一章 海色の少年
深い深い、海の中。きらきらと光る魚が、ゆったりと泳いでいる。
空気の泡が視界を通りすぎ、たゆたいながら上へとのぼっていった。
ふいに、不思議な歌声が聞こえてきた。
この世のものとは思えないほど、すきとおった歌声。
海底に、大きな岩の上に、とても美しい生き物がいる。
あれは―…?
「ララ、おきろよ。おい、ララってば」
その夢の続きは、またもやダズに邪魔されてしまったようだ。
「おおい、ララ?さっさとおきろよ、ほら!今すぐ目を開けないと、お前の朝食にミミズ混ぜちまうぞ。それでスープは俺が飲んじまうぜ。それでもいいのか?」
ララは低い声でうなった。寝起きで、頭がぼうっとする。うっすら目を開けると、ぼやけた人の輪郭がみえた。だんだん視界がはっきりしてきて、やがてそれはダズのまるっこい赤ら顔になる。ララは蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「邪魔しないでよ…ダズ」
せっかく「あの夢」をみていたのに。もう少しで「あの生き物」が、何なのか分かるところだったのに。どうしていつも、いいところで邪魔がはいるのだろう。ララは寝返りをうって毛布をかけなおし、再び夢の中にはいろうとした。
「ちょっとまった!」
大声とともに、ダズはララの毛布に手をかけて引きはがした。
「さあ、そろそろ起きないとまずいだろ?座長に、なに命令されるかわかったもんじゃない!また馬のフンの片付けをさせられるぞ。いいのか?」
ダズの言葉が、ぼうっとした頭の中でくるくるまわった。命令、馬のフン…、そして、座長!師匠が怒りくるった時の、おそろしい顔がうかびあがってくる。頭がはっきりして、ララは体をおこした。馬車の窓から外をのぞくと、そこは森の中の空き地だった。そうだ、今日は『首かざりの一座』の公演日。お昼ごろに、大きな町にたどりつく予定だ。寝坊なんてゆるされない。ララはふらふらしながらも立ち上がり、鼻をならしたダズと共に馬車の外へとでた。
「おっ、今朝もまたいい香りがしてきたな」
ダズがララの横を歩きながら言った。ひくひくと鼻が動いている。この香ばしい香りはこんがりと焼けたパン、そして熱々のシチューだろう。
「本当だね。やっぱりミッフィーの料理は何度食べてもあきないや」
ララはそう言ってぐっとのびをした。森の空き地にぽつぽつと止められた、数十台の派手な馬車をぬうようにして進み、二人は食事を配っている馬車にたどりついた。その馬車の前には折りたたみテーブルがあり、シチューの煙がゆらゆらとのぼっていた。一座の座員はそれぞれお皿を持ってテーブルに並び、すらりとした金髪の男、調理人ミッフィーと当番の少女達が朝食を配膳していた。
ダズはそれを見てグウと腹をならし、ララを配膳テーブルまで引っ張っていった。配膳をまつ列の最後尾にならんだ時、後ろから彼らを呼ぶ声がした。
「おーい、ララ、ダズ」
ララとダズは同時に振り返った。するとアコーディオン見習いのリントが、彼らに駆け寄ってくるのが見えた。彼のくりくりとした大きい目は、まるで少女のようだとララはいつも思っていた。彼の年齢は、ララより一つ年下。そしてダズは三つ年上で、ララにとっては兄のような存在だった。
リントとダズは本当に対照的だ。リントはほっそりしていて、背は小さい。それに対してダズは体が大きく、がっちりしている。腕も足も太くて、厚みがあった。そしてララは、その中間…年相応の体系をした、十三歳の少年だった。
しかしララにはひとつだけ、他の人間とは大きく違うところがあった。彼は生まれつき、髪の毛と瞳の色が「青色」だったのだ。首かざりの一座としてシイア王国中を旅してきたが、ララは未だに自分と同じような外見の人間とは出合ったことがなかった。どうして自分はみんなと違うのだろうかと、人と違うこの容姿をララは嫌っていた。
「おお、チビ、今日も元気か」
ダズがにっと歯をだして、皿をリントにむかってぶんぶんふった。リントは「わあっ、やめろよ」と叫びながら、ダズの振り回す皿をよける。そんな様子をみながらララがくすくすと笑っていると、リントが軽いステップを踏んで皿をよけながら訴えてきた。
「笑ってないで助けろよ、ララ。こいつ、いつもぼくを怖がらせて面白がっているんだぞ」
