秋 ~家族~
体育祭も終わり残暑が通り過ぎて、空気に冷気を孕み始めた頃から陽古は体調を崩すようになった。
顔色が悪く、社の中で横たわっている姿を見る度、時雨は心苦しくなる。それでも、時雨が来たときには、目元を和ませて迎えてくれるのだから、余計遣る瀬無い気持ちになる。
来ない方がゆっくり静養できるのではないか、と言った事もある。だが陽古はゆるゆると首を横に振った。
『時雨が来てくれたほうが、体調が良くなる』
そう言われると、何も返せなかった。
陽古曰く、この季節になると体調が崩れてしまうのだ、とのこと。
神様も人間と同じ時期に体調を崩すんだな、とからかい混じりに言いたかったが出来なかった。あの言葉が、頭にこびりついていたから。
『命在るもの、いつかは必ず死ぬ。神とて例外ではないよ』
一緒に町に行った帰りに、陽古が呟いた言葉。
あれ以来、その言葉が事あるごとに頭の中で、反芻するようになった。
神は死ぬ。陽古も死ぬ。その事実が時雨の心に重く圧し掛かり響く。
もし、陽古が死んだら?
考えたくなかった。けど、陽古の死が頭を占める。
陽古はそんな時雨の頭を撫でて、弱々しく笑う。
「大丈夫だ。私はまだ逝かんよ。大分生きてきたが、天命までまだある」
そう言ってくれているのに、その顔があまりにも儚くて。
とても信じられそうになかったけど、信じるしかなくて、何も気づかない振りをした。
「なあ、時雨。家族とはどういうものなのだ?」
「陽古はいないのか?」
横たわっている陽古からの問いに訊ね返すと、陽古は苦笑交じりに応えた。
「いる事はいるが…私は出来損ないだからと捨てられたから、いないのも同然、だな」
「出来損ない…?」
「私は人でいうところの長男だったが、力が微力で形が成っていなかったから、父に不要とされて川に捨てられた」
「…」
予想以上に重たい過去に、言葉を失う。それ以上に、それを淡々と話す陽古に驚愕した。
「あの頃の私は、泥みたいで…いや、それよりも固かったかな。そして粘っていた。それでも私を信仰してくれた民がいたから、今のような形になれた」
信じられない話だった。忘れがちになるが、陽古は神だ。人間では無理な話も、それだけで納得できる。だが、正直言って半信半疑なわけで。
「…神にも、親はいるんだな」
絞り出した一声は、そういう感想だった。
「いる神もいれば、いない神もいる」
「と、いうと?」
「私のように父神、母神両方いる神もいれば、片方だけいる神もいる。世界の始まりと同時に生まれた神もいるし、人から神になる場合もある」
「人から神?」
「神社でよく、昔の偉人とか天皇が祭神の所があるだろう? あのように死後、人に祀られた魂は神となる場合がある。そこは本人の意思に左右されるが。本人が神になる事を拒絶すれば、輪廻の輪に入る」
人間が祭神の神社…時雨の知っている限りでは、徳川家康の東照宮、安倍晴明の晴明神社、平将門の神田神社、菅原道真の北野天満宮と太宰府天満宮くらいだ。豊臣秀吉もあったが名前は忘れた。
「あとは、人の願いで生まれた神だな」
「人の願い?」
「人々の強い願いが形になり、そして神になる場合がある。そういった神は神話には載らないから、人に知れる事はない」
「だったら、どうやって信仰を集めるんだ?」
「人は危機に瀕した時や、どうしても叶いたい願いがある時、神に祈るだろう? その時、いちいち天照大御神や木花咲耶姫、と一の神に祈ったりしない」
例えば。
クジが当たりますように、とか、好いている者に偶然出会いますように、とか。
そういったわざわざ神社に行く程でもない小さな神頼みに、いちいち神の名を出しては祈ったりしない。では、誰か聞くか。それは願いによって生まれた神が聞いてくれる、と陽古は語った。そして、その神は願いの数だけいて天津神と国津神を上回るとも付け加えた。
「こういう神も八百万の神として、数えられるのだが…時雨は八百万の神は分かるか?」「名前は聞いた事ある程度だな」
「八百万は数の八百万と書いて八百万という。神の数を示すものだが、実際に八百万ではない。我々も実際の数は知らんのだ。八百万以下しかいないかもしれないし以上かもしれない。つまりは、たくさんの神々、という意味で使われている言葉だ。ところで話を戻して、家族とはどういうものなのだ?」
「そもそも、どうしていきなり、そんな質問を?」
「時雨が持ってきた本が、家族ものだったから」
合点がついた。
時雨が先日持ってきたのは、『孤児院に入った後に優しい養親に引き取られた主人公が実の両親に会い、葛藤と愛情、実の親と養親に心が揺れ動く』という内容だった。
家族とは何なのか、血の繋がりはどのような意味を持つのか…要するに家族がテーマだった。
家族が分からない陽古が疑問に持つのも、仕方ないかもしれない。
