春 ~将来について~
ひらり、と桜の花びらが窓から舞って、時雨の机の上に落ちた。
それを摘まんで、感慨深く眺める。
(そういえば、陽古と出会ってからまだ一年ちょっとか)
昨年の冬…あの頃は確か一、二月だった。その頃に初めて彼と会ったのだ。時が流れるのは早い。彼とは数年前からの付き合いのように思えるのが、すごく不思議だ。
「法華津君、プリント」
前の席の女子に声を掛けられて、我に返る。
そうだ。今は授業中だった。女子に謝ってプリントを手に取る。時雨は一番後ろの席なので、後ろに回す必要はなくプリントの内容を見る。
それは進路についてのプリントだった。進学するか就職するか、どちらかを選べ、というものだ。
「遅くても春休み入る直前に提出すること。もう決まっている奴は、授業が終わった後に提出してくれ」
担任が気怠げに呟いて、進路について説明をする。
(進路、か)
春休みを越えたら、三年生になる。三年になれば就職組と進学組にクラスが分かれる。三年になって終盤の時期でも変更は効くが、やはり有利がある。
(おれはどうしようか)
地元を離れるつもりはない。元城下町に大学があるが、女子大学だ。進学するというなら、地元を離れるしかない。なら、就職しかない。
(進学っていっても、やりたいことないし)
時雨には将来の夢なんてなかった。それは物心着いた頃からで、幼稚園の頃に書くように言われた将来の夢には「職人さんになりたいです」と適当に書いた。何の職人なのか、その後先生に質問された時はとても面倒臭いと思ったものだ。
もういいや今書こう、と就職のところに丸を付ける。
なんやかんだで授業も終わり、放課後になった。紙を先生に提出し、席に戻る。さて、今日は何を持って行こうと考えると。
「時雨~」
突如、目の前に現れた善家に思わず声を上げて、椅子を下げる。
「あ、ごめんな~。びっくりさせて」
「本当にな…」
善家は前の席の椅子に座ると、相変わらず爽やか笑顔で言葉を紡いだ。
「さっき、先生に進路の紙出したみたいだけど、何に丸点けた?」
「就職。お前は?」
「俺も就職。俺の頭で進学は無理だからな~」
「スポーツ推薦でいけるんじゃないか?」
野球部ではない時雨でも、善家の評判は聞いたことがある。バットを握ったら百発百中ホームランを打つ、他校でも『ホームラン王仁』と呼ばれ恐れられているという。実際に見た事はないが、運動神経は物凄く良いことは知っているので納得出来た。
聞くと、善家は一瞬だけ真顔になってすぐにいつもの爽やかな笑みを貼りつける。
「そうだけどな~。俺はスポーツよりも、家業を継ぎたいから」
「家業?」
「俺んち、工務店やっているんだ。だから大工になる予定」
「へえ。大工って学校とか通わなくていいんだ」
「必須の資格はないんだな~。自分の腕を示す資格は持つべきだけど、それ国家技能検定なんだよ。親父も一級持っている」
「国家ってことは難しいんだな」
「難しいぞ~。一級なんか実務経験七年いるし、最近は二級建築士とか二級建築施工管理技師の資格持っていないと、仕事が受注できない事があるし。別にそれがなくても大丈夫なんだけど、ないと経営が難しくなるし大工としても取ったほうが良いんだよな」
「大変だな…」
「親父の手伝いはしているんだけど、それだけじゃ実務経験にはならないだよな~。多分」
「それでもやりたいって思う事は凄いと思うぞ。野球はどうするんだ?」
「あ~…」
善家は言葉を濁しながら、周りを見渡す。そして背中を丸めて、時雨の机に両腕をつくと、声を潜めて告白した。
「野球自体は実はそれほど執着はないんだよなぁ。本気になれない」
「小学生からやっていると聞いた事あるけど?」
「ただ単に、バット振るのが好きなんだ。その証拠にキャッチとか全然ダメなのな~」
「なるほど。かっとばす専門か」
「そうそう! ところで、時雨はどこに就職する予定なんだ?」
「特に決めていないが…地元で接客業以外のところ、かな」
「かなり限定されるのな~」
「でも、ばあちゃんとか心配だから」
「時雨ってばあちゃんっ子?」
「それほどでもない。それで、本当は何の用だ?」
こんな他愛もない話を聞きに来るほど親しくないし、善家も柄ではないはずだ。
善家は目を丸くした後、察しがいいのなぁ、とにかっと笑った。
「時雨って、好きな奴いないのか?」
「…………は?」
