一章 その2 危うい親交
2 危うい親交
ギイナスの街は、国内でも有数の傭兵の街である。この国では領主の住む都市は要塞としての意味合いが強いが、国境に近いこの街は、特にそれが顕著に現れた構造をしていた。
分厚い壁を持つ城塞に囲まれた街の外周には、四方を取り囲むように物見の塔が建っていた。塔の出入り口は梯子がかかった二階にあり、最上段には矢を射るための窓がある。
街の出入り口には金属で補強された大きな城門があり、旅人や隊商の馬は、城門の手前に建てられた厩に預けなければならない決まりだ。
門の前で荷馬車を停めた商人たちが必要な商材を大八車に積み替えている中、ソフィアを先頭にジルドとジーナが四人の衛兵に護られた城門を潜った。
昼を回ったばかりということもあり、人の流れはほどほど緩やかだ。
ソフィアが衛兵たちを素通りすると、ジルドは怪訝そうに振り返った。
「あの、質問してもいいですか?」
「……手短にお願い致しますわ」
足を止めないまま答えたソフィアに、ジルドは衛兵たちを指した。
「衛兵さんたちに、あの話をしないんですか?」
「ああ、そんなことですの? よく考えて御覧なさい。暗殺を企てている者の仲間が、領主の屋敷にいるかもしれませんのよ? こういったものは、直接当人に知らせなければ意味がありませんわ」
「本人って――領主様にですか?」
それはさすがに無理だろうとジルドは思ったが、ソフィアはなんの心配もしていなさそうだ。脇目も振らずに通行人や豚、鶏などの合間を縫いながら、街の中心へと向かって歩いて行く。
直接領主の屋敷へ向かうのが心配なのか、ジーナが早足にソフィアの横に並んだ。
「領主様に会うためのツテでもあるんですか?」
「ああそれなら――いえ、そうですわね。領主に会う手段を考えなければなりませんわ」
足を止めたソフィアはジルドとジーナに向けて、人差し指をくるりと回してみせた。
「あなた方、旅籠屋が何処にあるかご存じかしら?」
ジルドは周囲を見回すが、カニス村とは看板が異なるために、どれがどんな店か判別できないでいた。文字を記した看板もあるが、残念ながらジルドは字が読めない。
トリステナ王国に限らず、周辺諸国も含めて民衆の識字率は極めて低い。ギイナスのような大きな街でも良くて二割、カニス村のような農村では、商売人か役職のある者を除いて、識字率は無いに等しい。ジルドに至っては自分の名前は識別できるが、それは字を読んでいるわけではなく、記号のように判別しているだけだ。
旅籠らしい店を見つけられないジルドがおろおろとしていると、ジーナが人差し指を城門の方角へと向けた。
「城門の前に、一軒だけあったのを覚えています」
「……そうですか。では、そちらに参りましょう」
再びソフィアを先頭に、ジルドたちは元来た道を戻っていく。城門の前まで来ると、看板のある石造りの建屋が姿を現した。
白い文字で《赤毛の軍馬亭》と記された看板には、赤く塗られた馬の頭部が描かれていた。ソフィアのあとに続いてジルドが旅籠屋の中に入ると、煙草の煙に出迎えられた。
ジルドが顔を顰めていると、ソフィアがカウンターにいる大男に話しかけた。
店主らしい大男は、値踏みをするように三人を見回した。
「三部屋程度なら空きがあるよ。前金で、一泊十フォルリ。食事は別料金だが一階で食べられる。それでいいかね?」
「ええ。それでよろしくてよ」
と、言うが早いか、ソフィアは銀貨を一枚カウンターに置く。この国では一フォルリが銅貨一枚、十フォルリで銀貨一枚に換算される。一〇〇フォルリで一フォーレン、金貨一枚だ。マリーオン金貨という、金貨百枚に相当する貨幣もあるが、それは滅多に見るものではない。
どうやら部屋代は各自負担を強いられると悟ったジルドは、懐具合が心配になった。しかし同じく旅の途中らしいジーナが、なんの文句も言わずに宿代を払うのを見て、さすがに観念した。
ジーナにしても快く支払ったわけではない。銀貨一枚で自分の身の上を誤魔化せるのであれば安い買い物だ――そう考えたに過ぎないのだが、ジルドにはそこまで人心を読めきれなかった。
後ろ髪を引かれる思いでジルドが銀貨を支払うと、店主が廊下を掃除している女性の店員を呼んだ。
それぞれが店員に部屋を案内されたあと、しかし荷物は持ったままで、ジルドたちは一階にある酒場のテーブルに集まった。
それぞれ飲み物を注文したあと、ジーナがソフィアに訊ねた。
「御領主様と面会できるツテはあるんですか?」
「ツテ……ツテ、ね。そんなものはありませんわ」
