2つの月が満ちる夜に
「月が綺麗ですね」
悪戯心で声をかけると、シアンブルーの瞳が2回瞬いた。
思考を巡らせる時、ゆっくり2回まばたきをするのは、彼ーーサリエルの癖だ。どういう反応が返ってくるだろうと観察していると、こちらを見つめていた瞳がふと空を見上げる。
深い黒の夜空には、青と緑の満月がふたつ。流れる雲がネオンに照らされたように刻一刻と不思議な虹彩で光る。
こんな光景を、小百合は知らなかった。
見上げて育ったのは、高いビルに切り取られた狭い空と、人工の光と、その隙間を肩身が狭そうに通り過ぎる白い月だ。年に数度、月の美しい夜だと話題になっていたが、小百合には普段のそれと変わりがあるようには思えなかった。
突然に連れてこられた異世界は、楽しいばかりではなくて、美しいばかりでもなくて。
けれど人の顔色を伺って、小さなディスプレイで人の体験をを覗くばかりの毎日とは全く違い、生きているという実感を与えてくれた。
そしてなにより。
自分の感動をシェアしたいと思う人に出会えたのは、何にも代え難い体験だった。
こんなふうに湧き上がる感情は、あの閉じられた世界で長く生きても持てていたのだろうかと、時々考える。そして思う。
きっと私は、あの世界にまた帰ることがあっても、あなたのことばかり思い出すのだろうと。
「その言葉は」
しばらく空を見上げていたサリエルが、重々しく口を開く。
「お前の世界で重要な意味を持つものか?」
聞かれて見上げる。シアンブルーの瞳と目が合う。
数秒と耐えられずに、小百合は無理やり目を逸らした。
だって吸い込まれてしまいそうだ。
「戯言よ」
そう。戯言。
真意も文脈も知らない、聞きかじっただけのただの知識。無味乾燥な世界に疲れた人達が、綺麗なものを探し求めた末の、ニセモノのきらめき。
「俺の生まれた国では、ふたつの月が満ちる夜に、愛を誓う慣習があった」
座っていた小百合の横にサリエルが腰を下ろす。かすかに指が触れる。
ああ。
自分でけしかけたことなのに。
胸が苦しいのも、瞳に涙がにじむのも、耳が熱いのも、うまく思考が回らないのも、なんだか。
ひどく滑稽なピエロのようだ。
おそらく紅く染まっているだろう頬を、月の明かりがうまくごまかしてくれるといい。
「いつか話すよ」
言って空を見上げる。小百合は見上げられずに、街並みを見つめる。
この世界の夜に、地上の星はめったに光らない。
「そうね。いつか」
その慣習を、教えてくれるといい。
その時はきっと、私の言葉の意味もあなたに告げるから。