あまりにも唐突な質問に、素っ頓狂な声を出す。
「だから、好きな子いないのかって」
「待て待て! どうして、いきなりそんな話を振ってくる!?」
「時雨のことが好きな女子がいてなー。その子に聞いて来てって頼まれたんだ」
時雨はぽかんとした後、半眼で善家を見やる。
「…その子、趣味悪いな」
「それだけか? 普通、そこは照れまくった挙句、思わず暴言を吐いてしまうものかと」
「あいにく、そんな青春染みた反応はしない」
一般的に言うと自分は思春期に突入している歳だが、傍から見るだけで自分は傍観してきた。興味を抱く事もなく、ただ見ているだけ。そこに自分が加わるとは思っていなかった。
「枯れているのな~。で、いるのか?」
「逆に聞くけど、いるように見えるか?」
呆れたようにそう訊きかえしたが、善家は時雨にとって予想外の言葉で返してきた。
「いないって答えるだろうなぁ。昔なら」
「は?」
「時雨は意外かもしれないけど、俺らってよく似ているんだよな」
それは、時雨自身もそう思っていたことだ。時雨は黙って続きを聞く。
「最初会った時、なんていうの? こう、びびっとテレパシーが来たんだよな。あ、こいつ俺と同族だって。だからと言って、親しくなるつもりはなかったし、お前だってそうだった。そういう性質なんだよな、俺らって」
踏み込ませず、踏み込まない。他人じゃなくても、友人でも知人でもない。テリトリーから出ない、テリトリーに入らせない。それが時雨…否、時雨と善家だった。
「でも最近は、同族じゃなくて遠くなったんだよなぁ。緩んでいるというか、空気が柔らかくなったというか。だから時雨の事が好きになった子は、気になったんじゃねぇの? 知らねぇけど。で、どうなんだ?」
空気が柔らかくなった。以前、同じことを言われたのを時雨は思い出す。そんなに変わったのだろうか。自覚なんてなかった。
答えようとして、口籠った自分に時雨は驚愕する。
何故? したことないから、否って答えるべきなのに。
頭を振って、時雨は別の回答を出した。
「そもそも、恋したことないから判断基準が分からない」
「小説、よく読んでけど、恋愛要素はないのか?」
「あるけど…あれが恋だったら、したこともないな」
「分かった。そう伝えとくな」
「あ、善家」
「ん?」
「空気が柔らかくなったとか、同族とか言っていたけど」
言うか迷ったが、まあいいか、と口にする。
「お前も最近、変わったぞ」
「そ、そうか?」
「なんとなくだけどな」
「そうか…うん」
善家は複雑そうな顔をして、立ち上がって去って行った。
それを横目で見て、視界から消えると息を吐き捨てる。
(なんて、嘘だけどな)
最近変わったのは嘘ではない。なんとなく、というのは嘘というだけで。
(以前のお前なら、自分の事を自分から話すわけがない)
別に自分は善家の就職先を訊いたわけではない。話の流れ、だと他人は言うだろうがたとえ流れだろうが善家は上手く自分の事を話すのを躱す。上辺上、ある程度相手に対して質問するが必要最低限の情報を聞き出さないし、自分の情報もあまり相手に漏らそうとしない。あまり会話を交わさないとしても分かるのは、互いの性質が似ていると認識しているからである。
(相変わらず、陽古のことは何も言わずだし)
町で偶然会った日から大分経った。だが、善家は陽古のことを訊いてこない。それに安堵する。もし、関係性を問われたら何て答えるのか、分からない。
(訊いたら、おれのテリトリーに入ってしまうからな…それも当たり前か)
窓の下のグランドを見下ろす。今は昼休み。グランドには人影は見当たらなかった。
時雨は考える。
恋、と聞いて、思い浮かんだのは何故か陽古だった。
陽古に恋? まさか。小説に書いてあった比喩とは似て非なるものだから、違うだろう。
友情? 友人など作ったことないから、友情というのはどういうものか分からない。
(でも、一番近い関係といえば、それなんだよな)
だが厳密に言えば違う。知人を通り越して親しいが、友情とはベクトルが違う。
(おれは、陽古のことどう思っているんだ…?)
友情とも恋とも違う、この穏やかでゆったりとした感情は何だろう。例えるのなら、秋の日差しみたいな、この感情は。
時雨は窓越しで、空を見上げる。
澄み切って眩い青空には、ほわほわした雲が気持ち良さそうに泳いでいた。




