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二酸化炭素

作者: 晃夜

はじめまして。晃夜です。

カクヨムにて現在小説を投稿していますが、小説家になろうでも投稿を始めることにいたしました。

初投稿の短編です。拝読いただけると嬉しいです。

「ねぇ、秘密の話なんだけど」


 早朝の波打ち際。ざぱーん、ざぱーんと白い波が岩にぶつかっては、その表面を引っ掻いて名残惜しそうに海に戻っていく。岩肌は元より少し濃い色に染まり、そこに波が訪れた証拠を残しているようだった。しかしそれもいつかは乾き、消えてしまう定め。


 あぁ、海でぼーっとしていると余計なことを考えてしまうのは僕の悪い癖だ。思考を振り切り「どうしたの」と応えると、彼女は金の髪を揺らして嬉しそうに言った。


「あのね、これ、炭酸」

「うん」


 透明な瓶に詰められた、ぷくぷくと絶え間なく泡を浮かべる液体。手渡されたそれはひんやりと冷たくて、太陽にかざすときらりと光を屈折させた。


「飲むと5分間、海に潜っていられるんだって」

「へぇ」

「一緒に泳ごう?」

「いいよ」


 許諾したつもりだったが、言った後に否定とも肯定とも取れる事に気付いた。これだから日本語は難しい。顔を付き合わせてのたった3文字だって大いに誤解を招く可能性があるのに、現代人は愚かにも液晶画面で会話する。どうしたって言葉の真意なんてものは伝わらないのだから、せめて最大限誤解を招かないような努力をすべきだろう。

 たった今言葉選びを間違えた僕が言っても、説得力なんてかけらも無いのだろうけれど。

 

「えへへ、やったぁ」


 その言葉をどうやら肯定と取ったらしい彼女は、嬉しそうに笑みを浮かべた。


「一口で5分潜れるんだって。あ、でもね、飲みすぎたら人魚になっちゃうらしいから、飲むのは一口だけね。明日になったらもう効果はないから、残りは好きにしてくれていいよ」

「わかった」


 彼女の冗談を、僕は笑えなかった。


「じゃあ、それ飲んだら海に入って。息できるし、目開けても痛くないから」

「そりゃあいいや」


 コルクの栓を外し、瓶を開ける。わずかに漏れた甘い香りが、僕の鼻をくすぐった。

 ごくりと一口。じゅわりと舌に染み、ぴりりと喉を刺す。心なしか頭が冴えたような気がして、確かに今なら泳げるかも、と思った。


 どぼん。ぶくぶくぶく。


 視界を埋め尽くす泡、泡、泡。それは僕が飛び込んだ時に一緒に海に入った泡なのか、僕の口から漏れた泡なのか。きっとどちらでもあるのだろう。それにどちらであっても大差ない。含む二酸化炭素の量が少し変わるだけだ。


 海中から見上げた太陽は、ひどくピントがぼやけていた。


 どぼん。ぶくぶくぶく。


 すぐ近くに彼女も潜ってきた。そしてあっちに行こうということなのだろう、その指は南の方角を指す。泳ぎだした彼女を追いかけようと必死に手足を動かすも、体は思うように進まない。浮いたり沈んだりを繰り返しては、揺れる波に翻弄された。


 すると見かねた彼女が僕の手を引く。

 ぎゅおん、と急激に進む視界、向かい風のように頬を撫でる水流。一体四肢をどう動かしたらこんな風に自由に泳ぐことができるのだろう。やはり子供の頃から泳いでいたら、自然と身につくものなのだろうか。


『見て』と動く彼女の口。ごぱぁと天に昇っていく泡には目もくれず、視線は先程彼女が指差した南の方角へ。


『うわぁ』

 海は青色だけじゃなかった。

 赤、黄色、緑、紫。目に眩しい光彩が、てんてんと青色のキャンバスに浮かぶ。色とりどりの螺旋、時折差し込む光の筋。地上ではとてもお目にかかれないようなその光景に、綺麗だなんだと月並みな感想だけが脳裏をよぎる。


『綺麗でしょ?』とでも言うように微笑む彼女に、今度ばかりは僕も笑みを返した。


 するとふと、右腕に巻いた腕時計が目に入る。

 カチカチと動く秒針。あと15秒で5分経ってしまうようだ。実は耐水性があるかどうか心配であったが、どうやら水中でも正常に動くらしい。


 彼女に向けて五本指で『5』を表し、名残惜しく思いながら、水中から顔を出す。

 急に眩しく照りつける太陽、くっきりと鮮明に映る視界。あぁ地上ってこんなんだったっけ、と5分たらずしか離れていない故郷を懐かしく思った。


 続いて彼女も水中から顔を出す。


「楽しかった?」


 頬にべったりと貼りつく、少し濃い色の金髪。


「楽しかったよ。すっごく綺麗だった」


 僕がそう言うと満足そうに笑う彼女は、とても()()()()()いた。


「そっか、よかった。お別れの前に同じ景色を見られて」


 一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべると、じゃあねと呟いて手を振る彼女。


「......じゃあね」


 どぽん、と海に沈んでいく金髪。0.3秒遅れてびちゃあ、と海面を叩くその()()()は、どれだけ彼女が人間じみていてもやはり人間ではないことの証拠で。


 沈んだまま浮かんでこない彼女は、どうしようもなく人魚だった。


 ————————————————————


 人魚。

 謎に包まれたその存在は、いわゆる伝説や神話の中で飽きるほど語り尽くされている。

 歌声がどーたらこーたら。

 人間になろうとしてうんたらかんたら。

 まぁここで僕がしたいのは、そういう神話だなんだという話ではなくて、今現在僕が人魚についての御伽噺を書いている、という

 話である。


 それは、金色の人魚としがない人間の話。

 恋を知って恋をした、異種族の話。

 人魚の涙には大粒の二酸化炭素が含まれていて、一度だけ人間を人魚に変えられる力があって。

 自身の涙を人間に飲ませた人魚は、その人間と二度と会えなくなってしまうのだ。

 それでも、好きという気持ちはぬぐいきれなくて、諦めきれなくて。

 一度だけの逢瀬と引き換えに、人魚と人間は、その後の時間を別々に過ごした。

 彼らは、後悔していないのかって?

 いやぁ、そんなこと、人間にはわからない。

 だって人間は、何も知らないまま別れることになったのだから。きっと彼が真実を知ったのは、せいぜい数年後のことだろう。


 それでいいのだ。

 御伽噺は、少し切ないくらいが丁度いい。


「さぁーて、挿絵に海中の絵でも描きますか」


 絵を描くのは、どちらかというと不得意だ。

 それでも、下手くそなりに、あの日の光景を真っ白なキャンバスに描いてやるんだ。


 もうひと頑張り、目を覚まそうと冷蔵庫の中身を漁ると、汗をかいたサイダーが我が物顔で居座っていた。


 ごくりと一口、懐かしい味。


 炭酸の強いラムネは涙の味がした。


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