「なら、どうなさるおつもりですか?」
少々硬くなったジーナの声音を、ソフィアはどこ吹く風と言わんばかりの表情で受け流した。そして優雅な素振りで頬杖をつくと、ソフィアは挑戦的な笑みを口元に浮かべた。
「それを今から考えますのよ。それに貴女なら、良い方法をお持ちでは?」
「……なにを仰っているのか、理解できません」
「そう? それならそれでも構いませんけれど」
言葉と言葉の探り合い、その応酬に居心地が悪くなったジルドが、控えめに手を挙げた。
「あの、やっぱり衛兵さんに事情を話するってのが、一番簡単だと思いますけど」
「ですから、それは先ほど悪手だと申しあげたはずですわ。確実に領主へ情報が届かなければ、何をしても無意味ですのよ? 他の手段を考えて下さいな」
問われたところで、すぐに別の案が浮かぶはずもない。
横から短い女性の声があがったのは、丁度そんなときだった。ジルドよりも先に声の主へと顔を向けたジーナが、驚きに目を丸くした。
「……どうしてここに?」
「それはこっちが言いたいね。なにしに来た?」
年は二〇を越えた辺りだろうか。街で暮らす婦人らしいロングスカートを着ているが、表情や声音、仕草の全てから粗暴さが滲み出ていた。
しばらく二人の間で無言の睨み合いが続いたが、やがてジーナが伺いを立てるようにソフィアに訊ねた。
「申し訳ありません。知り合いですので、少し話しをしてきてもよろしいですか?」
「構いませんわ。けれど、できるだけ手短にお願いします」
頷くと、ジーナは女性と共に旅籠屋を出て行った。
二人っきりになって、なんとなく居心地が悪くなったジルドは、ジーナが出て行った方とソフィアとを交互に見た。
「えっと、出て行っちゃいましたけど。いいんですか?」
「ええ。話しが終われば戻ってきますわ。その辺りに関しましては、あなた方を信じておりましてよ」
鷹揚に微笑むソフィアに、ジルドは気のない返事を返すだけで精一杯だった。
*
旅籠屋から出たジーナは、女性に連れられて裏路地へと入った。
腕を組んで壁に凭れかかったジーナは、周囲をぐるっと見回した。そんな彼女を、女性は殺気を込めた目で睨んだ。
「死神が、この街に何しに来やがった」
グラーグというのは、トリステナ王国の周辺諸国で広く信仰されている大地の創造神ニンスと敵対関係にある、魔神の大公の俗称だ。存在するだけで死を振りまき、愉悦を覚えながら人々に死を振りまく存在とされる。
裏社会で広まっている字に、ジーナは女性を睨み返した。
「……イルマ、二度とあたしをその名で呼ぶな」
ジーナの怒気を含んだ声に、イルマは息を呑んだ。だがしかし、すぐに元の厳しい表情に戻る。
「よく……そんなこと言えるな。あんたと絡んだ奴が、何人死んだことか。忘れたとは言わさねぇぞ」
「あたしから誘った訳じゃねぇし、あたしが殺した訳でもない」
ジーナはこれまでに、行動を共にしてきた者たちの顔を思い出した。ジーナ行う仕事の内容はスリや、商人の家へ忍び込んで金銭を盗むものが大半だ。
普段は一人で行動しているのだが、どこからどう探り当てるのか、大口の仕事があるからと声をかけてくる同業者がいる。過去に五回、その話に乗ったことがあるが、その全てにおいて仲間が死んでいた。
イルマも盗みを生業にしており、その主な対象は街道を進む隊商や旅人だ。以前、ジーナが一度だけ組んだとき、イルマは数年連れ添った仲間を失っている。
そのときの恨みをイルマが未だ抱えていることは知っていたが、ジーナは彼女と出会ったこの機会を利用しようと考え始めていた。
ソフィアからあまり離れられない以上、ごろつきなどの世間の裏に潜む者たちから情報を得るには、イルマの協力が必要だ。
今、自分が案じている状況にしたくないのは、恐らくイルマも同じのはず――賭に近かったが、ジーナにはある種の確信があった。
「悪いけど話を変えるぜ。一つ、頼まれて欲しいことがある」
「は? なんであんたの頼みなんか」
「……お互いに、やっかいな状況になりそうだから。時間が惜しいから手短に話すが、ここの領主を暗殺する計画があるらしい。それを企てている異国の隊商を探して欲しい」
「はっ! 領主の糞野郎がどうなろうと、知ったこっちゃないね。寧ろ、ざまあみろだ」
おおむね予想通りの反応だが、それだけにジーナは心に余裕ができた。
会話の流れを頭の中で組み立てて、最初の一手を打つ。
「ホントにそうか? 領主が死んだとなれば、この街どころか国中で暗殺者の捜索が始まる。となれば、先ず狙われるのは街のごろつき共と、放浪者だぜ? ま、失敗に終わっても、領主に知られたら捜索はあるだろうけどな」