「家族…おれもよく分からない」
「そうなのか?」
「親と過ごした時間が少ないから、いまいちピンッと来ないな」
物心ついた時から、時雨の両親は仕事に明け暮れていた。
在宅ワークでもなく、県外や外国に出張する事が多い仕事だ。一人では何も出来ない頃は祖母の家によく預けられたものだ。中学に入った頃から、大体の事はある程度出来るようになって、預けられる事はなかった。今回は二年くらい家を空けるので、さすがに心配だからと祖母の家に住むことになった。
「愛を貰っていないわけじゃないけど、なんていうか…一般的な意見は出せない」
「なら、時雨にとって家族とはどういうものだ?」
「そうだな…」
父と母の顔を思い浮かぶ。これといった感情が湧いてこない。なら、珍しく一日中家にいる日はどうだろう。誰かが家にいるというのは落ち着かなくて、それなのにいなくなると少しだけ寂しい。いない事が当たり前、だけどいなかったら不安で。
「切っても切り離せないというか…いて当たり前というか…そんなところ、かな」
「ふむ…空気のようなものなのか?」
「哲学的に言うと、そうかも」
「家族とは、摩訶不思議なものなのか…」
得心したように頷いた後、陽古は上半身を起こそうとするがとても重そうだった。
「陽古、起きれそうか?」
背を支えると、陽古は眉を顰める。
「ああ。いつも悪いな」
「今更だろ? 見ろよ、紅葉が色付いている」
神社には小さいながらも一本だけ、紅葉が真っ赤に染め上げられていた。
上半身を起こし、紅葉を見て陽古は目を細める。
「綺麗だな。一本しかないのが残念だが」
「工場近くの山の一帯が紅葉しているところがあるんだ。体調が良い日に見に行こうな」
「そうだな。遠くからでも見られないのが、少し残念だ」
工場は近いが、神社からは死角に入るせいで、その姿を見ることが出来ない。
「見に行くんだから、そうがっかりするな」
「うん…そうだな」
陽古は曖昧な笑みを刷る。時雨はそれに気づかない振りをしようと、目を逸らした。
「あ、そうだ」
「なんだ?」
「時雨に見てもらいたいものがある」
「見てもらいたいもの?」
振り向いて問いかけると、陽古は強く頷いた。
「場所はこの神社の裏側なのだが、少し距離がある。だから肩を貸してくれないか?」
「いいけど…それよりも、休んだ方がいいんじゃ」
「今がいい」
「…わかったよ」
陽古の右腕を自分の肩に回して、陽古を起き上がらせる。陽古は、意外に力持ちなのだな、とおどけて笑っていたがそれに応えられなかった。あまり力のない時雨にも、陽古の体重は羽根のように軽く感じたからだ。
陽古に案内されるがまま、神社の裏手にある竹藪に入って足を進める。途中、変な浮遊感がして立ち止まると、結界を通り抜けただけだよ、と陽古が言ったので真っ直ぐ歩いた。
十分くらいだろうか。歩いていると開けた場所に出た。
時雨は思わず、目を奪われた。
そこはかなり広い花畑だった。時雨にはどれくらいの広さか分からないが、近所の小学校(時雨の母校でもある)のグランドくらいの広さがあった。
「ここは?」
「私の秘密の場所だよ。案内したのは、時雨で二人目だ。真ん中まで移動してくれないか?」
時雨は花畑の中心まで陽古を運び、そこで陽古を下ろす。
「さっき二人目で言っていたけど、一人目は陽古が視えていた前の人?」
「そうだ。花をよく見てごらん」
そう言われて、花を一つ一つ見てみる。どれも綺麗に咲いていた。枯れたものはなく、力強い生命力を感じる。とある違和感に気付いて、首を傾げる。
桔梗とコスモスは咲いていても、全く問題ない。この季節の花だから。だが、どうして春に咲くはずの霞草や牡丹、夏の花である向日葵が咲いているのだ。
「季節違いの花があるだろう? 私の力で咲いたままの姿を保っているのだ」
「そんな事もできるのか」
「容易い事だよ。たとえ私が死んでも、この山に染み渡っている私の力が尽きぬ限り、この花畑は生き続ける。まあしばらく死ぬ予定はないが。この中には一人目の人間が持ってきた花もある。と、言っても薔薇ばっかりだが」
「薔薇?」
「その人が一番好きな花だったのだよ。自分でも育てているという話を聞いた」
へえ、と呟いて周りを見渡す。少し離れた所に、薔薇があった。赤や黄色、桜色の薔薇など色とりどりの薔薇が咲き誇っている。
「どうして、ここを俺に?」
「時雨に見せたかっただけだよ。私の自慢の場所だからな」
「…たしかに自慢になるな。綺麗なところだ」
「だろう?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる陽古の頭に、白い花が風に乗って落ちる。山梔子だ。
山梔子の花言葉を思い出して、時雨は眩しそうに目を細めた。




