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夏 ~はじめてのお出かけ~

 そんな会話をした翌週の土曜日の朝。それを決行した。

 時雨は青の無地のパーカーに黒いズボンといった、シンプルな恰好で出掛けた。

 お洒落に頓着しない時雨らしい、格好と言うべきだろう。

 誰かと出掛けることなんてないし、従兄から貰ったお古で事足りている。パーカーとはなんと便利な事か。年齢は制限されているが、無地だったらいつの時代でも通じる何かがある。正しく万能。時雨の持論である。

 元々は城下町だった町に行くバスが発車される数十分前に迎えに行き、バスに乗った。バスに揺られて約一時間。目的地である、元城下町に着いた。

「ここが噂に聞く元城下町か!」

 本当に掌サイズになった陽古が時雨の肩で、キラキラした瞳で辺りをきょろきょろと見回した。

「どうだ? 初めての町は」

「大きい建物がいっぱいだ! 本で想像したのよりも大きいぞ! 車とやらもいっぱい通っている…色々とあるな!」

 陽古は、それはもうはしゃいで肩から落ちそうで時雨はそっと落ちないように手を添える。

 まるで子供みたいだ、と溜息をつきながらも優しい目をしていた。

 そんな時ふと、昨日の事を思い出す。

『あ、時雨じゃん』

 帰宅途中に偶然会った同い年の男。小学、中学と一緒だったが高校は別になった、腐れ縁で不覚にも幼馴染という間柄の武田(たけだ)(すぐる)(通称・ゆう)だった。顔が微妙に縦に細くて、目も薄く横に伸びている。いつも時雨は、キツネ顔ってこれのことなんだな、と思いながら見ていたものだ。

 中学までは嫌でもほぼ毎日顔を合わせていたが、高校が別々になった今では全く顔を合わせていなかった。実家でも祖母の家でも家は近いのに、よく擦れ違ったりもしないものだ。

『久しぶりだなぁ! 元気だったか?』

『さっきまで元気だったが、お前の顔を見た途端に元気パラメーターが急降下した』

『お前、相変わらずだな』

 時雨の言葉に不機嫌を顕すこともなく、普通に笑った。

 時雨は昔、優が嫌いだった。理由は事あるごとにからかってきて、雪玉を投げられたり、様々な嫌がらせを受けられて毛嫌いしたものだ。今ではそれほどでもないが、昔は嫌いだったために今でも毒づいてしまう。

 優はじっと時雨を見据えた。その視線が居心地悪くて、たじろいだ。

『な、なんだ。そんなじろじろと』

『…いや、前言撤回だなと思って』

『はぁ?』

『相変わらずじゃなくてお前、変わったな』

『どういう意味だ?』

『雰囲気が柔らかくなったっていうの?』

『さっきお前に対して吐いた言葉で、どうしてそういう解釈することができるんだ。とうとう頭が馬鹿に……いや、それは元からか。すまん』

『ほら、変わっている』

 胡乱げな目で首を捻らせると、優は可笑しそうに口元を歪んだ。

『誤魔化そうとしている時点で、お前は変わっているぜ? 俺の知っているお前は、反論せずに見下した目で俺を見ていたはずだ!』

 そんなに自信満々に言われても、反応に困る。

 その後、一言二言話しただけで別れた。それから、優が言っていたことが頭から離れない。

 たしかに変わったと自分でも思う。けど、それを他人に悟られたくなかった。しかもよりによって、あの優に。

「しかし、ばす、というものか。不思議な乗り物だったな」

 陽古の声に我に返った時雨は、視線を陽古に向ける。

「上に乗るものと思ったが、まさか中が空洞になっていてそこに乗るとは…すごい発想だな」

「おれにはお前の発想がすごいと思う」

「何故だ?」

「何故って言われてもな。それよりも、色々と見て回るぞ。まず何処に行きたい?」

「城! 城というものが見てみたい!」

「あそこに小さく見えるのが城だが?」

 山の上に鎮座する天守閣を指差すと、何を言うか! と陽古は珍しく息を荒げた。

「近くまで見に行かないと、見たとは言わんぞ!」

「はいはい。それじゃ、行くか。ぐれくれもおれの肩から落ちないように」

「分かった! 時雨、行くぞ!」

 ぐいぐいと肩の布を引っ張る陽古。本当にこれじゃ、親の手を引いて早く早くと急かす小さい子供じゃないか。むしろ、そのものだ。

(ということは、おれが親? いや、保護者か?)

