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(2)そして君には鎮魂歌を

 どれくらいの時が経ったのかはよく分からない。けれど僕は、とうとう何もかもに飽きてしまって、空から街へと降りていった。

 寒い夜で、空はひどく曇っていた。列車ももう止まっているような時間帯で、街は静まり返っていて、何の音もしなかった。そしてフラウロスはそこに音もなく降りて、風も起こさずにビルの間をすり抜けていった。

 ところが、それと共にフラウロスはだんだん小さくなり始めた。それによって溶かし込まれていた僕の体が徐々に形作られていく。現れた僕は、何故かとても幼い姿になっていた。

 僕の姿では飛べないので、僕は目の前にあった小さな家に入ることにした。

 今や都会となったその街の中では随分小さいけれど、その家は街のほぼ中心にあった。可愛い赤色の屋根のある、一階建ての家だ。

 小さな窓が開いていたので、落ちそうになりながら部屋に入った。小さくなったフラウロスはそこで、完全に僕の中に隠れてしまった。

 少女は部屋の中で立っていた。周囲は可愛い家具に満ちていて、棚にはあらゆる生き物の縫いぐるみが並んでいた。一方で機械にも興味があるようで、机の上では歯車の露出した銀色の時計が静かに針を動かしていた。

 少女はそして、すっかり大人の姿になっていた。

 白いワンピースは以前と変わらないけれど、それも長袖で丈の長い、スカートのあまり広がらないものになっていた。ぼさぼさだった長い髪はすっきりとまとまって、彼女の背中に流れている。背は幼い僕よりずっと高くて、痩せているものの体格もしっかりとしていた。

 彼女は、突然現れた僕をじっと見つめていた。

 僕は口を開いた。僕は彼女が何であるのか、既に理解していた。


「母さん」


 少女……今や僕の母となった彼女は、その言葉に目を見開くと、みるみるうちに涙目になった。

「ああ……やっぱり、そうなのね? 私の子なのね? ええ、そうだと思っていたわ。産まれたら写真入りのロケットをあげようって、ずっと決めていたんだもの。そうよ、産まれてすぐに、私の顔も見ずに死んでしまうなんて、そんなことがあるわけないじゃない。ちゃんと産まれていたんだわ。そうに決まっていたじゃない……」

 そうして母は姿勢を落とし、僕を抱きしめようとした。

 僕もそれに応えようとしたけれど、そこですぐ母の腕に飛び込んだのは、僕ではなくて僕から出てきたフラウロスだった。フラウロスは母の胸にしがみつくと、再びどんどん大きくなり始めた。

「ああ、私の子……私の可愛い子。やっぱり、私に会いに来てくれたのね? 自分でちゃんと、私を見つけたのね? 偉いわ……ええ、大好きよ。あなたが大好き……」

 母は歓喜の涙を流しながら、フラウロスを抱きしめた。そうするとフラウロスはますます大きく膨れ上がって、母に絡み付いて半ば包み込むようにした。母はそれでも我を忘れて、フラウロスを抱き続けた。今では母はフラウロスにすっかり覆われて、その境界もはっきりしなくなり始めていたけれど、それでも母は嬉し涙をこぼし続けた。

「なんて素晴らしいのかしら……あなたのために、新しいおうちを作りましょう。あなたが帰って来られる家よ。それから手紙を出して、あなたの事を皆に教えましょう。ああ、とても楽しみだわ……大きくなったらきっと、世の中の役に立つものをどんどん作るのでしょうね。それから、それから……」

 フラウロスに包まれた母は徐々に目の光を失い、明確な意識を失い、背の高い体を失っていった。


 部屋に、雪が降り始めた。

 雪は街全体にどんどん降って、大きな建物の群れを覆い隠した。視界が真っ白になると、雪に包まれたビルは音もなく消えて、世界に帰っていった。線路が消え、病院や学校が消えて、世界は白く変わっていった。その白い世界には、しかし、雪だけが絶え間なく降っていた。

 赤い屋根が消え、棚が消え、一瞬宙に浮かんだ縫いぐるみたちも順々に消えた。机が消え、時計が消えた。そして、雪だけが降り続いた。

 僕の世界は雪になった。

 それでも母は涙を流し、笑顔で語り続けた。フラウロスが曖昧な体で母を完全に包み込み、顔を覆い隠し、再び空高く飛んで行ってしまうまで、母は笑い続けていた。


 そして、僕は白い世界に残された。


 僕はしばらく、その世界にただじっと立っていた。すると、どこからともなく背の高い大人たちが現れた。全員が白い服を着ていて、僕に触れようとはせず、遠巻きに僕を見ながら、彼らはこう言った。

「お前の母さんは殺された」


 この物語は途中から始まったのだから、僕にとってはこれが物語の結末である。環は、完全に閉じてしまった。

 おそらく僕は永遠にこれを繰り返すのだろう。ロケットは決して開けられない。だから、母が今、存在しているのか、消滅してしまったのか、そんな事はもうどうでもいいのだろう。

 ……それでも、と、僕は雪が降る空を見ながら考える。僕が確実にこの世に存在しないものであったなら、世界はまた違う姿になっていたのだろうか。

 雪になった白い世界は、取り残された僕に何もしてくれそうにない。

 大人は誰も教えてくれなかったけれど、僕の名前はフラウロスといった。

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