「そんなこと言われても」
リントの言葉に、ララは曖昧に笑った。そう言うリントも、にやにやしながらひょいひょいとダズの攻撃をかわしていた。これは、いつもの二人のおふざけなのだ。
「これでも、くらえ!」
そして、ダズが皿を大きくふってリントにおそいかかった、そのときだ。
「おい、お前ら!」
列の前方から怒鳴り声が聞こえてきた。配膳テーブルの後ろで金髪の男がオタマをもってこちらをにらんでいる。一座の調理人、ミッフィーだ。美しい金髪に整った顔、きっと女性には人気であろうその顔は、今は怒り狂い見る影もない。
「いいかげんにしないと、お前らのシチューを具なしにするぞ!」
「そんなあ!ぼくは悪くないよ、こいつがいきなりおそってきたんだ!」
その言葉をきいて、リントが悲鳴を上げた。するとダズは「なんだと!」とまたリントにつかみかかろうとした。ララはあわてて止めに入るが、しかしダズの体で簡単にはじき飛ばされてしまった。はずみで尻もちをつく。
「やめろ!」
ミッフィーが怒鳴った。つかみかかったダズも、逃げようとしたリントも、はたと動きをとめる。森の空き地、首かざりの一座の停泊地は、しんと静まりかえる。今や空き地にいるすべての人が彼らをみていた。ミッフィーは、シチューで少し白っぽく汚れたオタマを彼らに突きつけて、冷たく言い放った。
「3人とも、シチューの具はなしだ」
ララはしりもちをついたまま、小さくため息をついた。
「俺のせいじゃない」
「僕のせいでもない」
「いや、絶対にお前だ」
リントとダズが、はげしく言い争っている。
「何でぼくまで…」
ララは具の入っていないシチューにパンをひたして口に運びながら、つぶやいた。
「ごめんな、ララ。こんなチビのせいで」
「ごめんよ、ララ。こいつのせいなんだ」
ダズとリントが同時に言った。二人はしばらく沈黙し、少しの間にらみ合う。そして思ったとおり、またさらにはげしく口げんかがはじまった。ララはその様子を見るのにあきて、皿に目を落としだまってパンを食べつづけた。具なしシチューほど、虚しいものはないだろう。
こんなにも少ない朝食では、育ちざかりのララには全くと言っていいほど腹の足しにならなかった。今日は大きな町での公演日だっていうのに、こんなんじゃ公演の準備なんてできるわけがない。すぐに、力がぬけてしまうだろう。
でも、自分はまだいい。問題はダズだ。そう思いながら、ララは横目でダズを盗み見た。
ララとリントはまだ見習いだが、ダズはもう一人前の芸人だ。もちろん、今日の公演にも出演する。あんな大きな体に、こんな具なしシチューで、乗り切れるのだろうか。ダズのやる芸はとても危険だから、体力がなくては危ないだろう。
ダズは、もう一人前の「火吹き」の芸人だ。口から火をふいたり、耳から火花を出したりと、それは危険な芸がたくさんできる。しかもダズは、公演の一番最初に芸をひろうする。出だしを飾るのが彼とゆうわけだ。一座のチラシにも、大きく名前が載っていた。『あつく燃える、火吹き男ダズ』。
一人前はやっぱり、うらやましい。自分も見習いなんてやっていないで、早く一人前になりたかった。けれど、そんなことは彼の師匠である座長が許さないだろう。なんであんなにきびしい座長が、ぼくの師匠なんだろうかと、ララはひとり心の中でごちる。しかし文句など、口がさけても師匠の前では言えない。
首かざりの一座の長、つまりララの師は、一座の「歌い手」。そしてララは師に毎日稽古をつけてもらっている歌い手見習いだ。ララは赤ん坊のころから師と一緒にいて、かれこれ十三年の付き合いになるが、師に「一人前」と認めてもらったことはない。ましてや公演に出させてもらったことなんて、一度もなかった。
「…ぼくもダズみたいに、はやく一人前になりたいな」
ララは無意識のうちにそうつぶやいていた。
はやく一人前になって、そしたらチラシにぼくの名前がのって、たくさんの人たちの前でぼくは歌を歌って、たくさんの拍手をもらって…そうやって想像するだけでララの胸は高鳴った。
「お前なら、すぐなれるさ、ララ」
すると、そのつぶやきを耳にしたダズがリントとの言い合いを中断して言った。
「だってお前はすごく深い声をもってるじゃねえか」
「ありがとう、ダズ」
ララはダズに、少しはにかみながら笑いかけた。