「……なるほどな。で、それを証明するものはあるのか?」
「今、あたしの手にはない。あそこにいた女が持ってる」
「はっ。そうかい。それじゃあ、てめぇの戯れ言、信じるわけにはいかねぇなぁ」
イルマが右手を小さく挙げると、周囲から殺気が沸き上がる。
(三人)
ジーナは潜伏している者の数を正確に把握しながら、敵対の意思はないとばかりに両手を胸の前で組んだ。一対一なら返り討ちにできる自信があるが、四対一ではさすがに為す術がない。下手に出ていると思われないよう、慎重に言葉を選びながら、ジーナは再び口を開いた。
「信じる信じないはあんたたちの勝手だが、あとの無法者狩りで捕まっても、あたしを恨むなよ? せっかくの機会を潰したのは、紛れもないあんた自身だ」
根拠など、あの密書らしい紙切れ一枚という、か細いものしかない。だがジーナは堂々たる態度で、イルマを見据えた。
無言の睨み合いがしばらく続いたあと、イルマが僅かに視線を逸らした。
「……本当なんだね?」
「あたしは、最初からそう言っている」
ジーナが視線を弱めると、イルマは複雑そうな表情で頭を掻いた。
「……今回だけは、頼みを聞いてやる。素直に認めたくはないが、可能性はある話だ」
「あんたがあたしを気に入らないのは知ってるが、今は協力しろ。件の隊商の面構えについては、あたしと一緒に居た男が知ってる。隊商の荷馬車は異国の奴で、幌の形が変わってるから、見ればわかる」
「……わかった。何人かに声をかけて、調べるのを手伝ってもらおう。あたしらみたいな奴にとっちゃ、街中が平穏でいてくれたほうが、仕事もやりやすいしな。で、領主の暗殺っていつなんだ?」
「さあね。領主の誕生日に行われる祝宴で暗殺するらしいけどな」
ジーナの答えに、イルマは小さく舌打ちをした。
「領主の誕生日……現領主のアニーオ・ロレンツォ伯の誕生日は、冬季第一月の三日だ。今が冬季第一月の一日。あと二日しかないじゃねぇか。時間がないか……くそっ。あたしはもう行くぜ。何かわかったら、使いを送る」
「わかった」
短く答えて、イルマは裏路地から出ていった。
同時に、周囲から人の気配が消えた。ジーナは緊張を解くと、ただの町娘を装って《赤毛の軍馬亭》へと戻った。
店内を見回し、先ほどのテーブルにジルドとソフィアが座っているのを認めると、ゆっくりと、足音をたてながら戻っていった。
首を向けるソフィアに、ジーナは先ず頭を下げた。
「お待たせ致しました」
「あら、思っていたより早かったですわね。旧友は温められまして?」
「……はい、少しは。彼女には、異国の隊商を探して欲しいとお願いしました。その……彼らに返したいものがあると。特に疑いもなく、承諾してくれました」
ソフィアと共にいるときに、伝言が入ることを懸念して、ジーナはイルマに隊商の捜索を依頼したことを伝えた。だが、一部を除いて真実を全て話しはしない。領主暗殺の件を漏らしたとなれば、あとでどんな処分があるかわからないからだ。
ソフィアはジーナの言葉に対し、追求しなければ驚きもしなかった。
「そう。情報が手に入ればいいですわね」
「はい――ところで、そちらは何か進展がありましたか?」
少々皮肉を込めて、ジーナは訊いた。あの状況では、一つの案も出ないだろうと思ったのだ。しかし、そんなジーナの期待も裏腹に、ソフィアは口元に笑みを浮かべた。
「ええ。そこの行き倒れさんが、妙案を考えて下さいましたわ」
予想外の回答にジーナが振り狩ると、ジルドが照れたように後頭部に手を添えた。
「あの、ご領主様の祝宴があるなら、付近の店は忙しくなるんじゃないかと思って。店を手伝えば、屋敷の中に入れるかもしれませんし」
「ああ……そういうこと」
仕入れ業者に紛れて屋敷に侵入するのは、妥当な手段だとジーナは感心した。
しかし侵入するだけなら最も安全な手段だが、中に入ってから雇い主や使用人たちの目から逃れるのが難しく、自由に行動しづらいのが難点だ。
理想は領主の屋敷で働くことだが、貴族の屋敷に雇われるためには他の貴族か、繋がりの深い商人などの紹介が必要だ。
屋敷の中に潜入できても、そこからが問題だ。屋敷の使用人などが、廊下を彷徨くジーナたちを不審者と思わない確率は、かなり低い。
(領主に会っても衛兵を呼ばれない理由が必要なんだけど、こいつら理解してるのか?)
ジーナはその疑問を躊躇無く問いかけたが、ソフィアは「私がなんとかいたしますわ」と、なんの根拠も示さないまま答えた。




