(3)降りすぎた雪の街
それが、いつのことなのか、僕はよく知らない。
ただその頃には、世界は固定的で安定していて、今ここに存在するものは別の力がなければ永遠にそこに存在し続けた。
いつしか世界は雪になった。降りすぎた雪を降らせすぎて、とうとう世界も雪になった。
僕はそれでも、雪の欠片を握り締めて生きている。
例えばそれは部屋の鍵。間違いなく世界が作り出したもので、間違いなく僕と世界をつなぎとめる欠片。
僕の世界は雪になった。
握った手をゆっくりと開くと、しっかり持っていたはずの部屋の鍵は、跡形もなく消えていた。
壊れてしまった世界の欠片はまだ少し指の隙間にあって、けれどそれもすぐに舞い上がって、世界に帰っていってしまった。
僕の母さんはフラウロスに殺された。
名前も忘れた大人達が僕に教えた、数少ない事実がそれである。
「おい君、その首に提げている銀色のものは何だい?」
仕事場の気のいい隣人が僕に問いかける。
「こいつはロケットだよ。母さんの写真が入っているのさ」
「それはいい。きっと、大事にするといい」
「無論、何より大事にしているさ」
そうして僕達は仕事に向かう。
全員同じ、真っ白な上下を身につけて、静かに動く長いベルトコンベアに沿って、正確に並ぶのだ。
世界の欠片は一日であまりにたくさん壊れてしまうので、どうにか生活するには毎日たくさん新しいものを作り出さなければいけない。
「作り出せ、世界の欠片を!」
工場長が号令をかけ、
「作り出せ、世界の欠片を!」
僕達は一斉に両手を掲げる。
「決して壊れない、永続する欠片を!」
「決して消えない、丈夫な欠片を!」
「決して壊れない、永続する欠片を!」
「決して消えない、人のための欠片を!」
唱和しながら、僕達は世界から欠片を削り取っていく。両手の間にそれが十分集まると、また一斉に手を下ろしてベルトコンベアに乗せる。出来立ての白い何かは加工工場に送られていって、なにか少し役に立つものになるらしい。
「決して壊れない、永続する欠片を!」
「決して消えない、丈夫な欠片を!」
今日も世界には雪が降っていて、繊細で冷たい世界はゆっくりと対流している。僕達はまっすぐに伸ばした手と休みない唱和の中で、淡々とそこから欠片を作り出し続ける。動きを乱す事なく、全員が細部まで同じ動きをして。ただ作り出される白い欠片だけが、それぞれ違った形を保って、長いベルトコンベアの上を流れていく。
「決して壊れない、永続する欠片を!」
「決して消えない、人のための欠片を!」
そしてまた出来た欠片をベルトコンベアに乗せながら、僕はそれが何になるのか、まるで推測することが出来なかった。