「そう言ってもらえると、すごく嬉しいよ」
すると、リントが目をくりくりさせて割り込んできた。
「なあなあ、じゃあ僕はどうなんだい?」
「お前は、まだまだだな!」
ダズが大きな声で笑いながら言った。
その後、ララ達は馬車に戻った。朝食を食べたらすぐに出発する準備をしろと、すでに座長から全座員へ指示が通っている。
ララとダズとリントは、同じ馬車を使って生活している。一座は季節によって変化はあるものの、だいたい二十台以上の馬車から成り立っていて、馬車行列で移動しながら旅をしていた。一台の馬車につき二、三人で生活しているが、座長であるエルファだけは豪華な一人用の馬車をもっている。馬車の車体には、派手な装飾と共に、奇抜な色で一座の名前が書かれていた。
朝食を終えた座員たちは、みんなそれぞれの馬車へ乗り込んだ。御車台に座る者も、馬の手綱と鞭を手に持った。
「よし。準備はいい?」
はるか前方から聞こえてくる座長の声が、森の空き地にこだまする。座員はそれに「はい!」と大きな声で返事をした。それを合図にパシンと、馬車行列の前方で馬にむちをいれる音が響き、ガラガラ陽気な音を立てながら「首かざりの一座」の馬車行列が出発した。
ララ達の馬車の御者台に座っているのは、いつもリントだ。
「リフテ…えーっと、なんだっけ?」
姿は見えないが、御者台からくぐもったリントの声がふってきた。どうやらこれから行く街の名前を忘れてしまったようだ。
「リフティールの町、だよ」
ララはガラガラ回る馬車の車輪の音にかき消されないよう、大きな声で答えた。するとダズがぐっとのびをして、馬車の床の上にごろりと横になった。馬車はたえずガタガタと揺れているというのに、よく寝転がる気になるものだ。馬車の天井についているランプだって、キーキーと悲鳴をあげて暴れるように揺れている。
「リフティールの町か」
ダズが、手を後ろで組んで枕にしながらつぶやいた。どこか知っているような口調だ。
「ダズ、リフティールを知ってるの?」
「いいや。でも名前は何回か聞いたことあるぜ。海がきれいな港町らしい」
海が綺麗な町。ララはその言葉に、これから行く町の風景を頭で想像してみる。浮かんできたのは、照りつける太陽に、港のたくさんの船、きらきらと青く輝く海。
するとダズがごろりと寝返りをうち、ララを上目使いで見ながら言った。
「お前が好きそうなところだな」
ララはそれを聞いて笑った。
「よく分かったね」
リフティールの町についたのは、その日のお昼ごろだった。
馬車にゆられて数時間。森をぬけた先にあったのは大きな町だった。馬車の窓からその町を見た瞬間、ララはその風景に心をうばわれた。
なんて美しいところなんだろう。赤や茶色、オレンジ色のレンガ造りの建物が立ち並び、くねくねと石畳の道が続いている。街には人がたくさん溢れ、まるで祭りのようににぎわっていた。港には輸送船か、無数の船が浮かんでいて、水夫たちが忙しく動き回っている。遠くには青く、宝石のようにきらきら光る海がどこまでも続いていた。オレンジ色の屋根の町並みとその海の青のコントラストは、目が覚めるように鮮やかだ。
ガタガタという揺れが小さくなり、馬車が町の舗装された大通りに入ったことを知らせた。大通りを行く人々は、突如あらわれた奇抜な色の馬車をふり返り、不思議そうに眺めている。とたんに、馬車の周りには人だかりができた。宝石を身にまとった婦人、鍛冶場の薄汚れた働く男、買い物をしていた女性、白いエプロンをつけたパン屋の主人、そしてたくさんの子供たち。今、一座の馬車は速度を落とし、人が歩く早さと同じくらいになっている。派手な色と装飾が施された馬車にかかれた一座の名前をみて、興奮した人々の声がくぐもって聞こえてきた。
そうしてたくさんの人につきまとわれながらも、一座の馬車は町の大広場…今日の公演場所へとたどりついた。
「首かざりの一座、本日公演!」
ララとリントは二人並んで、大通りの一角でチラシを配り始めた。ダズはさっきの広場で公演の打ち合わせをやっている。うらやましくないと言えば嘘になるが、しかしそれを今表情に出してはならない。今ぼくは、一座を宣伝する者なのだから…ララはそう思いながら、気持ちをひきしめた。師匠にいつも言われている。『表情で、一座の面白さや楽しさを伝えるの。つまらない顔などしていたら、客はこないわよ!』
