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夏 ~約束~

 それからというものの、時雨は陽古の許へ毎日のように通い続けた。

 初めは気まぐれに来る予定だったが、バスを降りると気付けばこの寂びた神社に足を運んでいた。どうしても用事がある時は、自分の本を貸してあげていた。神が使っている文字は人間と違うと言っていた。だから読めない所は、時雨が訪れた時に訊く、という流れがいつの間にか出来ていた。

人と関わろうとしなかったのにまさか神と関わろうとしているなんて、自分の変化に戸惑っていたが、それにも慣れてきた。

 陽古は不思議だ。時雨はいつもそう思う。

 今まで話が合う人なんていなかった。話が続かない事はいつもの事で。でも陽古は違った。話が合う、というほどではない。意気投合だなんてもっての外だ。なんていうのだろう。噛み合っていないけど、噛み合っている、という矛盾が見事に調和しているというか。パズルで例えるのなら、ピースは合っていないのに、絵柄が合っているような感じだ。不可解なそれは、不思議と居心地が良い。

 二人は暗くなる前まで、色々な話をした。時雨は今日あった出来事を話して、陽古はそれを興味津々に聞いては疑問に思ったことを口にして、それを時雨が答える。陽古も時雨に色々な事を話してくれた。例えば遠い昔の事、神の事。そして、時雨は陽古の様々な事を知った。

 陽古は神代に生まれた神。それなのに服が狩衣なのは、平安時代に供物として捧げられた中に狩衣があって気に入ったから着ているということ。どうして正装のほうじゃないのか謎である。それから、神話の中には存在しないこと。この神社の祭神だったこと。そして。

「村から外に出たことがないのか?」

「むしろ、ここが町の一部になっていたことに驚いた」

 陽古はそう言って肩をすくめる。

「いやいや、村に降りたら気付くだろ。町って書いてあるし」

「もう数年も降りていない」

「数年っていうレベルじゃないぞ。少なくても十年単位だ」

 この村が町になってから時雨が生まれるずっと前だから、十七年以上は経っている。さらに最近合併して町の名前も変わって少し騒いでいた。これで町だったことも知らないとは、本当にしばらく神社から降りていない証拠だ。もっとも村だった頃の名残で村の時の名前で呼んでいる人が大半だが。

「なんと…! そんなに経っていたのか!」

「ショック受けてどうする。話は戻って、本当に村から出た事ないのか?」

「ない。そこまでの体力がない」

「神様なのにか?」

「言っただろう? 神の端くれって。一応神なのだが、力が他の神々に比べて弱いし、最近は信仰心がないから、力が出ない」

「信仰心? それって関係あるのか?」

「大有りだ。信仰心によって、神の力…神通力が研ぎ澄まされ強くなる。神にとって人の信じる心と祈りが力になり、それで命を繋いでいるのだ」

「信仰を集まれば集まるほど、信仰対象の神様は強くなるってことか」

「そういうことだ。だから、私は大した力もない」

「まぁ、こんだけ寂れていればな」

 時雨はぐるりと神社を見渡す。

 春が過ぎ出会った頃は裸だった桜の木は、既に葉桜となっていた。季節は夏。山の中だから、蝉の声が煩いと思っていた神社だったが、意外にも蝉の声はあまりしない。二人は風通りの良く影になっている本殿の中で語り合っていた。本殿の中には、この広間を隔たれている木の格子の扉があった。おそらく神座なのだろう。そして天井に近い壁一面に大分昔…時雨が生まれたよりもずっと昔…の作品と思われる絵が数点ある。

石橋…なんとか合戦(文字が掠れていて読めなかった)の様子が描かれた物、涼しげで中立的な顔立ちをした人物と鬼のような形相をした中腰の男が対立している絵などといった絵は、木の板に描かれた。かつては、色彩豊かだったということは分かるのがいかんせん。現在では黒ずんでおり、一部だけだが欠けているところも目立っている。

 それでも立派な絵だな、と思う。もしかしたら歴史的価値があるのではないかと思うくらいに。だが、時雨にそれを知る術はない。専門的な知識は持ち合わせていないからだ。

 その中でただ一点だけ、「伊勢踊り」と呼ばれる歌の詞が書かれている物があった。昔はここでその伊勢踊りとやらを踊っていたんだろうな。そう思ったら、哀れにも似た寂念が胸に広がった。

「一回だけでいいから見てみたいと思うが、どうすればいいのか…」

「バスに乗ったらどうだ? 便は少ないけどいつも人少ないし、そこまで体力使わなくていいし、お前視えないからタダで乗れる」

「ばす…? ばすとはなんだ?」

「車の大きいバージョン」

「くるま…?」

「……生き物じゃない乗り物」

「なんと! 最近は生き物じゃない乗り物があるのか!?」

「お前、本当にどれくらい降りていないんだ!? 日本で車が普及してどれくらい経ったと!」

 声を張り上げると、陽古はきょとんと首を傾げた。

「最近じゃないのか?」

「お前とっては最近かもしれないけど、おれにとっては昔だ!」

「そうか、最近なら知らないか」

「何十年も前のことだからな」

「だったら、私は何十年も降りていないということか。ふむ、なるほど」

「一人で納得するなよ…」

 時雨は脱力する。駄目だ、まともに相手していたら、何かが減ってしまう。話を戻さないと。

「とりあえず、バスに乗って行ってみたらどうだ?」

「私一人だと絶対に迷ってしまう。それに力がもたないと思う。小さくなったら別だが、小さいと何かと不便だ」

「小さくなれるのか?」

「掌に乗れるくらいには」

「それは小さいな」

 どういう仕組みなのか知りたいが、きっと理解出来ない。たまに彼の説明は理解不能のものがあって、おそらく仕組みのことはそれになる。今まで話してきた経験から成しえる直感である。

「そんなに小さくなるなら、俺がお前を乗っけて案内してあげようか?」

「いいのか?」

「どうせ暇だし。行ってみたいんだろ?」

「時雨…! ありがとう!」

 いきなり力強く抱き締められる。

普段ならすぐ切り離すところだが、時雨はそれを受容した。

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