




 甲斐甲斐しく妹の食事の世話をするケロックの様子を、ルナリアは部屋の入り口から優しく見守っていた。

 我が子たちの美しい兄妹愛で日々の疲れを癒しつつ、ルナリアは________昼間に生地を硬くしすぎて壊れてしまった製麺機を、鍛冶屋にバレずどうやって捨てるかを考えていた。





 食器の音だけが響く、静かな家族の風景の中。

 スキル【天の声】はわざと遅れて実績を読み上げるのだった。




『スキル【味覚】【嗅覚】を取得しました』




【味覚】

 死体ゆえに本来得られない能力がパッシブスキルとして発生。

 味蕾により味に反応する。ON/OFFが可能。 状態⇒完璧。やや精度が高い。


【嗅覚】

 鼻腔により匂いに反応する。ON/OFFが可能。 状態⇒完璧。

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