十章 雪の降る町
「雪だ!」
リントがはしゃいだように声をあげて、両の手を天にむかってのばした。
「リイ、こっちにきてみろよ!」
リントのその声に、馬車にこもりっきりだったリイはおそるおそる外にでてきた。フード付きのケープですっぽりと顔をおおっていて、その口から白い息がもれている。おずおず差し出された彼女の手のひらに、白い雪がふわふわ舞い降りて、すっと溶けてなくなった。その様子を、彼女は不思議そうな瞳でみつめた。南の島の出身であるリイは、雪というものをみたことがないのだ。きらきらした瞳で、ララに笑顔をむける。
「すごいわ、つめたい!」
「この様子だと、明日の朝には町中真っ白になってるかもね」
ララはマフラーを首もとまであげて笑った。今、首かざりの一座はシイア王国の北域にあるクルクシュという町に滞在して、広場にテントをはっている。さっき最後の公演が終わったところで、ララ達はテント内の座席や器具を片付けている最中だった。
リイが一座にやってきてから、二年がすぎていた。彼女はすでに、インコのルリーと共に一座の舞台に立っている。それもそのはず、ルリーはミニチュアサイズの玉の上を器用に乗りこなしたかと思えば、知的に人間の言葉を理解して会話もする。また、最後にやるお客さんの「声まね」も大人気だった。そのルリーのパートナーとして、リイは毎日のように舞台に立っている。
長年見習いをしているララからしたら、一座に入ってすぐ彼女が舞台に立つことに嫉妬を感じないと言えば嘘になるが、それでもリイが首かざりの一座の一員としてうまくやっていることを嬉しく思っていた。彼女はエルファから深緑色の首かざりをあたえられて、今では踊り子のシャリアの馬車で生活をしている。
「わたし、この一座にきて本当によかった。いろんなところを旅して、いろんなものを見れるもの。こんなにきれいなもの、わたしの故郷じゃ見れないわ」
リイは目をきらきらさせながら言った。すると、テントからダズが折りたたみイスを六個、軽々とかつぎながらやってきた。二年前よりもぐっと背がのび、肩幅もひろくなったダズは、すっかり大人っぽくなっている。
「町の人はみんな、家にひっこんじまったみたいだな」
彼の言う通り、広場にいるのは一座の人間だけで、大通りはまったく人気が無い。砂糖のような粉雪が、しずかに石畳を白く染め上げているだけだ。
「こんだけ寒けりゃ、当然か」
「それにしても、この町の人間はひきこもりすぎじゃないか?一座の公演だって半分もイスが埋まらなかったし、来てくれた人も、公演が終わった瞬間にすぐ家にひきかえしていったし」
リントが不満げに町をみまわした。それはここ数日、座員全員が感じていたことだ。広場も、町の市場も、昼間はかろうじて人が出歩いているものの、ひとたび太陽が傾いてしまえば逃げ帰るように町の住人は家の中に入ってしまう。それに加え町の人々はひそひそと小さな声でしゃべるものだから、まるで活気がない。たしかに一座の公演はいつも通り滞り無く進んだが、彼の言う通り座席は半分も埋まらなかったし、歓声も他の町より少なかった。なにより町の人々が皆、ショーを楽しむ合間にどこか暗い表情を帯びているのが気になった。
「…なんだか静かな町だよね」
「静かな町、というよりも、なんだか不気味なんだよ」
寒さからか、ぶるりと身震いをしてリントが言った。
「まるで、町全体がなにかに怯えているみたいだ」
次の日の朝、思っていた通りに町は真っ白に染まっていた。しかし雪はまだ降り続けている。昨日までは粉のようだった雪は今では大粒になり、視界をおおいつくすように降り注いでいた。
ララは朝からエルファの馬車で朝の稽古をつけてもらっていた。馬車の中はきらびやかで暖かかったが、しかし、ララの気分は落ち込んでいた。
「…今日も、リュートの練習だけなんですか?」
「そうよ。今のあなたの喉に、負担をかけてはいけないわ」
「でも、このままずっと歌えなくなってしまうかも…」
ララのおびえたような声に、エルファは彼の肩に手を置いてにっこりと笑った。
「前にも言ったでしょう、大人に近づいているっていうことなの。心配しなくても大丈夫よ」