ちらりと横をみてみると、リントがとても憂鬱そうな顔でチラシを配りながら宣伝していた。
「首かざりの一座、本日公演…」
「ちょっと、リント、笑顔になりなよ。そんなんじゃ、お客さんがにげていくよ」
ララは人々に笑顔をむけてチラシを配りながらも、リントを注意した。しかしリントは彼の言葉にもまったく動じない。今にもその場に座りこんでしまいそうな顔だ。
「だってさぁララ、ぼくはいつになったら公演にでられるってんだ?ビラ配りはもうたくさんだ!ケルガンフ師匠も、最近はアコーディオンに全然さわらせてくれないんだぜ」
リントは見るからに憂鬱そうだ。彼の師匠はケルガンフとゆう、背が高くて気むずかしいアコーディオン弾きだった。ララもケルガンフはちょっと苦手だった。話しかけても、返事がある方がめずらしい。
ララは少し同情してしまい、少しでもはげましてやろうと言った。
「リントだけじゃないさ。ぼくだって、いつもチラシ配りをやらされているもの。それに師匠は歌の稽古ばっかりで、ぼくにぜんぜん公演に参加させてくれないし」
「稽古してくれるだけでいいだろ。ぼくの師匠は、稽古もしてくれないんだからな!」
逆効果だった、とララはさとった。リントは深いため息をつくと、「本日公演」と一言つぶやき、婦人にチラシを手渡した。あわててララは言葉をつむぐ。
「リント、さっさと配っちゃおう。配れば、もう終わりさ。それにさ、ケルガンフは稽古をつけてくれないといっても、自分のかわいい弟子を叩いたりしないだろう?ぼくの師匠をみてごらんよ!毎日怖い顔でおこって、ぼくのお尻をひっぱたくんだ。こう…いてっ!」
「ララ?」
ふいに、尻に激しい痛みがはしった。ララの悲鳴にリントが目を丸くする。ララは思わずその場にすわりこんだ。誰かが、彼の尻を叩いたのだ。
「なにするんだ…!」
ララはそう言いながら振り返った。あまりの痛さに目に涙にじみ、前がよく見えない。しかし、自分をひっぱたいた犯人が目の前に立ちはだかっているのは、なんとなく分かった。
「なにするんだ、ですって?」
犯人が言う。
「いつも通りに、怖い顔でおこっているだけよ?」
ララはその犯人の声をきいてぞくっとした。おそるおそる犯人を見上げる。目の焦点がだんだんあってきた。ぼやけていた犯人も今でははっきり見える。
「…師匠?」
「いかにも」
エルファが、手を腰にあてて、偉そうに言い放つ。リントが後ろで小さく「あちゃあ」とつぶやくのが聞こえた。
首飾りの一座、座長エルファ。まぎれもない、ララの師匠だ。腰に届くほど長くつややかな黒髪を高い位置で結い上げ、はちみつ色の首かざりをつけている。手首にはたくさんのブレスレットがその白い肌を飾り付け、そういった輝かしい装飾品らは、彼女の美しい容姿を引き立たせていた。しかし彼女は今、腕組をし、仕事をするララとリントをじっとみつめている。顔は、その美貌とつりあわない、怖い表情。
「首かざりの一座、本日公演となります!」
「一座の華麗なるショーをお楽しみください。あちらの広場にての公演となります!」
ララとリントはエルファの痛いような視線を感じ、めいいっぱい声を張り上げて仕事に望んだ。さっきまでやる気をなくしていたリントも、無理やり笑ってチラシをくばっている。それもそのはず。さっきララを蹴とばしたエルファは、彼らををすごい形相でにらみつけて怒鳴ったのだ。
「なにだらだら仕事をしているの。のんきに喋っている暇なんてないわ!そんなんじゃお客さんがこないでしょう?さっさとチラシを配りなさい。大きな声で、笑顔で、ほら!」
座長の怖さを知っている二人は急いで立ち上がり、チラシ配りを再開した。リントも顔にひきつった笑顔を浮かべながらも、仕事に励む。
「そう、最初からこうすればいいのよ」
エルファはしゃきりとした彼らの姿に満足げにうなずき、その場から去ってゆく。その後ろ姿をみながら、ララとリントはつめていた息を一気に吐き出した。
「はあ、おっかねー!」
「まったくだよ…」
ララはエルファに聞こえないように細心の注意をはらいながら、小声でつぶやいた。チラシ配りを続けながら、目の端で人ごみにまぎれてゆく彼女の背中が消えるのを待つ。ララも苦労しているんだな、とリントがけらけら笑った。その時だった。