 そんなことを思いながら、耳元で喚く小さな神を物理的に黙らせた。




 城、博物館、寂れた商店街…どこへ行っても、陽古は子供のようにはしゃいでは興味津々に、あれは何だ、としきりに訊いてきた。時雨は知っている限り、それに答えた。

 そしてあっという間に昼になる。朝から歩き回っていたので、腹の虫が鳴った。陽古に飲食店に寄る旨を伝え、おそらく世界で一番有名であろう、ハンバーガー専門のチェーン店に入りお持ち帰りで注文する。

店内でもよかったが昼時だから非常に混んでいるし、傍から見れば時雨は一人だ。混んでいる中、連れも多い中で食べるのは嫌だった。

 陽古はここでも興味深そうに店内を見回していた。一番気になったのは、厨房の方のようだ。せわしくポテトを揚げたり、飲み物をカップに入れたり…そんな働いている人間を怪訝そうに見ていた。

 忘れがちになるが、陽古は神だ。前に陽古が言っていたのだが、神はそこでいるだけでいい。高天原にいる神はそうでもないらしいのだが、とりあえず陽古のような微力な神には働く必要はない、と。信仰心を集めようと時に人を手助けするだけだと、そう言っていた。だから、こんな風にせっせと働く姿がとても不思議で、物珍しいのだろう。

 時雨はチーズバーガーのセットを頼んだ、ピクルス抜きで。会計を済ませて大体五分後に受け取って外に出た。

 店からそれほど離れていない寂れた公園に入り、日陰に入っているベンチに腰を下ろして、チーズバーガーを取り出す。

「時雨、それはなんだ?」

「チーズバーガーっていう食べ物」

「食べ物?」

 物欲しそうにチーズバーガーを見つめる陽古に、さてどうしたものか、と悩む。

 与えるのはいいのだが、今の陽古は掌サイズ。チーズバーガーを与えたとして、パンの所しか口が届かない。ポテトも顔と手が油塗れになりそうだ。

 時雨は、そういえば、と別の袋の中身を取り出す。

 それは商店街のケーキ屋で買ったクッキーだった。雪乃へのお土産として購入したものだったが、また別の物を買えばいいだろう。

「バーガーは後が面倒だから、こっちはどうだ? クッキーっていうんだが」

「それはさっき買った物か?」

「ああ。食べるか?」

「うむ!」

 元気の良い返事だ。

 時雨は袋から一つだけクッキーを取り出して、陽古に渡す。陽古はそれを両手で持った。まるでハムスターがひまわりの種を持っているみたいだな、と思わず吹きそうになる。

「時雨! くっきーとは美味しいな!」

 弾んだ声音でクッキーを頬張る陽古。お気に召したようだ。

 よかったな、と返してチーズバーガーを食べる。

 食べ終わって陽古を見てみると、四枚目のクッキーを手に取っていたところだった。

「ゴミ捨てに行くから、少しここにいてくれ」

「ふぁかった」

 返事したのを確認して、腰を上げる。

 近くのゴミ捨て場で、燃えるゴミ、プラスチックと分類して戻ると、時雨が座っていた場所に小さな影が座っていた。

「猫…?」

 恰幅のいい黒ブチの猫だ。こちらに尻を向けて、ゆるやかに尻尾を振りながら何かを弄っているようだった。

「まさか…」

 そのまさかだった。

 猫がおもむろに時雨の方に顔を向く。

 不細工な猫相だった。

 それよりも、口元に咥えられている物体に目を瞠る。

 だらーんとされるが儘になっている、陽古だった。

「……」

 しばらく見つめ合った後、猫は陽古を咥えたままベンチに降りて、軽やかなステップで駆けて行った。

「待てえええええええええ!!」

 声を張り上げながら、時雨は猫を追いかけた。

「それは、食べ物じゃ、ないぞっ!!」

 叫んでも猫が止まってくれることもなく、猫は公園に備え付けられている駐車場を抜け、建物と建物の間…人一人が通るのがやっとの薄暗い路地裏へ、猫は走っても追い付けない時雨を嘲笑っているかのように掻い潜っていく。

(この先は…たしか、ぼろい住宅地だったな)

 この辺りの地理を思い出して、思わず舌打ちをする。

 先程の猫は太っていたが、野良の顔をしていた。野良は古い建物の軒の下に住むことがある。猫屋敷と呼ばれていた近所の古い家を思い出す。

 ボロ屋が立て並ぶあそこは、野良猫が住みやすい場所と言えよう。実際に猫がたくさんいる場所として、知れ渡っている地域なのだ。

(無事でいろよ、陽古!)

 一応神だが、今はあんなに小さいのだ。食べられる可能性だってなくはない。

 路地裏に続く道を通り抜けて、辺りを見回す。

 古い家が続く道。数匹の猫はいるものの、陽古を攫って行った猫の姿はない。

「くそっ」

 逃してしまった。

(いや、あいつはこの辺に住んでいるはず…見つけなくちゃ)

 陽古が食べられる前に。絶対に。

 とりあえず、右側から探してみることにした。

 コンクリートじゃない、土の道を蹴る。

 道は一本道だった。陽古の名前を呼びながら、時雨は息を切らしながら走る。ちゃんと辺りを確認しながら。

 名を呼びながら探すのは気が引けたが、こんなに猫が多いのだ。聞いても近所の人は、猫の名前だと思ってくれるだろう。そう信じたい。

 道が二股に別れている。右側を曲がると、道の真ん中で後ろを向けて蹲っている人影が目に入った。

 ベリーショートの黒髪に引き締まっている身体。部活帰りだろう。時雨が通っている高校の制服を纏っている男。その後ろ姿に見覚えがあった。

(善家(ぜんけ)…?)