今年の夏から、ララはうまく声がだせなくなっていた。しなやかだった声は枯れてしまったかの様にかすれ、普通に喋るだけで地声と裏声がひっくり返ることもある。長く喋ることも辛く、まともに歌を歌う事もままならないララに、エルファは最近では楽器の練習を中心に稽古を行っていた。
しかしララはまだ不安そうに、リュートの首を握りながら暗い顔で言った。
「大人になってしまったら、もう高い声がでなくなってしまうんですか?」
「そうとも限らないわ。男性でも、美しく高い声をだせる歌い手はたくさんいる。でもね、あなたは深い、不思議な声をもっているわ。高い低いにこだわらず、あなたはあなたの歌声をみつけていけばいいのよ」
エルファはそう言って、すこし喉仏がでてきたララの首筋を撫でた。ララはすこしくすぐったそうにしてから、小さくうなずく。それでも、夏から始まった自分の体の変化への不安は完全にぬぐい去る事は出来なかった。
エルファは馬車に固定されている豪華なイスから立ち上がると、窓の外を見た。降り続く雪は、さっきより勢いを増している。その様子に、エルファは美しい顔をしかめた。
「…今日中に出発するのは無理そうね」
「もう一日、ここに滞在をするということですか?」
「そうね、とりあえず雪がやむまでは動かない方がいいわ。しばしの休暇よ」
それからララはエルファに、クルクシュの町長への言付けを頼まれた。雪がやむまで町の広場に滞在する許可をもらわなければならないのだ。
馬車の外で偶然出会ったリイと共に、ララは町の中央にある大きな屋敷を訪れた。クルクシュの町長であるピッケルの屋敷だ。雪のためもう数日、一座が広場に滞在をすることを告げると、ピッケルはあからさまに顔をしかめた。白髪まじりの灰色の髪とひげが、彼によりいっそう険しい印象をあたえていた。
「数日というと、どれくらいだ?」
「えっと…雪がやむまでなのですが…」
「雪がやんだらすぐに、だな?はやいところ、この町からでていってくれ」
ピッケルはそう言うと、二人の目の前でぴしゃりとドアを閉めた。ドアについた雪が飛んできて、リイがその冷たさに思わず声をあげる。
「なんなのよ、まったく!」
「ぼくらに早く出て行ってほしいみたいだね」
ララが雪を振り払いながら言うと、リイはドアを睨みつけた。
「だからって、こんな扱いをされる筋合いはないわ」
「そうだけど…なんだか彼、何かを怖がっているみたいだった」
ララはつぶやいた。ぶっきらぼうなピッケルの顔が恐怖でひきつり、まるで町への侵入者である自分達を警戒しているようだと感じたのだ。昨日のリントの言葉を思い出す。『まるで、町全体がなにかに怯えているみたいだ』…。
「…二年前の呪いのようなことが、この秘境の町でもおきているとでも言うの?」
リイの不安そうな言葉に、ララは笑って首をふった。
「国中旅をしてきたけど、あんなことはそうそうないよ。体験するのも、もうたくさんだ」
その言葉に、リイも笑ってうなずいた。そして、ふうと白い息を吐き出す。
「帰ろう。ルリーが心配だわ。あの子ったら、この寒さで羽がふくれっぱなしなんだから」
馬車内に新しく固定した簡易ストーブをかこみ、ララとダズはトランプに興じていた。この雪がやむまでどうせ仕事はないし、外には寒くて出る気がしない。ミッフィーが配ってくれた暖かいスープのカップを両手で包んで暖をとりながら、ララ達の馬車に遊びにきているリイがルリーの様子を見て笑った。
「ルリー、そんなに暖炉に近づいたら、焼き鳥になっちゃうわよ」
しかしルリーはギイと力なく一言鳴いただけで、そこを動こうとしない。暖かさが気持ちいいのか、くちばしを羽にうずめてうとうとしている。もともと南に生息していた鳥だから、寒さにはめっぽう弱いのだ。
「それにしても、リント遅いね。どこまで行ってるんだろう」
ララはトランプから顔をあげて、馬車の窓から外を見た。リントはスープのおかわりをもらうと言って、ミッフィーの馬車へと行ったきり帰ってきていない。ララの手元からトランプをひきぬきながら、ダズが言った。
「町の見学にでも行ったんじゃないか?」
「いまさら?この雪の中で?それに、そろそろ日が暮れる」
ララの言葉に、ダズも不安そうに外をみた。窓の外は変わらず大粒の雪が降り続け、空は灰色ににごっている。リントが馬車から出て行ってずいぶんとたっていた。この天気で、町の散策に行ったなどは考えられない。