ふいに、ララは強い視線を感じた。
エルファの姿はすでに消えている。不思議に思ってあたりを見回した。すると、がやがやと活気のある大通りの隅で、一人の人物がじっとこちらを見つめているのが目に入った。
遠すぎて男か女かわからない。質素な洋服を着た痩せた人影だ。背は小さい。
ララが目をこらした瞬間、その人物はすっと裏路地へと消えていった。
「ララ?どうかした?」
未だに人影が消えた場所を見つめているララに、リントが声をかける。ララは首をかしげた。なんともいえない不安が胸でくすぶる。
「いや、なんだか人に見られている気がして…」
そうつぶやくと、リントがまたけらけらと笑い出した。
「そりゃあそうだろうよ!ぼくらは大声で人に呼びかけをしながらチラシをくばっているんだよ?見られて当然じゃあないか。それに、お前のめずらしい髪の毛の色をじろじろ見る人なんて、くさるほどいるだろ?」
リントの言葉に、自分がすっとんきょうなことを言っていたと気づき、ララはぎこちなく笑った。しかし、心にうまれた不安は、なかなか消えない。その視線のことを忘れたのは、十二時の鐘が広場に響く頃だった。リフティールの街での「首かざりの一座」の公演が、ついにはじまろうとしていた。
ぐるりと馬車に囲まれた広場の中心には、目を見張るほど鮮やかな黄色い巨大なテントがはられていた。一座のショーは、このテントの中で公演する。
今日の公演も、いつも通り大成功だった。
ショーで一番最初に登場したのは、火吹き男のダズだ。上半身はノースリーブの白いシャツ、そして派手な色の装飾があるぶかぶかのズボン。腰にはスカーフのような布を巻いて、いかにも芸人とゆう姿だった。彼が舞台に現れた瞬間、客席は悲鳴と歓声につつまれた。彼がいきなり、火を体にとりまいて登場したからだ。ダズは小さいころから訓練をうけているから、火なんてこれっぽっちも熱くない。あっけにとられている客にむかって豪勢に火をふいて、思いっきりおどかし、手前の客の顔ぎりぎりまでダズは炎をとばしてみせた。ララとリントは裏での仕事をこなしながら、隙をみては幕の間からステージをのぞいた。
「やっぱりステージにあがると、あのデカブツも雰囲気が変わるもんだね」
リントが嫌みったらしく言ったが、その顔には笑顔が浮かんでいる。リントなりに、ダズのことをほめているのだろう。ダズのショーが終わると、美しく着飾ったエルファが登場し、客席に向かって声をはりあげた。
「首かざりの一座へようこそ!今日来てくださったみなさん、ありがとうございます、こんなにも沢山の人に見ていただけるなんて、一座一同、大感激です。華麗なるショーを、最後まで楽しんでいってください。紹介がおくれました、私は座長のエルファ、そしてここにいるのは火吹き男の―…」
団長の紹介の言葉が終わると、すごい拍手が巻き起こった。そしてダズの登場で十分に盛り上がったまま、公演ははじまった。
ジャグリング師のケリーは、ナイフなどをなげてあやつった。踊り子のシャリアは、音楽に合わせてくるくると踊る。曲芸師のヨルガルは、長い剣を口にいれてみせ、フィアたちは、たくさんのアクロバットを披露した。息をつく間もなく続く芸に、リントの師匠ケルガンフのアコーディオン演奏がつづく。様々な出し物に客は笑ったり驚いたり、こわがったりはらはらしたり、様々な表情へとくるくる変わっていった。そんな客の表情が、芸人の元気の源となった。
そして、はらはらどきどきの公演も、ついに「最後の芸」となった。この最後のショーだけは、客の表情が、今までとはまったく違うものとなる。
最後の出し物はエルファの「歌」。
ハープの音色と、澄んだ美しい声。綺麗なソプラノが、風にのって流れ、聴いている人々の心に響き渡った。
声が、音が、きらきら光る水のように流れる。まるで一枚の銀色の絹がそよ風にゆれているみたいだ。心をふるわせるすきとおった音楽。どこの国か、しらない言葉の歌だったけれど、それはひとりひとりの心を強くゆさぶった。
目をつむり、思わず涙する人がたくさん居た。はらはらどきどきした後は、エルファの歌をきいて涙する。そして客は涙目のまま、口々に感想を言い合いながらテントの外へと出て行くのだ。公演は、いつも通り大成功だった。