 善家仁(じん)。時雨のクラスメイトで野球部に所属している。大らかで人当りもよく、いつも笑顔を浮かべている、クラスの人気者。時雨とは真反対の性格の持ち主。だが…。

「あ」

 善家の足にあの猫が擦り寄っているのが見えた。

 見つけた。だが、口に陽古を咥えていない。

(どっかに捨てたか…?)

 善家が振り返る。時雨を見ると、一瞬目を丸くした後、にかっと口元を吊り上げた。

「時雨じゃん。どうしてここに?」

 善家は時雨の事を苗字ではなくて、名前で呼ぶ。高校の時からの知り合いだけであって、そこまで親しくない。それでも、彼が時雨を名前で呼ぶには理由がある。

 それは時雨の苗字が法華津で、善家が野球部に入っているからだ。法華津…ほけつ…補欠。呼ぶのに躊躇う他、縁起悪そうだから、と入学当時、善家は時雨に名前呼びの許可を請うた。それに便乗して、他の運動部の人からも名前で呼ばれている。

 別に自分自身は運動部じゃないから気にしないのに、と思ったが、運動部の奴らは違うのだろうと名前を呼ぶことを許可したのだ。

「おれは…」

 立ち上がって振り返った善家が摘まんでいる、物体に絶句する。

 力なく項垂れている、陽古だった。

「陽古!」

 思わず叫んで、はっと口を押える。

 そして疑問が過る。

(善家はなんで陽古を摘まんでいるんだ…?)

 陽古の姿は視えないはず。それなのに、摘まむことなんて有り得ない。

(まさか、視えているのか…?)

 思考を巡らせる中、善家は摘まんでいる陽古を持ち上げて、首を傾げる。

「ん? ひこって、コイツの事か? ブーヤ…あ、この猫のことな。ブーヤが咥えているし、見た所人形っぽかったから取り上げたんだけど…これ、お前の?」

「おれのというか何て言うか…」

 視えている。善家は陽古が視えている。

「この小人、ひこっていうのな~。ていうか、小人って本当にいるのな」

「あー…とりあえず、返してくれないか。ぐったりしているし」

「おっ。そういえば苦しいよな」

 善家から陽古を受け取り、そっと口を寄せて小声で話しかける。

「大丈夫か…?」

「た、たべられるかとおもった…」

「ごめん。おれが目を離したばかり」

「いいよ。貴重な経験をしたと思えば、安いものだ」

「…ほんと、ごめん」

 口を離して、善家と向き直る。善家はあっけらかんと笑う。

「時雨って意外と、交友関係広いのな! まさか小人と友達だったなんて、思わなかったわ!」

 小人じゃなくて神様だけど。

 言えずはずもなく、口籠る。

「あのさ、善家。コイツの事は、他の奴には言わないでくれ」

「え? 言う必要あるのか?」

 虚を突かれたような眼差しで時雨と陽古を交互見る善家に、ならいい、と時雨は応えた。

「じゃ、俺行くな! また学校でな」

「ああ。保護してくれて、ありがとう」

「おう、どういたしまして!」

 爽やかな笑顔を残し、その場を去っていく善家の背中を見ながら、陽古は呟く。

「なかなかの好青年だな。性格も良さそうだ」

「あれのどこが」

 けっと反吐を出す時雨に、陽古は怪訝な視線を向ける。

「なんだ。自分には持っていないものを、持っている僻みっていうやつか?」

「違う。むしろ似すぎるんだよ、おれとあいつ」

「何処がだ?」

 ますます不思議そうな顔をする陽古。時雨は吐き捨てるように述べた。

「人を拒むところがだ。おれは明らか様に避けているが、あいつは違う。あいつは笑顔で人を拒絶するんだよ」

 クラスメイトに囲まれ、笑顔を振りまいて応対する善家。

 それを見て、吐き気を覚えた。

 一見見れば、爽やかな青年だ。そう、一見見れば。

 時雨は気付いていた。張り付いている笑顔を。目を細める時、一瞬垣間見えた嘲笑を。

 善家は上手く繕っているのだ、笑顔の仮面を張り付けて本来の自分を隠している。

 人を集めながら、人を笑顔と言葉でやんわりと拒絶する。

「おれより性質悪いぞ、あれは」

 あれがどうして人気者になるのか、不思議でたまらない。

 そう吐き捨てて、時雨は踵を返す。

 そして、一瞬だけだが陽古は見た。

 こっちを横目で見つめ、自嘲を込めた笑みを浮かべる、善家の顔を。

 確かに、見たのだ。


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