ミッフィーの馬車をたずねると、やはり彼の姿はなく、ララ達の姿を見て金髪の料理人はきょとんとして言った。
「リント?ここにはきていないぞ?」
すべての馬車を確認したが、やはり彼の姿はなかった。いよいよ心配になったララ達は、フードを深くかぶって町の中を捜索しはじめた。ミッフィーが一座の皆に伝えてくれたようで、あちらこちらでリントを呼ぶ声がきこえる。
この雪の中、もちろん通りに人影はない。北域の特徴である急な屋根の住宅街を、ララはリイとダズと共に、リントの名前を呼びながら歩いた。しかし、それらはむなしく真っ白な雪のなかにすいこまれて、返事がかえってくることはない。空はいよいよ暗くなり、ランプをかかげなければならなくなった。この時間になっても馬車に戻らないなんて、何かがあったに違いない。
「一体どこに…」
途方にくれてそうつぶやいた時、ふいに背後で雪を踏む音がして、三人はいっせいに振り向いた。しかし、そこにいたのはリントではない。
「お前たち、ここで何をしている?」
毛皮のついたフードを目深にかぶり、ランプをかかげているのは、あのぶっきらぼうな町長のピッケルだった。
「あの、ぼくたち友人を探しているんです。小柄な男の子なんですけど、急に消えてしまって…」
ララがそう言った瞬間、ピッケルの顔がぴくりと動いた。目がみひらかれ、その瞳は恐怖にそまっている。ピッケルの目はせわしなく泳いでいた。しわの多い手に握られたランプが、かたりかたりとゆれている。ララは思わず一歩踏み出した。
「…何か、知っているんですか?」
「知らん!私はなにも知らない!」
そう言ってピッケルはあわてた様子でララ達に背を向けた。そして、来た道を急いで引き返してゆく。
「おい!何か知っているなら教えてくれ!」
ダズが必死に、その背中に叫んだ。
「あいつはおれたちの、大切な友達なんだ!」
ピッケルの足がぴたりと止まった。そして、ゆっくりと振り向く。その顔はやはり恐怖で真っ白に染まっていたが、どこか後ろめたさを感じているようでもあった。
「…お願いします、教えてください」
ララがたたみかけるように言うと、ピッケルは彼から目をそらした。そして、あきらめたように目をつぶり、白い息を小さく吐いた。
「…ついてきなさい」
ピッケルの家は、古いがとても広い屋敷だ。今朝、ぴしゃりとドアをしめられた玄関をくぐり、ララ達はブーツについた雪を払い落とした。屋敷の中のドアノブや柱の装飾はとても豪華だが、室内は掃除が満足に行き届いていないようで埃臭い。薄汚れた絨毯を踏みリビングに通されたララ達は、きしむソファに腰掛け、ピッケルが振る舞ってくれたホットミルクを飲んだ。
暖かい火がゆれている暖炉のそばに、一つの写真がかざられている。そこにはピッケルと、そして一人の若い女性、そして小さな女の子が笑って映っていた。屋敷はがらんと静まり返り、彼以外は住んでいないように見える。しかし、写真の中の女性はピッケルによく似ていた。
「…この写真は、わたしの娘と孫だ。娘は四年前に、病気で死んだ。孫は…ケナは…」
言葉をつまらせながら、ピッケルは絞り出すように言った。
「消えてしまったんだ。三年前の、雪の日に…」
その言葉に、三人はためらいがちに目をあわせた。
「消えた、って、どういう…」
「わからない。だが、すべてがはじまったのは五年前の大雪の日だ。その日、町の住人が二人、行方不明になった。北では大雪で人が行方知れずになることはまれにある。みんな嘆き悲しんだが、それに疑いをもつものはいなかった。しかし、その三日後ふたたび雪がふり、今度は五人の人間がきえた。次の雪の日には四人…雪がふるたびに、数人ずつ、町から消えていったのだ。雪の降る日だけだ。春になり雪が溶けると、謎の失踪はぴたりと止まる。しかし、それから五年間…冬がきて雪がふるたび、やっぱり町の人間が消える現象は繰り返された。恐れおののき、冬がくるまえに、この地をはなれていくものも少なくなかった」
ピッケルは声の震えをおさえようとしてか、両腕にぐっとちからをこめながら続けた。
