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冬 ~怪しいので逃げてきました~

 時雨が住む祖母の家に着いたのは、それから五分経った頃だ。いや、五分以上経っていたが、十分は経っていなかった。

 息切れが激しい彼を出迎えた祖母、雪乃(ゆきの)は心配した風でもなく「なんか見たい番組でもあったんかい?」と、あっけらかんと訊いてきたが、時雨は本当の事を言わず適当に相槌を打った。説明をするのが、非常に面倒くさかったのだ。

 時雨の祖母の家は、築八十年以上で二階建ての木造建築。見た目は大きいが、居住空間が家の半分しかない。その理由は、半分が土間だからだ。よくこの狭い空間で曾祖父母、それから祖父母、そして母を含めた兄妹五人が住めたものだ。

「時雨は、憲さんの若い頃によお似とるわぁ」

 一緒に夕食を食べていた雪乃が不意にそう零した。いつもの陽気な声色ではなく、回顧して染み染みと呟いたようで、それに興味を抱いた時雨が顔を上げる。

 時雨の祖父は、時雨が小学三年生の時に肝臓癌で亡くなった。遺影のおかげでまだ面影を覚えている程度で。祖父との思い出は薄れてしまい、文庫本に例えると十ページにも満たない。そんな祖父の話、そして珍しい祖母の様子と相まって興味を引かれたのだ。

「じいちゃんに?」

「そうそう。あの頃はいかにも男! ごつくて逞しい男がモテてたんやけどね、爺さんはそりゃあ、線が細くてきゃ…筋肉も程々やった。どちらかと言うと綺麗な感じやったねぇ。今の子にすごくモテてたやろうなぁ」

 華奢と言い掛けたな。時雨はそう確信したが細かいことを言ったら、大雑把な祖母には耳煩いだろうと言及はしなかった。

「まぁ、そんでも女の子からよおラブレター貰っとったな。よお、わしゃのような平凡な女と結婚した事やねえ。あん時は、見合い結婚が主やったけど。それで、時雨は」

「言っとくけど、モテないから。ラブレターなんて貰った事も、告白されたこともないし」

 雪乃が何訊こうとしたのか察知し、言葉を遮って答えると雪乃は「そうかそうか」と、素気なく頷いてテレビに集中した。ただ単に聞いただけか。予想通りの展開に、時雨は小さく息を吐く。雪乃はいつもこうだ。さばさばしている、と言うべきか。孫の話に興味が全くないとは言わないが、必要以上に…否、必要であってもあまり追究しようとはしない。馬鹿にするわけでもなく、小言を言うわけでもない。時雨はそんな祖母の一面に苛立つわけでもなく、むしろ好感が持てた。説明をするのが面倒くさい時雨にとっては、ありがたく気楽だった。

「そういえばさ」

「なんや?」

「ばあちゃん、桜の塩漬けって知っている?」

「知っとるけど、この辺にはないね」

「そうなの?」

「ここら辺には、食用の桜なんてないんよ。大体ここら辺は山桜やね。ここら辺の桜の色、薄いやろ? ああいうのは、もっと色濃い桜とちゃうんか? よう知らんけど、自分で調べとき。わしゃはお茶にしたりしたらええと思うけど、この辺には売ってへんからなぁ」

 その後、テレビを観ながら夕食を食べ終え風呂も済まして、時雨は自分の部屋になっている二階に上がった。対して明るくはない蛍光灯を付けて、柔らかい畳の上に腰を下ろす。いや、畳の下の床が柔らかくなっているのかもしれない。歩くたびにギィギィと不吉な音を鳴らしているし、この家は傾いているからそうなっていても不思議ではないのかもしれない。大きな地震が来たら崩壊するんだろうな、と呑気に考えた。

 寝転がって天井を仰ぐ。茶色い天井は、この家の古さを物語っているように思えた。

(それにしても、あの人…不気味な感じはしなかったけど、不思議な感じだったな。あんな人、初めてだ)

 時雨は夕方、古びた神社で会った青年の事を反芻する。

 今に思っても、綺麗というか、整った顔をしていた。ああいうのをイケメンと呼ぶのだろう。イケメンの定義は分からないが、多分そうだ。

 優しげで儚そうな人だった。垂れた目に左目の下にあった泣き黒子。指通りが良さそうな赤茶色の髪。そして風に揺れる狩衣の裾。

 何処の人、だろうか。この辺りの人ではなさそうだが、余所の人がこの村に来るなんて滅多にないと思う。

 近所に団地があって、そこにはよく小さい子供を持っている夫婦が出入りするらしい。だがあの人は、妻子持ちだとは到底思えない

 だったら、男一人で引っ越ししてきた…それはない。この辺で単身赴任する職場と言えば小学校教師くらいしかない。ここは田舎。あんな容姿の男が引っ越してきたのであれば、一気に噂は村全体に広がる。

なら高齢になった親の面倒を見るために帰ってきたのか。それもすぐに情報が行き渡るはずだ。

何せ町が発行している小冊子に「先週亡くなられた人」という項目があるくらいだし、何も変哲もない平凡な家庭を紹介したりするので、情報は筒抜けだったりする。自分と違ってもう約六十年この村に住んでいる祖母は、近所はもちろんの事、村全体に知り合いがいるのでそれ以上の細かい情報は持っている。その祖母からそういう情報を聞いた事がないので、最近引っ越ししてきたという線はほぼない。

 時雨はハッと我に返って、慌てて頭を振って青年の残像を払いのけた。

 止めだ。あんな変わった人のことは忘れよう。自分の事を棚に上げていると自覚しているが、あれは自分とは系統が違う変わった人だ。大体、もう会わないかもしれないのに、あの人のペースに自分が乱されるなんて、滑稽すぎて笑えない。

(そうだ、本を読もう)

 忘れるには、他の事に集中するのが一番だ。そうだ、今日買った本があるじゃないか。シリーズ第二弾目の。そうだ、あれを読もう。

(そういえば、本が入った袋…どこに置いたっけ…)

 持って上がった荷物の中に無かった。なら、玄関に?

「時雨~! お風呂あがったぞー」

 下の階から雪乃の甲高い声がした。階段から顔を覗きこむ。

「ばあちゃん! 本屋の袋、見なかった?」

「い~や! 本、買ったんかー?」

 本を買った事自体知らないとは。帰宅した直後、一旦荷物を雪乃に預けたから、知らないというのは変だ。と、いうことは。

(走っている時に落とした!?)

 きっと落としても、交番に届けられず見つけた人が濡れない場所や踏まれない所に少し移動(他の所は知らないが、ここら辺は大体そうだ)するだろうが、万が一ということがある。

 窓を一瞥する。外はすっかり日が沈んで闇が広がっている。田舎といえど、夜中に一人で外に出るのは、さすがの雪乃も許さないだろう。いや、田舎だからこそ気を付けなければならないのかもしれない。昨日、近くで猪の声が聞こえたのだ。猪に遭遇してしまうかもしれない。今日は諦めた方が良さそうだ。

「…風呂行くついでに、念の為確かめよう…」

 家の中にあったらいいけど、と時雨は嘆息した。

 結局、家の中にもなく、雨が降りませんように、と願いながら就寝したのだった。


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