「そしてついに三年前の雪の日…わたしのかわいい孫のケナが消えてしまった。前の年に娘を病気でなくしてから、わたしはずっと側であの子を見守っていた。雪の日には決して外にださないようにしていた。なのに、なんの前触れも無く…大雪が降った次の日、朝起きると、ケナのベットはからっぽだった。私はそれからずっとあの子を探している。雪が降っている日には特に一日中…しかし…いまだに見つからない」
ララは今までに見たクルクシュの町の人々の表情を思い浮かべた。みんな、何かに怯えているような顔をしていた。そして日が傾くと家にこもり、雪が降る日には決して家を出ない。
「リントも…この町の人と同じように、消えてしまったってこと?」
リイが感情を殺して静かに言った。ピッケルは力なく首をふる。
「君らの友人の行方はわたしには分からない。しかしこの町で姿を消したということは…」
ピッケルは暗い瞳で暖炉をみつめながらつぶやいた。
「二度と見つからないと思った方がいい」
「そんな、ふざけるな!」
ダズが叫んで立ち上がった。カシャンと音をたてて、ホットミルクが入っていたカップがテーブルに転がる。
「見つからないだなんて…まだわからないだろ?あんたのお孫さんだって、二度と会えないと決まっているわけじゃない。それとも何だ、もうあきらめているっていうのか?もう、死んでしまったと?」
「あきらめられるものか!」
ピッケルの怒鳴り声が響いた。しんと部屋が静まり返り、暖炉で薪の燃えはぜる音がぴしりと響く。あきらめられるものか。ピッケルは今度は弱々しく、かすれた声でくりかえした。
「…わたしにとって、この世で一番大切な子なんだ…あきらめられるものか。…それでも、三年間ずっと探していて、何の手がかりもないというのは、こんなにも…」
ピッケルは言葉をとめ、感情の無い目でララ達を見据えた。
「君たちも、いずれわかるようになる」
ピッケルの屋敷を出て、ララ達は無言のまま歩いた。先ほど通らなかった路地を選んで、リントの姿をさがす。口をひらく者はいなかった。ピッケルの言葉が、重く胸にのしかかり、彼らに暗い影をおとしていた。ララにはピッケルの気持ちはよくわかった。二年前、大切な人が呪いにかけられ、身がさけるような思いをしたからだ。しかし、あの時はまだ『ほろびの音』という手がかりがあった。その手がかりすらないというのは…ピッケルが感じるのは、絶望以外にないだろう。
無言のまま歩き続け、ついに彼らは町のはずれまで来た。冬がくる前に引っ越していったのだろう、荒れ果てた廃墟が連なりクルクシュの町はそこで終わっていた。その先には、薄暗い森がひろがっている。雪がのしかかり、木の枝は苦しそうに喘いでいた。
ララが引き返そうと提案をしようとした時、リイがふいに雪の中を指差した。
「ねえ、あれって…」
雪をふみしめてリイが駆け出す。森のすぐ入り口に、なにかきらりと光るものがあった。リイが手で雪を払いのけると、そこには一つの首飾りが落ちていた。
黄緑色の宝石。リントがいつも首からさげているものだ。
「まさか…この森の中に…?」
ダズが暗い森の入り口を見つめながらつぶやいた。雪はますます強くなり、まともに目をあけていられなくなる。こんな日に森に入るなど、普通の人間が考えることではない。
「一座のみんなに知らせたほうが…」
「でもこんな雪なのに、首かざりは雪で埋もれていなかったんだ。リントがここに来てから、まだ長い時間はたっていないんじゃないか。はやくしないと、手遅れに…」
ダズはそこから先を言わなかった。ピッケルの孫のことを思い出したのだろう、町の住人はみんな手遅れになったなどと、そんなことを少しでも考えたくはなかった。
「ぼくとダズで森に入るから、リイは一座の馬車にもどって、皆にこのことを知らせるってのは?」
「ここまできて、あたしに引き返せって言うの?」
リントが心配でたまらない様子のリイがきつい調子でいった。それにダズがうなずく。
「リイの言う通りだ。今はみんな一緒にかたまっていたほうがいい。一人になったら、今度はリイが消えてしまうかもしれない」
彼らは無言のまま、不気味な森の入り口をみつめた。その間にも、大粒の雪はどんどんと地面に降り積もり、白の絨毯を分厚くしてゆく。ララはリントの首かざりをポケットに入れて、ランプを握りしめた。
「…行こう」
そして、ララ達はゆっくりと森の中へと足を踏み入れた。